誰にもあげない
先週はあまり編めてゐない。
火曜日と金曜日とに禁断の平日夜の落語会に行つたり土日と出歩いたりで、家にゐないことが多かつたからだ。
編んでどうしやうといふのか、といふと、実はあまり「かうしやう」とは思つてゐない。
たとへば、この技法を学んでさらなる段階に進まうとか、あの技法に取り組むにはまづこの技法とその技法とを身につける必要があるだとか、さういふことは考へない。
昔は考へてゐたやうな気もする。
編み込み模様をきれいに編めるやうになるといいな、だとか。
メリヤス編みも裏メリヤス編みもおなじやうにそろつた編み目に編めるやうになるといいな、だとか。
長年馴染んだ「不器用」のおかげもあつて、「ムリなものはムリ」と思ふやうになつたのだらう。
そんなわけで、自分で編んだものを他人に贈ることは滅多にない。
編んだものはすべて自分のもの。
自分には使へないやうなものも「編みたいから編む」といふことをやる。
自分で編んだものを他人に贈らないのには、ほかにも理由がある。
他人からもらつたものつて、なんとなく捨てづらいぢやあありませんか。
無論、世の中にはいろんな人がゐて、「他人からもらつたものだつて使へないものは即捨てる」といふ人もゐるだらうことは理解してゐる。
でも、なんか、ありませんか、いつまでも家にあるもので、なんであるのかよくわからないし滅多に使はないけれど、「でもねえ、お世話になつたあの人からもらつたのよ」といふやうなものが。
やつがれはもともとものを捨てられない捨てるのがめんどくさい気質のせゐか、他人にもらつたものは使はないものでもいつまでも捨てられずにゐる。
それを考へると、うまく編めるのならともかく、さうでもないものをあげてもなあ、と躊躇してしまふのだ。
先週、Yarn Harlot だつたらうか、亡くなつたご母堂の遺品を整理する話があつた。
編んであげたものが(すりきれたスリッパ以外は)すべて残つてゐた、といふ。
はじめて編んであげたセーターからすべて。
さういふ話に弱い。
Knitter's Magazine のコラムだつたかにも似たやうな話があつた。
そちらはご尊父だ。
まだあみものをはじめたばかりのころヴェストをあんであげた、といふ話だつたやうに思ふ。
父親が他界して、クローゼットを開けてみたら普段着るものがきれいに並んでゐるなかに、そのヴェストもあつた、といふ。
さういふ涙のもとになるやうなものをあげちやいけないよな、とも思ふのだつた。
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