説明のつかない怖さ
といふわけで落語である。
2018/2/13(火)、銀座ブロッサムで「如月の三枚看板 喬太郎+文蔵+扇辰」を聞いてきた。
トリは柳家喬太郎で、「ぺたりこん」をやつた。
初めて聞く噺だ。
背後の席の人の話を側聞するに、三遊亭円丈作ださうな。
落語にもいろいろあつて、といふやうなことをあまり聞かない身で云ふのもおこがましいが、たとへば芝居になるやうな噺もあれば「まんが日本むかしばなし」でアニメになるやうな噺もあり、最近では「超入門!落語 THE MOVIE」といふ番組もある。
visialise に適した噺があるといふことだ。
最近歌舞伎ではほとんどかからなくなつたけれど、「明烏」なんかはさうなんぢやないかと思つてゐる。
澤村宗十郎が浦里をやつたときの写真を見たことがあるので、最後の上演はそんなに昔のことではないのぢやあるまいか。
浦里が縛られてゐる場面の写真で、いはゆる落語でよくかかる「明烏」の後段だと思ふ。
一方で、これ、落語だからいいのかも、と思ふ噺もある。
「心眼」なんかさうなんぢやないかな。
できないことはないけれど、語る芸の演目としてのよさがある噺だと思つてゐる。
喬太郎でいふと「孫帰る」とか「ウルトラ仲蔵」もさうだ。
「孫帰る」は見てわかるやうに作るとあの衝撃は薄れてしまふのではないかといふ気がする。
「ウルトラ仲蔵」はケムール人を知つてゐる方がいいが、「中村仲蔵」の世界と「ウルトラマン」の世界とがめまぐるしく入れ替はる感じは映像だとうるさくなるんぢやあるまいか。
といふわけで、「ぺたりこん」だ。
「ぺたりこん」も「落語ならでは」の噺だなと思つた。
「ぺたりこん」は登場人物のせりふにたびたび「不条理」といふことばが出てくるくらゐの不条理な噺た。
「今日、ママンが死んだ」「朝目が覚めたら毒虫になつてゐた」と、不条理といへばこのふたりといふ小説家の代表作の冒頭部分を織り交ぜるくらゐ不条理だ。
「ぺたりこん」には「それを画像なり映像なりで表現するのはむつかしいのではないか」と思はれるやうな場面が出てくる。
噺ならではの不条理劇で、どことなく sense of wonder を感じる。
噺のなかで喬太郎は「今年は「怪奇大作戦」五十周年」といふ旨のことをちらりと云つてゐた。
「ぺたりこん」は「怪奇大作戦」といふよりは「トワイライト・ゾーン」ぢやないかなあ。
誰も怪奇を暴かうとするわけぢやないからね。
科学的にどうかうといふ説明もつかない。
説明のないなんとも不気味な味はひの深い噺だ。
かういふ落語ならではの噺を聞くと、落語をもつと聞きたくなつてくるんだよな。
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