美美美美美ぃ
森茉莉の「ドッキリチャンネル」を読んでゐたら、こんなくだりがあつた。
世の中にはあまりにも美ならざるものが多く、気分なほしのために自分がうつくしいと思つた写真を切り抜いておいてある。
一枚は吉行淳之介の写真で、もう一枚は森茉莉曰くフランス人とおぼしき女の人の写真だといふ。
吉行淳之介の方はあまりによいので自分が持つてゐるよりも宮城まり子が持つてゐた方がよからうといふのであげてしまつた、とも書いてあつた。
森茉莉は建物にしても人にしても美ならざるものが多い、と書いてゐたやうに記憶する。
たまに桜木町に行くとランドマークタワーが如何にも邪魔だ。
はじめて神奈川県立図書館の窓からランドマークタワーが見えたときの衝撃はいまも忘れられない。
まえはあんなものはなかつたのに。
「逃げるは恥だが役に立つ」といふドラマでも横浜のあのあたりがたびたび舞台になつてゐて、もちろんランドマークタワーも映りこむことがあつたのだが、「ない方がいいのに」と常々思つてゐた。カメラの位置の具合で映らない場面になると「ほら、やつぱりない方がいい」と勝手に得意になつてゐた。
「白昼の襲撃」だつたか、いまから五十年くらゐまへの横浜が舞台で、いまとは全然違つた景色を見ることのできる映画だ。
元町のあたりから横浜駅方面を映した絵が出てきて、もうほんとに、いまある背の高い建物はなにもないといつても過言ではない状態で、横浜駅付近だらう、アドバルーンなんぞが浮かんでゐて、映画の内容はともかく、そぞろ郷愁を誘はれたものだ。
などと書いてゐるが、背の高い建物やランドマークタワーが美なるざるものである、といふわけではない。
こんなことを云ひながらランドマークタワーの写真はたびたび撮つてゐる。
ランドマークタワーが一人で立つてゐるやうな、そんな写真を好んで撮る。
切り取り方によつて美だつたりさうでなかつたりする。
さういふものなのではないかといふ気がする。
だいたい、森茉莉ではないので、世の中を見渡して「美ぢやない」などと思ふことはほとんどない。
そりやあ人の並んでゐる列に平気で横入りする人や電車の中でちよつと離れた席があいたと見るやその席の周囲の人を押しのけて座らうとする人なんぞを見たりしたら「うつくしくないなあ」とは思ふけれど、ぢやあなにかうつくしい絵なり写真を見たりして気分をとりなほしたいかといふと、そんなことはない。
写真といへば、歌舞伎座で売られてゐる舞台写真を久しく買つてゐない。
写真家が変はつのただらうか、「これ!」と思ふやうな写真が全然ないのだ。
自分が好きな役者の好きな役の好きな場面の写真であつても「なんか違ふ」と思つてしまつて買へない。
これも森茉莉に云はせたら「美ならざるもの」なのだらうかなあ。
でもだからといつて過去に手に入れたお気に入りの舞台写真を見て気を紛らはせやうなどといふ気にはまつたくならない。
美かどうかといふのは、自分にとつてはそんなにたいした問題ではないかといふことか。
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