役に立たない得意技
一応得意なことはある。
「うさぎとかめ」と「浦島太郎」とを一フレーズづつ交互に歌ふのが得意だ。
どちらを先にしてもいける。
これが得意だといふ人にいまのところ出会つたことはないので、かなりうまい方なんぢやないかな。
これが得意でなにかいいことがあつたか、といふと、なにもない。
そもそも人前で歌つた記憶がない。
小学生のころ何度か歌つたけれど、クラスなどを半分にわけて競ふやうな感じだつたので、ひとりで歌つたわけではなく、結果として「あの子、「うさぎとかめ」と「浦島太郎」とを交互に歌ふのが得意なんだ」などと気づかれることはなかつた。
だいたい、つひ昨日「さういへば、これ、得意だな」と気がついたくらゐの得意技だ。
人にはさういふ自分にも気づかぬ得意技のひとつやふたつ、あるのかもしれない。
役に立つやうなことで得意なことといふと、人の名前と顔とを覚えるのはまあまあ得意かもしれない。
「覚えやう」と思はないと覚えられないからたいしたことはないし、覚えたところでその後のおつきあひにつながらないのでまづ役に立つことはない。
人の名前を覚えられることが特技になるには、人とのつきあひがうまいといふ前提が必要だといふわけだ。
「出かけずに家でひとりで過ごすことも立派な予定だ」などと云つてはばからない人間には、豚に真珠猫に小判的な技なのだつた。
でもまあ、得意なことはあるんだな、と思ふことにしたい。
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