やめどきかな
この連休は、芝居見物に行つて幕間などにちよこちよこタティングレースをしてゐた。
ちよこちよこなのでほとんど進まなかつたが、手持ち無沙汰のときにはちやうどよい。
がま口の財布にシャトルを二つ入れて持ち歩く。
荷物にもならないし、いい感じだ。
作つてゐるのは栞だ。
もともと栞はあまり使はない。
ゆゑに必要ではない。
いま編んでゐるミトンはこれといつて編み図を見なくても編めるものなので、あみものの本にはさむ栞も必要ない。
ゆゑにのんびり結んでしまふ。
のんびり結ぶのはいいことだ。
とくにここのところタティングとはご無沙汰してゐた。
勘を取りもどすにはゆつくり気をつけながら結ぶのが一番いい。
と、わかつてはゐるのだが、外で結ぶと気をつけてゐるつもりで注意力が散漫になつてゐたりするんだよなあ。
やはり家でのんびりした気分のときに結ぶしかないか。
ところでタティングレースで作りたいものといふのが思ひつかない。
これはやめ時といふことなのだらうか。
作りかけのポーチはなんとか仕上げたいと思つてゐる。
そのあと作りたいものがないんだよなあ。
円形の大きなドイリーを一度は作りたいと思つてゐるけれど、それには整形するための場所が必要である。
その場所がないんだよなあ。
広げられるだけの大きさのドイリーとなると、それほど大きくはならない。
ドイリーはそんなに好きではないけれど、レースといふとドイリーといふ気がする。
それで一度は作つてみたいのだつた。
大きいのをね。
大きいものを作る際の問題点として、「途中で飽きる」といふのがある。
また、あまりにも修復不可能な失敗をしてしまつて、「やる気が削げる」といふこともある。
それを乗り越えても作りたいドイリーを探さないとな。
まづはそこからか。
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