迫りくる依存症
本を買ふことに依存しつつある。
五年ほど前、なるべく本は買はないことに決めた。
置く場所がないからだ。
それでしばらくは図書館を利用してゐた。
それに、当時は読みたい本が本屋になかつた。
古い本が多かつたからだ。
古い本、それも中途半端に古くて品切れになつてゐるやうな本が多かつた。
年を経て、最近また本を買ふやうになつた。
買ふやうにはなつたが、この一年ほど買つた本のうち、積ん読になつてゐるものは一冊もない。
読み終はつてゐない本はあるけれど、自宅でちみちみ読むやうな本ばかりなので、積んではあるけれど読んでゐないわけではない。
積ん読にならないのなら、買つてもいいのではないか。
そんな云ひ訳も脳裡に浮かぶ。
たぶんに買物依存症なところがある。
家にやたらと毛糸があつたりスピンドルがあつたりかばんがあつたりタティングシャトルがあつたりするのがその証だ。
そんなにたくさん必要ないのだ。
タティングシャトルは四つもあればいい。
いままでひとつの作品を作るのに使つたシャトルの数で一番多いのが四つだからだ。
それ以上は入り組みすぎてゐてやつがれの手にはあまる。
本もかつてはさうだつた。
なにかを好きになるとそれについての書籍を求めてしまふ。
似たやうな本ばかり次から次へと買つてしまふ。
その結果のゴミ家屋だ。
こどものころは、本が好きだと思つてゐた。
それが思ひ込みであることに気がついたのは、二十歳をすぎたころだつたらうか。
突然、気がついたのだ。
自分は本など好きではなかつたことに。
嫌ひではないけれど、好きといふほどではない。
その証拠に、ほとんど本を読んでゐないぢやあないか。
理由がないわけではない。
「本を読むなら外に出てともだちと遊んで来い」といふ親のもとで育ったからだ、とは以前も書いた。
普通なら成績が下がつたら部活動はやめさせられるものなのに、我が家は違つた。
成績が下がつても、ともだち(かどうかはいまとなつては疑問だが)と一緒にゐられる部活動の方が大事。
さういふ家だつた。
本を読んでゐる暇などほとんどない。
三原順に「夢の中 悪夢の中」といふまんががある。
ひとりでゐるのが好きで本を読むのが好きな主人公の話である。
主人公以外の家族はみな明るく大勢で騒ぐのが好きで、スポーツ好きばかりだ。
主人公は母親からほかの家族のやうであれと強要される。
他人事ぢやないなあと思ひながら読んだ。
さういふ環境にあつて、「それでも自分は本が好きだ」と思ひ込まうとしてゐた向きもあつたのだらう。
気がついてみたら、本などほとんど読んでゐないし、たいして好きでもなかつた。
なのに本はほしい。
一時は読みもしないやうな本を買つてゐたこともある。たぶん。もう記憶にあまりないけれど。
買物依存のひとつだつたのだらう、といまになつて思ふ。
それの依存がまたやつてきた。
ちよつとした危機感を覚えてゐる。
買ひ過ぎなければいいだらうか。
ちやんと読むんだからいいぢやないか。
云ひ訳を考へはじめてゐるところがもう危ない。
危機感を覚えながら、本屋に行く算段をしてゐる。
完全に病だ。
よく考へなほすんだ、やつがれ。
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