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Wednesday, 31 January 2018

くつ下を履いて眠る

ここ数年、寒くなるとくつ下を履いたまま寝ることがある。

履くのは自分で編んだくつ下だ。
理由は、履き口がゆるいこと、それでも寝てゐる間に脱げないことの二点である。

履き口がゆるいのはきつく編まないからだ。
履き口から編む編み方の場合は大抵さうなる。
もともと手がきつくないといふのもあるけれど、母から教はつたとほり作り目の時に針を二本通すとそんなにきつくなることはない。
つま先から編む場合で履き口がガーター編みだつたりすると伏せどめに失敗したときにきつくなることがあつたが、これもきつくならない伏せどめの編み方を覚えて以来大丈夫だ。
米国のくつ下編みの人々のあひだで時折話題になることに、糖尿病を患ふ人用のくつ下の編み方といふのがある。
糖尿病患者の人はきついくつ下を履いてはいけないのだといふ。
さういへば十月に蜂窩織炎を患つたときに糖尿病を疑はれて、「きついくつ下は履かないやうに」と云はれたつけか。
そんなに手編みのくつ下といふのはきつくなるものなのだらうか。
ちよつと疑問である。
すくなくとも機械で編んだものよりはゆるくなるものだと思ふのだが如何に。

そんなにゆるいのになぜ脱げないのかといふと、踵をきつちり編むからだ。
どこのブランドだかは失念したが、以前安売りになつてゐたいい会社の靴を買つた。
この靴が歩いてゐても足にぴつたりとくる。
甲高なので、できるだけ甲を覆ふものかストラップのついた靴を好んで履いてゐたのだが、この靴は甲の部分が大きく空いてゐた。
それでも脱げないのは、踵がきゆつとしまつてゐたからだ。
慌ててサイズの合ふおなじ会社の靴を安売りのうちの買ひ足したことはいふまでもない。
そのときの経験があるので、くつ下を編むときでも踵はできるかぎりきつちり編むやうにしてゐる。
そんなわけで寝てゐる間にくつ下が脱げることはないのだつた。

寝てゐるうちに暑くなつたらくつ下は自然と脱げたはうがいいといふ考へ方もある。
でもさうするとあとでくつ下を探すのが面倒だ。
やはり脱げないはうがいいだらう。

こどものころは、くつ下を履いたまま寝るなんて考へもしなかつた。
真冬でも足だけは布団の外に出して寝るくらゐだつた。
足を布団の外に出して、布団の端を足でひつかけるやうにして寝てゐた。
寝相が悪かつたのでそのままの状態で目覚めることはまづなかつたが、寝入るまではさうしてゐないとダメだつたのだ。

それがいつしか足を布団の中に入れて寝るやうになつた。
中学生のころだつたか高校生になつてからだつたやうに思ふ。
そしていまでは真冬ともなるとくつ下を履いて寝てゐる。
人はこんな風にも変はるのだなあ。

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Tuesday, 30 January 2018

お寒い話

寒いのだからいまのうちにノールビンドニングのベレー帽を仕上げてしまはうと思つてゐるのだが。
できてゐない。

長期予報では二月は例年よりも寒いのださうである。
いまのうちにベレー帽を整形して、かぶれればいいのに。

整形には苦手意識があるからなあ。

棒針編みもかぎ針編みも含めて、帽子を編むのは久しぶりだ。
帽子を編むのは好きだ。
ぐるぐる編むのが楽しい。
アフガン編みで引き返し編みをしながら編む帽子もいい。ちよつと好きな形なのだつた。

しかし、ここのところ自分で編んだ帽子をかぶつてはゐない。
なんとなくなくしさうな気がするからだ。
マフラーや手袋だつて落としたり忘れたりしがちだ。
ましてや帽子。
さう思つてしまふのである。

手編みの帽子は風に飛びにくいといふ。
ここにも以前書いた。
毛糸屋のをばさんがさう教へてくれた。
その毛糸屋も閉店して何年もたつ。
当時、をぢさんが九十歳、をばさんが八十五歳とか云ふ話だつた。
そして、その毛糸屋の入つてゐた雑居ビルも最近取り壊された。
なにができるのだらう。

気がつくと、編み針ひとつ買ふのにもバスと電車とを乗り継いでいかなければならない。
百円ショップにもあるけれど、針はやはり気に入つたものを使ひたいんだよね。
本もさうだ。
文房具は百円ショップやドラッグストア、コンヴィニエンスストアにある。案外「を、これは」といふものがあつたりする。文房具、強いな。

この冬買つた毛糸はノールビンドニングのベレー帽を編むのに買つたもの一かせだけで、あとは全部手持ちの毛糸から編んでゐる。
それでしばらくなんとかなりさうなんだよなあ。
「これが編みたい!」といふものがあつて、どうしても指定糸で編みたいといふことがないかぎりなんとかなりさうだ。

あみものはやめられないけれど。
買ひ物は控へるやうかな。

お寒い状況であることに間違ひはない。

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Monday, 29 January 2018

Seaweed Vest を編みはじめてみる

Brave New Knits」からSeawead Vestを編み始めた。

くつ下毛糸で編んでゐたヴェストはやめることにした。
糸が足りなくなりさうだからだ。
そんなわけで、手元に二袋ほどあるダイヤエポカで編み始めた。
20玉もあれば足りるだらうといふ計算である。

「Brave New Knits」は、ブログで活躍するニッターの作品を集めたものだ。
中を見れば「あ、この人のブログ、見てる、この人のもこの人のも」といふ向きもあらう。
自身のblogやKnitty、Ravelryなどで作品を発表してゐる人々、といふくくりなのかと思ふ。

この本の中で編みたいなと思ふものはみな絹混だつたりして、糸がちよつと高価なものが多い。
それでなくても海外の糸は割高になりがちである。
作品紹介の文章などを読むと、絹が混紡されてゐることで模様や作品にいい影響を与へる、てなことが書いてあるのだが、残念ながら絹混の毛糸は手元にない。
あつてもほんのちよびつとかレース糸かだつたりする。
そこでゲージの近さうな糸で手持ちにたくさんあるものといふことでダイヤエポカの出番といふこことになつた。
なんとなく分厚い地のヴェストになりさうだが、ま、いいか。

Seqwead Vest は、表目と裏目とで編む海藻のやうな模様のヴェストである。
襟ぐりや袖ぐりがi-cordを用ゐた伏せどめになつてゐて、本の写真で見るとすつきりしてゐる。
本の写真で見るとそこそこ長さのあるやうな感じがするが、仕上がり寸法を見るとさうでもないやうだ。
指定糸は渋い緑色でまさに海藻といふイメージだが、やつがれは灰色で編んでゐる。
灰色の海藻……死んでゐるか知らん。

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Friday, 26 January 2018

迫りくる依存症

本を買ふことに依存しつつある。

五年ほど前、なるべく本は買はないことに決めた。
置く場所がないからだ。
それでしばらくは図書館を利用してゐた。
それに、当時は読みたい本が本屋になかつた。
古い本が多かつたからだ。
古い本、それも中途半端に古くて品切れになつてゐるやうな本が多かつた。

年を経て、最近また本を買ふやうになつた。
買ふやうにはなつたが、この一年ほど買つた本のうち、積ん読になつてゐるものは一冊もない。
読み終はつてゐない本はあるけれど、自宅でちみちみ読むやうな本ばかりなので、積んではあるけれど読んでゐないわけではない。

積ん読にならないのなら、買つてもいいのではないか。
そんな云ひ訳も脳裡に浮かぶ。

たぶんに買物依存症なところがある。
家にやたらと毛糸があつたりスピンドルがあつたりかばんがあつたりタティングシャトルがあつたりするのがその証だ。
そんなにたくさん必要ないのだ。
タティングシャトルは四つもあればいい。
いままでひとつの作品を作るのに使つたシャトルの数で一番多いのが四つだからだ。
それ以上は入り組みすぎてゐてやつがれの手にはあまる。

本もかつてはさうだつた。
なにかを好きになるとそれについての書籍を求めてしまふ。
似たやうな本ばかり次から次へと買つてしまふ。
その結果のゴミ家屋だ。

こどものころは、本が好きだと思つてゐた。
それが思ひ込みであることに気がついたのは、二十歳をすぎたころだつたらうか。
突然、気がついたのだ。
自分は本など好きではなかつたことに。
嫌ひではないけれど、好きといふほどではない。
その証拠に、ほとんど本を読んでゐないぢやあないか。

理由がないわけではない。
「本を読むなら外に出てともだちと遊んで来い」といふ親のもとで育ったからだ、とは以前も書いた。
普通なら成績が下がつたら部活動はやめさせられるものなのに、我が家は違つた。
成績が下がつても、ともだち(かどうかはいまとなつては疑問だが)と一緒にゐられる部活動の方が大事。
さういふ家だつた。
本を読んでゐる暇などほとんどない。
三原順に「夢の中 悪夢の中」といふまんががある。
ひとりでゐるのが好きで本を読むのが好きな主人公の話である。
主人公以外の家族はみな明るく大勢で騒ぐのが好きで、スポーツ好きばかりだ。
主人公は母親からほかの家族のやうであれと強要される。
他人事ぢやないなあと思ひながら読んだ。

さういふ環境にあつて、「それでも自分は本が好きだ」と思ひ込まうとしてゐた向きもあつたのだらう。
気がついてみたら、本などほとんど読んでゐないし、たいして好きでもなかつた。

なのに本はほしい。
一時は読みもしないやうな本を買つてゐたこともある。たぶん。もう記憶にあまりないけれど。
買物依存のひとつだつたのだらう、といまになつて思ふ。

それの依存がまたやつてきた。
ちよつとした危機感を覚えてゐる。
買ひ過ぎなければいいだらうか。
ちやんと読むんだからいいぢやないか。
云ひ訳を考へはじめてゐるところがもう危ない。

危機感を覚えながら、本屋に行く算段をしてゐる。
完全に病だ。
よく考へなほすんだ、やつがれ。

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Thursday, 25 January 2018

本当には必要ではないこと

結局、英語は必要ないといふことなんだな。

以前「日本人の9割に英語はいらない」を読んだときもさう思つたし、「日本語が亡びるとき」を読んだときもさう思つた。
そのことについてはここにも書いてゐる。

今回「史上最悪の英語政策」を読んだときもさう思つた。

必要なら覚える。
必要なら使へるやうになる。
しかるにできないといふことは、必要ないからだ。

この三冊に共通してゐるのは、乱暴にまとめてしまふと、「基本的な対人能力のないものに英語での会話はムリ」といふことなのだと思つてゐる。

たとえば、「史上最悪の英語政策」に出てくる「パーティの場などで英語で話すことができない」だ。
日本語でなんとかなるのは、日本が高文脈文化だからだ。
低文脈文化の中にはふりこまれたら、それなりの対応をするものだ。
パーティなら事前にどのやうな人々が出席するのかわかる場合もある。
さういふときは、予めあたりさはりなく話せるやうな話題を仕込んでおくものだ。
さもなければ、直接会話をしながら無難な話題を探る必要がある。
本に書かれてゐることはさういふことだと思ふ。

さういふ準備や能力なしには、文脈を異とする人々とのパーティでぺらぺら喋れたりはしないものだ、と。
さういふことがしたいのなら英語の実力とは別の力が必要だといふことだ。

成毛眞や水村美苗の云つてゐることは少し違つて、必要のない勉強をするくらゐなら日本語の良書をたくさん読め、である。
まとめかたが乱暴で恐縮だ。
でも、要するに「英語を勉強する以前に必要なことつてあるでせう」といふ話だと思つてゐる。

「史上最悪の英語政策」の著者・阿部公彦は、英語は必要なものではなく、あつたらうれしいといふ贅沢なものだ、といふ旨のことを述べてゐる。
なるほどなあ。
もうひとつなるほどなあと思つたのは、中高六年間英語を学んできて喋れるやうにならないといふ説に対する反論だ。
公立校では週に英語の授業は三〜五時間だといふ。
一年間で五.八日間ていどださうだ。
予習復習を含めても一年間に十日あるかないかだらう。
それで英語ができるやうにならうといふのは、そらまあムリだよな。

私立校には英語教育にもつと時間を割いてゐるところもあらうとは思ふ。
さういふ風にして格差がひろがつていくんだらうな。

個人的には、必要ないから楽しいんぢやん、と思ふのだが。
受験生ともなるとそんな余裕はないだらう。
とはいへ、受験勉強にも楽しみがあつてもいいとは思ふので、といふか、やつがれ自身は受験勉強をしてゐたころは世界史のノートを作るのが楽しくて楽しくて仕方がなかつたのだが、さういふ感じで英語を学習するといふのもいいとは思ふんだけれどもね。

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Wednesday, 24 January 2018

バッグ・イン・バッグなど

歌舞伎座限定のスヌーピーのトートバッグを愛用してゐる。
以前からほしくて一年半くらゐ悩んで、まだほしいんだから買はうといふので購入したものだ。
お弁当箱の入るサイズ、とでもいはうか。
我が家では帆布のトートバッグはかたつぱしから毛糸入れになつてしまふので、さうならないやう気をつけて使つてゐる。

用途は、バッグ・イン・バッグだ。
大きめのかばんの中に入れて、出先ではトートバッグだけ持ち歩くといふやうな使ひ方だ。
中身は財布、iPhone、手ぬぐひ、ティッシュペーパー、ポーチ、充電池、その他といつたところか。

サイズとしてはちやうどよいし、内ポケットもあるのでそこにFRISKなどを入れたりして重宝に使つてゐる。
ただ問題がひとつだけある。
トートバッグだけにやはらかいので、中でものが倒れてしまひがちだ、といふことだ。
きちんとしまつたつもりでも、ふと中を見るとごちやつとした感じになつてゐる。

自分のかばんの持ち方にはふたつある。
大きいかばんひとつにすべてをおさめるか、小さいかばんふたつ(場合によつてはみつつ)に荷物を分けるか、だ。
その時々で大きいかばんひとつになにもかもつめたいときもあれば、小さいかばんふたつに荷物を分散したいときもある。
いまは大きいかばんにまとめたい気分だ。
さうすると、バッグ・イン・バッグは必須になる。
職場などでそれだけ持ち歩けばいいものがほしいからだ。

そんなわけで、スヌーピーのトートバッグはいいけれど、中がごちやごちやしてしまふのが悩みだつた。

そこで月曜日からARTISAN&ARTISTのウェストポーチに中身を入れ替へて使つてゐる。
このウェストポーチは以前ここにも書いた。
これも時によりバッグ・イン・バッグとして愛用してゐる。
スヌーピーのトートバッグに入れてゐたものはほぼすべて入れられるけれど、全部入れるとものを取り出しにくくなるといふ難点がある。
持ち歩くものをしぼればいい話なんだけどね。

持ち歩く荷物が多いことは自覚してゐて、なんとか減らさうと思つてゐる。
先日もここに書いたやうに持ち歩くペンの数を減らしてみた。
でもPILOTのkakuno用に買つたペンケースが増えて、また逆戻りしてゐる状況だ。
なんとか減らしたいのだがなあ。

持ち歩く荷物でこの始末なので、家の中のかたづけなど到底できるはずもないのだつた。

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Tuesday, 23 January 2018

糸をつぐときも

ノールビンドニングで、リストウォーマを作つてゐる。

ノールビンドニング

ノールビンドニングをはじめて編み地のあたたかさを知り、「これで手首・足首をあたためるものを作りたい」と思つた。
それなのになぜ最初がベレー帽だつたのかといふと、「はじめてのノールビンドニング」に指定されてゐる糸で手に入りかつ作りたいと思つたのがベレー帽だつたからだ。
ベレー帽を作つてゐるあひだに作り目の作り方を忘れてしまひ、「最初はもつと速くできあがるものを作るのだつた」と思つたがあとの祭りである。

ベレー帽はダルビー・スティッチといふすくふ目の少ないスティッチで作つた。
いま作つてゐるリストウォーマはブロディエン・スティッチといふすくふ目の多いスティッチで作つてゐる。
最初はミトンを作るつもりでゐたが、ミトンはさんざん編んでしまつたのでリストウォーマでいいかなと思つてゐる。
職場や自宅でPCのキーボードを使ふときなど、手首付近が異様に冷えることがあるからだ。
いまも以前編んだ指なし手袋をして打つてゐる。
はじめてのノールビンドニング」にはミテーヌと呼ばれる指なしミトンが掲載されてゐる。
ミテーヌか。いいかもしれないな。
親指部分は穴をあけるだけで編まない方向でどうだらうか。
と、編みながら考へてゐる。
ノールビンドニングはなんだかんだいつて時間がかかるからね。
慣れればさくさく編めるやうにはなるものの、糸をつなぐのに時間を取られる。
最近は糸をつなぐのもそんなに苦ではなくなつてきたやうな気もしないではない。
いま使つてゐる糸は比較的つなぎやすい糸だからといふのもある。

文楽に鶴澤藤蔵といふ三味線方がゐる。
文楽の床にあがつてゐるとき、演奏中でなくても、たとへば三味線の棹を拭いたり糸を変へたりしてゐるときでも語りや三味線の音が躰に流れてゐるやうな、そんな三味線方である。
ノールビンドニングをしてゐるとき、糸をつなぐあひだも一連の流れとしてとらへられてゐるな、と思ふ瞬間、ぼんやりと藤蔵の三味線を思ひ出したりしてゐる。
まことに僭越ではあるけれど。

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Monday, 22 January 2018

三つ目のミトン

ベルンド・ケストラーのミトン」に掲載されてゐる縄編みのミトンを編んだ。

ベルント・ケストラーの縄編みミトン

この本から三つめのミトンである。
糸はROWANのフェルテッド・ツイードだ。これを四号針で編んだ。

いい毛糸で編むというのもいい。
一玉だけあまつてゐたので使つてみた。
一玉で一組のミトンが編めてあまりが出る。
あまつた毛糸を見て、もうちよつとカフを長くするのだつたかな、と思つてゐる。

これで打ち止めといふか編み止めといふかにして、しばらくはこのミトンは編まないつもりでゐる。
ほんたうはアクリル毛糸で編んだミトン型のたわし(といふのだらうか)も編みたいのだが、手元にアクリル毛糸がない。
100円ショップに行けばあるのはわかつてゐるけれど、もうしばらくは家にある毛糸で別のものを編むつもりだ。

この本から三つミトンを編んでみて、「持つてゐる毛糸でできるといふのはいいなあ」と思つた。
三つともすでに持つてゐる毛糸、それも中途半端に残つてゐる糸だつた。
かういふ糸を有効活用できると気分がいい。

ベルント・ケストラーのものにかぎらず、ミトンや手袋といふのはさうしたあまつた毛糸の有効活用としても編めるものだ。
でも、なんていふのかな、本を買つて、それを見ながら編むときに、本に指定されてゐるものと全然違ふ糸を使へるといふのがいいんだな。
大きさを確かめながら編めるから、できあがつたときに大きすぎるとか小さすぎるとかいふこともないしね。

それでいふと、やつがれの手はぼつてりとした手で縦に小さい。
横といふか厚みといふかにあはせて編むと、縦が長くなる。
そんなわけで、最初に編んだミトンも今回の縄編みのミトンも縦に長くなつてゐる。
二番目に編んだボッブル模様のミトンがさうならなかつたのは、模様ゆゑか、それともこのミトンだけ二段に針の両端で一目づつ増し目をするからか、どちらかが原因だらうと思つてゐる。

増し目の仕方は毎段最初の目を増やすといふのが好きかな。
本では「風車型」と呼んでゐる。
曲線が生まれるのがおもしろい。

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Friday, 19 January 2018

kakuno 用ペンケース

コクヨのネオクリッツフラットを買つた。

NEOCRITZ FLAT

以前から kakuno などの廉価な万年筆を持ち歩ける筆入れがほしいと思つてゐた。
これまではナガサワ文具センターの五本用や七本用のペンケースに一、二本ほど入れてゐた。
持ち歩く荷物削減にともなつて、ペンケースは七本用だけを持ち歩くことにした結果、kakuno などはすべて家で使ふやうになつた。
ちやうど Moleskine を使ひ終へたから、といふこともある。

kakuno にはプラチナ萬年筆のインキであるシトラスブラックとラベンダーブラックとを入れたペンがあつて、Moleskine に書き込むのに重宝してゐた。
裏抜けすることがないからだ。
それが、Moleskine を使ひ終へ、LEUCHTTRUM 1917 を使ふやうになり、裏抜けの心配をする必要がほぼなくなつた。
それで持ち歩く機会が減つた。

持ち歩く機会が減ると使ふ機会もおのづと減る。
起きてゐるあひだ大半の時間は職場で過ごしてゐるからだ。
これではいかんといふので、せめて kakuno だけでも持ち歩きたいといふので、軽量かつ小さなペンケースを探してゐた。
そこで、NEOCRITZ FLAT である。

もつとも薄い形で持ち歩かうとすと、ネオクリッツフラットに入れられるカクノの本数は五本までだ。
いろいろ考へて、カクノは四本にし、あと三菱鉛筆はuniのStyle Fitの三色ボールペンとエルバンの万年筆とを入れた。

NEOCRITZ FLAT

最初はStyle Fitかエルバンかどちらかにしやうと思つてゐた。
修正テープとしてPLUS の whiper petit を入れたところ、ペンが五本でもそれなりに厚みが出てしまふことが判明し、Style Fitもエルバンも両方入れることにした。
薄さはそれほど損なはれてゐないと思つてゐる。

開いて筆立て状態にしたときはなんとなくスカスカしてさみしいけれど、なに、入れすぎないことがいいのだ。

ネオクリッツはこれで三つめだ。
最初のはいただきもので、職場で使用してゐる。
二つめは自分で買つたもので、家で使用してゐる。
さう、両方とも現在は筆立て状態になつてしまつてゐるのだつた。
あれこれつめこんでゐるうちに、ファスナーがとじなくなつてしまつたといふのがひとつ。
また、それまで使用してゐなかつた筆立てがあると便利といふことに気がついたからといふのがひとつだ。
どちらか、できればどちらとも筆箱として使ひたいと思つてゐるのだが、ほかに筆立てを用意しないとムリな状況である。またはペンを捨てるか、だ。

そのせゐで、ネオクリッツを買ふことには躊躇する気持ちがあつた。
買つてもどうせまた筆立てになつてしまふに違ひない。
さう思つてゐたからだ。

今回買ふに至つた理由は、ネオクリッツはやはり使ひやすいといふことと、フラットなら荷物もそんなに増えないし、入れすぎないやうに使へばなんとかなるのではないかと思つたからだ。
なんとかしたいと思つてゐる。

ネオクリッツは、かぎ針入れにもいいなあと思つてゐる。
そのうちまた増えてゐるかもしれないな。

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Thursday, 18 January 2018

見果てぬ夢の武蔵坊

先日、中村吉右衛門の富樫の夢を見た。

現在、歌舞伎座では高麗屋三代同時襲名興行の真つ最中だ。
Twitter の TimeLine には毎日のやうに夜の部の「勧進帳」の富樫がすばらしいといふつぶやきが流れてくる。
富樫は吉右衛門が演じてゐる。
それで夢に見たのだらう。
吉右衛門の富樫がすばらしいことはよく知つてゐるけれど、今回は格別なのらしい。
まだ見てゐないので期待がふくらむのだつた。

夢の中でも播磨屋の富樫はそれはすばらしかつた。
明晰なせりふ、それによつて導かれる鉄壁のやうな関守の姿。
凛然たるさまは、旧暦三月の北陸の寒ささへ思ひ起こさせる。
旧暦三月のころの北陸には行つたことはないけれど。

そんなすばらしい富樫と一緒に舞台に立つてゐるはずの弁慶や義経をはたして誰が演じてゐたのか。
夢の中でも夢から覚めても判然としなかつた。
誰だつたんだらうなあ。
吉右衛門があれだけすばらしいのだから、弁慶も義経もさぞかし絶妙な配役だつたのだらう。

さう思ひつつも、弁慶を誰が演じてゐたのかはつきりしない理由はなんとなくわかつてゐる。
これまで自分の理想の「勧進帳」の弁慶といふものを見たことがないからだ。

誰の弁慶はいい、いや彼の弁慶も最高だ。
さういふ話はつとに聞く。
けれども、どうも自分の好みにはいまひとつ合はないのだつた。
最近の弁慶は、なんだかちよつと賢すぎる気がするからだ。

考へてみれば、賢くなければ数多の関をとほりすぎ、いままた富樫を説得することなどできるはずもない。
勧進帳を読めといはれてとつさに白紙の巻物を手にしてあたかも勧進帳に見せかけることを思ひつきさらには実行したりだとか、山伏問答をしたりだとか、賢くなければムリ。

でもなー、なんか違ふんだよなあ。
弁慶つてさー、もーちよつと、こー、脳みそより肚なんぢやないの?
知性のきらめきより胆力の重々しさなんぢやないかなあ。

思へば。
自分の見てきた時代劇の主人公といふのはあまり脳みそは使はない気がするのだつた。
水戸黄門は頭脳戦かどうかよりともかく「先の副将軍である」といふ身分でものごとを解決してゐる。
身分を隠して隠密行動をとる、といふのはそれなりに頭がいいやうな気もするが、どうも水戸黄門に関してはさういふ感じはしない。
ご隠居が好き勝手したいからさうしてゐる。
そんな感じがする。

遠山の金さんにしても銭形平次にしても、頭を使つて謎を解くといふよりは地道に足を使つていろいろなことを見聞きし調べてゐるといつた印象だ。

退屈の殿さまも、実際はいろんなことを考へてゐるのかもしれないが、その押しの強さでなにもかも解決してしまつてゐるといふ印象がある。

時代劇で頭がいいのは大抵悪役だ。
ドラマの中で脳みそを頼りにあれこれ行ふのは悪役なのである。

そして、時代劇の源流は歌舞伎にある。
そんな気がしてゐる。

歌舞伎の主人公……といつて誰を主人公ととらへるのかはむつかしい問題なのだが……で頭を使ふのつて、粂寺弾正くらゐしか思ひつかない。
やつがれが知らないだけでほかにもゐるのかもしれないけれど。

「勧進帳」も誰が主役なのか、考へ出すとやつかいだと思ふのだが、まあ、一般的には弁慶なのだらう。
その弁慶が賢い。
なんか違ふ気がするのである。

といつても、昨今見る弁慶見る弁慶、みな賢さうなので、もう弁慶といふのはさういふものになつてゐるのだらう。
「賢すぎる」とか文句を云つてゐるやつがれの方が時代遅れなのだ。

見たことはないけれど、以前は富樫もまたどちらかといへば頭のよささうなタイプではなく、山伏問答などは弁慶と富樫との肉弾戦の様相を呈してゐた、のらしい。
さうなると、富樫ひとりが賢くなつてしまふとバランスがとれなくなる、といふことなのかな。

いづれにしても、今後も理想の弁慶には会へさうにはない。
かうして見たこともないものを追ひ求めてしまふ所以は橋本治にあるのだらうな。

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Wednesday, 17 January 2018

Creative ぢやないからさ

職場にゐるとほとんど書けない。

書く仕事ではないのだから当然といへばさうなのだが、でも仕事の上でのメモとか、もつとなにか書くことがあつてもいいのではないかと思ふ。

なにか思ひついたら即書けるやうに情報カードとペンとはつねに手元においてある。
会議中は情報カードを出すのはちよつとはづかしい気もするので、システム手帳を開いてゐる。
情報カードがはづかしい気がするのはまだまだカード初心者だからかな。

いづれにしても、書く体勢はととのつてゐる。
しかるに書けない。

それもしごく当然、と世の人は云ふ。
やつがれは基本的には座席に座つた状態で仕事をしてゐる。
机の前に座つた状態ではアイディアは浮かびにくい。
さういふものなのらしい。
気分転換に歩いてみるといいといふ。とくに外を歩くのがいいのださうだ。

うーん、さういふ時間はあまりないなあ。
たまに思ひついて外を歩いてみたりするのだが、いまの時期は寒くてどうにもならない。
云ひ訳か。
云ひ訳だな。

いづれにしても、机の前に座つてゐてなんぼな仕事をしてゐる。
席を離れてゐる状態が長いとさぼつてゐると思はれることは必至だ。

かういふ状態では、人間はあまり creative な状態にはなれないのだといふ。

うーん、さうなのかな。
まんが家とか小説家とか、机の前で仕事をするのぢやあるまいか。
アニメータもさうか。

さういふ職業の人はまた違ふのかなあ。
机の前に座つてゐてもアイディアが出てくる、とか。
あるいはかういふ職業の人は、机の前に座る前にすでにアイディアをいろいろと出してゐて、これでよしとなつたときに席につくのか。
さうなのかもしれないな。

去年の三月このかた、「書けない」「書いてゐても楽しくない」といふやうなことを書いてゐた。
それが最近、それも先週の火曜日くらゐから突然書きたい病にうかされてゐる。
なにがきつかけなのか、自分でもよくわからない。
単にさういふ波がきたといふことなのだらう。

いづれにしても書きたい。
なんでもいいから書きたい。
でも職場ではさうもいかないので、職務を遂行する上で思ひついたことなどを書き留めてゆきたい。

それができないのである。
できないといふことが、気に入らない。
なんかもつと書かせろー!
と、心の中で叫びつつ、どうにもならないのだつた。

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Tuesday, 16 January 2018

ベレー帽を整形するには

ノールビンドニングのベレー帽は編み終へた。
あとは糸端の始末や整形をする必要がある。

はじめてのノールビンドニング」には糸端の始末の仕方もていねいに解説されてゐる。
すなはち、見ながら糸始末をする必要があるといふことでもある。
いづれにしても、初心者でしかも周囲に教へてくれる人のゐない人間にはありがたい。

ベレー帽はちよつと小さめにできてしまつた。
どうも増やし目が足りなかつたやうだ。
平らに円形に編むのはかぎ針編みでもよくするので分散増目のやり方はわかつてゐるつもりでゐた。
でもなにかが違つたのらしい。
まあ、ベレー帽らしい形にはなつたし、本にも整形するときに平らになるやうにすると指示があるので、いいかな。

ベレー帽の整形には、「この形にしたい」といふサイズの円形の皿や盆があるといい。
水通ししたベレー帽の中に皿または盆を入れて乾かすと、希望通りの大きさ・形になるといふ寸法だ。

皿か盆か、か。
あつたかなぁ。
まだ探してはゐない。
以前、棒針編みでベレー帽を編んだときは、皿を使つた。
かなり小さめだつたのであまり意味がなかつたんだよな。
どうしてもないなら段ボールを円形にくり抜いて使ふといふ手もあるか。

といふわけで、まだお披露目できるやうな状態にはない。

それにしてもノールビンドニングは楽しい。
はじめると、延々とやりつづけてしまふ。
最初は「こんな時間のかかる手芸、自分にできるのだらうか」と思つてゐたが、できるもんだねえ。
楽しいからだね。
いまはいただきものの毛糸でリストウォーマのやうなものを作つてゐる。
毛糸は織りの経糸に使つたものとのことで、一本一本は短い。
でもつなげやすい糸なので、つなぎつなぎ作つてゐる。
ミトンとかリストウォーマとか、似たやうなものしか作つてゐないな。
ノールビンドニングではスリッパを作るといふ野望もある。
いつになつたら着手できるかなあ。
その前にノールビンドニングをしやすい糸を探さねばならないか。

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Monday, 15 January 2018

ボッブル模様のミトン

ベルンド・ケストラーのミトン」のふたつめができあがつた。

ベルント・ケストラーのミトン

本に掲載されてゐるボッブル模様のミトンである。

糸はダイヤエポカ、針は四号。ほんたうは針は五号か六号で編みたかつたが、残念ながら五本針で適切な長さなものが手持ちになかつた。

以前、ベルント・ケストラーのミトンは途中は輪針で編んだ方が編みやすいのではないか、と書いた。
円周が大きくなるので、40cmの輪針と目数リングとを使つて編んだ方が編みやすい段階がある。
大きくなるまではもつと長い輪針を使つてマジック・ループで編むといふ手もある。
それはさうなのだが、やはり五本針も必要だ。
編みながらミトンの形を作つていくときに必要になる。

……だが待てよ。
ミトンの形を作つていくときには、針が二本あればいい。そのとき必要ではない部分の目を別にとつておく針も必要だが、それは輪針ですむ話だ。
さうか。次に編むときはマジック・ループを検討してみるかな。

と云ひながら、すでに三つ目のミトンにとりかかつてゐる。
やはり本に掲載されてゐる縄編みのミトンを ROWAN のフェルテッド・ツイードで編んでゐる。針は四号の五本針だ。
もうすぐ最初の片方ができあがるところだ。
そして、これができたらこのミトンは打ち止めかなと思つてゐる。すくなくともしばらくは。

三つのミトンを編んで、いづれも本に掲載されてゐる毛糸とは違ふ糸を使つてゐる。
それで困つたことは一度もない。
編みながら大きさを確認すればいいし、ずつと20cmの五本針を使つてゐたので、だいたいこれくらゐの大きさになれば自分の手にあつてゐるのだなとわかるやうになつた。
指定の糸も使つてみたいけれど、手持ちの糸を活用できるのがうれしい。
ボッブル模様のやうな特殊な模様やi-codeどめを用ゐなければ、中細毛糸50g一玉で一対編めるのもいい。

これまではこものといつてひたすらくつ下ばかり編んできたけれど、ミトンもいいなあと思へるやうになつた。
ありがたいことだ。

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Friday, 12 January 2018

増える情報カード

情報カードもだいぶたまつてきた。

情報カード

コレクトの木製のカード入れに入れてゐるのだが、ほぼいつぱいである。
タグのついてゐないのは三年前に書いたカードで、ついてゐるのは去年の十一月以降に書いたものだ。
タグはPoICを参考につけてゐる。

情報カードを使ひはじめたのは、いはば「偶然の出会ひ」を求めて、だつた。
Aについて書いたカードがあつて、それとはまつたく関係のないBについて書いたカード、Cについて書いたカードがある。
それを並べてみたときになにかしら関係性を見てとることができないだらうか。
あるいは全然違ふ考へが浮かんだりしないだらうか。
リニアにならんでゐたら気がつかないこともバラバラにならべてみたらわかることもあるのではないか。
さう考へたのである。

「偶然の出会ひ」的なことはいまのところ全然できてゐない。
カードが少なすぎるといふこともある。
かうしてみるとたくさんあるけれども、内容としてはまだまだ少ない。
それと、カードを取り出してならべてみる時間がなかなかないといふこともある。
これは時間をとつてやつてみるしかないなあ。

もうひとつ、情報カードを使つてやりたかつたことに、メモ書きは情報カードにして、手帳には情報カードの内容をふくらませたものを書く、といふのがある。
これはできてゐると先日も書いた。
完璧とはいへないけれど、情報カードに書いておいた内容をあらためて文章に起こすことはある。
かういふ使ひ方が今後もできるやうなら、情報カードを使ひつづけてもいいかなと思つてゐる。

いづれにしてもかうしてタグがならんでゐるのを見るだけでも楽しいしね。
問題はなにか箱を探さねばならないといふことだ。
せつかくだからなにかおいしいお菓子でも買つてその箱にカードをためることにしやうかな。

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Thursday, 11 January 2018

今年の手帳 2018 その他

Bullet Journal 用のシステム手帳のほかに、今年も5×3の情報カードと Leuchttrum 1917 のポケットサイズとを持ち歩いてゐる。
どちらかはやめやうといまは思つてゐる。

自分に向いてゐるのは手帳かな。
一ページ一内容でだらだらと文を書き連ねる。
この方が、一カード一内容で箇条書きかそれに毛の生えたやうなものを書き付けるよりは自分に向いてゐる。
なにしろもう十年近くさうしてゐるんだから向いてゐるんだらう。

しかし、情報カードもたまつてくるとおもしろい。
PoICの要領でタグづけをしてゐると、カードを並べたときに模様があらはれる。
それを見ると「よく書いたな」といふ気がしてくるのだつた。

情報カードにしたのは、書いたことを見返すのにいいだらうと思つたからだ。
いまのところ、さういふ機会をあまり作れてゐない。
一週間分まとめて箱に入れるときに読み返すくらゐで、それ以前のものを読み返す機会を持てずにゐる。
カードはいまはコレクトの専用の木製の箱に入れてゐる。そろそろ入りきらなくなつてきたので、なにか箱を見つくろはねばならない。
なにかおいしいお菓子でも買つてくるかな。
それとも、情報カードはこれまでといふことにすべきだらうか。
でもお菓子を買ふ口実にはなるよな。

Bullet Journal と情報カードと綴じ手帳と、おなじことを最低三度書くこともある。
それはあまり無駄とは思はない。
一時記憶に書くか不揮発なメモリに書き出すかといつたところか。
この場合、一時記憶もあとあとまで残ることになるのだが。
また、Bullet Journal や情報カードに箇条書きにしたものを文章の形におこして綴じ手帳に書くこともある。
情報カードはもとからさういふ風に用ゐやうと思つてゐた。
情報カードにはメモだけ書いておいて、あとでまとめるつもりでゐた。
なのでそんなに無駄でもないのかな、といふ気がしてゐる。

無駄ではないが、持ち歩くものや管理するものが増えるのは本意ではない。
とりあへず三月くらゐまではこの体制で過ごしてみて、なにを切り捨てるかあるいは切り捨てないのかを決めやうと思つてゐる。

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Wednesday, 10 January 2018

今年の手帳 2018

今年も手帳は Bullet Journal である。
バイブルサイズのシステム手帳で実施してゐる。
Bullet Journal は綴じ手帳で行ふものだが、一昨年の五月からシステム手帳に切り替へた。それで支障なく使へてゐる。

システム手帳のカヴァはHIRATAINDER、リフィルは週間予定用にスライド手帳、残りのほとんどは5mm方眼用紙だ。
今回Collectionページ用に筆文葉の横罫9mmを使ってみてゐる。あとちよつとした覚え書き用におなじく筆文葉の水玉を用ゐてゐる。
そんな感じで、リフィルはごくシンプルだ。

さう、今年はColelctionページを作つてみることにした。
いままでは独立したCollectionページを設けることはなく、Daily Log にすべて書いてゐた。
Collectionページを作りたい、とは、去年から書いてはゐる。
さうしなかつたのは、システム手帳を使ひながら綴じ手帳のやうに使つてゐたからだ。

Bullet Journal では、手帳に見出しとページ番号とをつけて、Indexでなにがどこにあるのかわかるやうにしてゐる。
ゆゑに、ひとつの内容であつても、別の内容をあひだにはさんで不連続なページに書くことがある。
やつがれの例でいくと、去年のいまごろ中村萬太郎の歌舞伎座ギャラリーでの歌舞伎夜話に行つた。このときの内容を Bullet Journal に書き出していつたのだが、一日では書ききれない。数日にわたつて書くことになつた結果、歌舞伎夜話に関するログのあひだに日々のタスクや予定の記述のページが入り込んでゐる。

綴じ手帳を使つてゐたらかうするしかない。
一冊の手帳を分割して Daily Log はここからここまで、その他の本や芝居の感想などで長くなりさうなものはここからここまで、と決めてもいい。
でもこの方法だとページが無駄にあまる可能性が高い。
「この内容はこれくらゐ書くだらう」といふ予想はむつかしいからだ。

でもシステム手帳なら、単にリフィルを分けるだけでいい。
適切にページ番号をふることができれば参照も容易だ。
システム手帳なのだもの、さうするのが一番なのではあるまいか。

と、去年の早い時期から気づいてはゐたが、Collectionページは設けずに一年過ごした。
この先綴じ手帳で Bullet Journal を実践してみたいやうな気もしてゐたからだ。

でもやつぱりシステム手帳からはなれられぬまま、Collectionページを作ることにした。
いまのところ、Collectionは三つある。読み終へた本、見た芝居、あみもの・タティングレースなどで作つたもの、だ。

Daily Log がすつきりして見やすくなつた。
その反面、その月どれくらゐ書いたかがわかりづらくなつてしまつた。
Bullet Journal では、その月に何ページ書いたかがわかりやすい。
その月、どれくらゐ書く余裕があつたかが見てとれる。
読んだ本や見た芝居が多ければそれだけ記述も増える。
つまり、その月にどれくらゐactiveであつたかわかるといふ寸法だ。

それが、本や芝居のことを書いたページを外出しにするとわからなくなつてしまふ。
そこはそれ、なのかな。

Bullet Journal といふと、ページをdecorativeに飾つた手帳が多く見られる。
Instagramなどを見てもさうだ。
やつがれの Bullet Journal は冒頭のリンク先にあるとほりの、単純に箇条書きだらけの手帳である。
それでうまくいつてゐる。
綴じ手帳からはじめて、来月で三年目に突入する。
また綴じ手帳に戻ることはあるかもしれないが、今後もしばらくは Bullet Journal でいくつもりだ。

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Tuesday, 09 January 2018

やめどきかな

この連休は、芝居見物に行つて幕間などにちよこちよこタティングレースをしてゐた。

ちよこちよこなのでほとんど進まなかつたが、手持ち無沙汰のときにはちやうどよい。
がま口の財布にシャトルを二つ入れて持ち歩く。
荷物にもならないし、いい感じだ。

作つてゐるのは栞だ。
もともと栞はあまり使はない。
ゆゑに必要ではない。
いま編んでゐるミトンはこれといつて編み図を見なくても編めるものなので、あみものの本にはさむ栞も必要ない。
ゆゑにのんびり結んでしまふ。

のんびり結ぶのはいいことだ。
とくにここのところタティングとはご無沙汰してゐた。
勘を取りもどすにはゆつくり気をつけながら結ぶのが一番いい。
と、わかつてはゐるのだが、外で結ぶと気をつけてゐるつもりで注意力が散漫になつてゐたりするんだよなあ。
やはり家でのんびりした気分のときに結ぶしかないか。

ところでタティングレースで作りたいものといふのが思ひつかない。
これはやめ時といふことなのだらうか。
作りかけのポーチはなんとか仕上げたいと思つてゐる。
そのあと作りたいものがないんだよなあ。
円形の大きなドイリーを一度は作りたいと思つてゐるけれど、それには整形するための場所が必要である。
その場所がないんだよなあ。
広げられるだけの大きさのドイリーとなると、それほど大きくはならない。

ドイリーはそんなに好きではないけれど、レースといふとドイリーといふ気がする。
それで一度は作つてみたいのだつた。
大きいのをね。

大きいものを作る際の問題点として、「途中で飽きる」といふのがある。
また、あまりにも修復不可能な失敗をしてしまつて、「やる気が削げる」といふこともある。
それを乗り越えても作りたいドイリーを探さないとな。
まづはそこからか。

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Monday, 08 January 2018

ベルント・ケストラーのミトンの使用感

新年早々、ベルント・ケストラーのミトンを編み上げた。

ベルント・ケストラーのミトン

基本の風車型を Regia のくつ下毛糸を0号針で編んだ。
くつ下毛糸で編むとひねもすだなーと思つたが、まあできあがつた。
20cm五本針で編んで、それで最初から最後まで編めたけれど、親指は袋編みをした方が楽さうだし、あるていど増やし目をしたら輪針でマジック・ループの方が楽に編めさうだ。輪針で編む場合、目数マーカーのやうなものは必ず使ふやうだけれど。

くつ下毛糸を細い針で編んでゐるので、編み地はうすい。
しかし、そのわりにあたたかい。
普通に編んだ指なし手袋よりもあたたかい。
ほぼ指の先まで覆ふくらゐの長さがあるからかな、と思ふ。
これまで編んだ指なし手袋は指の第一関節を覆ふかどうかといつた長さだ。
それでベルント・ケストラーのミトンの方があたたかいのだらう。

もうひとつ、形に理由があるのかもしれない。
ベルント・ケストラーのミトンは手を包み込むやうな形をしてゐる。
普通に編んだ指なし手袋は筒状に細長く編む。
ベルント・ケストラーのミトンの場合は正方形を編むやうにして最後に向き合つた辺同士をはぎあはせる。これがちやうど手を包み込むやうな形になる。
それであたたかいのではないかと思ふのだがどうだらうか。

ミトンはほぼ指先を覆ふやうな長さなのでPCのキーボードを打つのには向かない。
しかし指は出てゐるのでスマートフォンの操作には支障がない。
一対編んだあと、ボッブル模様のミトンを編んでゐる。
片方できたところ、くつ下毛糸で編んだものよりだいぶ指先が出る。
模様編みのせゐなのか、それとも風車型ではなくトライアングル型だからなのか、そこのところはよくわからない。
くつ下毛糸で編んだときは手首がちよつと細くなりすぎるなーと思つてゐたが、ボッブル模様のミトンの方はさうでもない。ボッブル模様が伸縮性のある模様だからかもしれない。

ベルント・ケストラーのミトン

このミトンは、編みながら形を作つていくところがおもしろい。
どうなるかわかつてゐても、向かひ合つた辺同士をはぎ合はせていくところで「よくできてるよなあ」と感じ入つてしまふ。
指定糸やそれに近い糸は手元になく、持つてゐる糸のなかで使へさうなものを選んで編んでゐるが、それでなんとかなつてしまふところもいい。
編んでゐるときに思つたほど糸の使用量も多くないしな。
くつ下毛糸なら50g一玉あれば一対編める。手の大きい人だとカフが短くなるかもしれないけれども。

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Friday, 05 January 2018

solitude実践

昨日は、午前九時台から午後九時台まで、cyberspace には行かないやうにしてゐた。
Solitude といふ本を読んだからである。

これまでも、休日の一日一歩も外に出ず、誰とも会はず話さずに過ごすことといふのはあつた。
しかし、さういふ日も、MacbookやiPhoneからネットにアクセスはしてゐた。
Twitter を眺めてときに呟き、ちよつと疑問に思つたことは即Web検索するなどしてゐた。

それは solitude とはいへない。
本を読むとどうもさういふことらしかつた。

loneliness と solitude とは違ふものである。
日本語に訳してしまふとどちらも「孤独」といふことになる。
loneliness は孤独であることを否定的にとらへる際に使ひ、solitude は孤独であることを楽しむ際に用ゐる。
Solitudeからはさう読みとれた。

たぶん、自分は「孤独」を「solitude」と呼べる方だと思ふ。
大型連休になると二日くらゐは誰とも会はないこともある。
それで痛痒を感じることはない。
むしろ、積極的に誰とも会はない状況を作らうとすることもあるくらゐだ。
三日にしないのは、出かけないと足が弱るからだ。それでなくても体力は衰へがちである。
今回も二日にしてみやうとしてやめたのは、歩きに行かないと体力がつかないと思つたからだ。

半日通信を絶つてなにか特別なことをしてゐたかといふと、そんなことはない。
いつもひとりで過ごすときと同じやうに、酒を飲みながら本を読み、録画を消化し、ときに手帳や情報カードにあれこれ書き付ける。
いつもしない特別なことといつて、出しそびれてゐた年賀状を書いたことくらゐだ。

いつもなら本を読んだり録画を見たりしてゐるときに「これだ!」と思ふことがあると呟いてゐたところは、紙に書き記してみた。
最近は、呟かうかなと思つても、とりあへず手帳に書いてみて、それで満足したらそれまでといふことも多い。

そんなわけで、通信を絶たうが絶つまいが、やつてゐることはおなじで、とくに不都合は感じなかつた。
とくにいまどうしても「これを知りたい!」といふことに出会はなかつたからかもしれない。
あつたらやきもきしたかもしれないな。

これからも誰とも会はない日を作るつもりでゐる。
なんかわかんないけど、さういふ日が必要なんだよ。困つたことに。
でも、そのときに通信を絶つかどうかはわからない。
今回やつてみてあんまりいつもと変はらない気がしたからだ。
半日と云はず、朝起きてから夜寝るまでアクセスしなかつたら違ふのかなあ。
機会があつたら試してみるか。

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Thursday, 04 January 2018

睡眠不足は extreme な考へを誘発する

この年末年始も「その日のうちに就寝して自然に目が覚めるまで寝る」を励行してゐる。
ここのところ大型連休のときはさうするやうにしてゐる。
休みの初日と二日目とは零時ギリギリの就寝で実のところはその日のうちに布団に入れてゐないだらうといふcheatぶりだつたが、その後は順調に二十三時台、二十二時台に布団に入れるやうになつた。
朝も二日は芝居に行くので目覚まし時計の力を借りたけれど、それ以外は目覚めるまで寝てゐた。
今朝などは六時ちよい前に目覚めたほどだ。その後しばらく布団の中でぼんやりして、六時半すこし前に起床した。
大型連休のあひだ早寝早起きを励行するやうになつて以来はじめてうまくいつたんぢやないかな。
そのせゐか風邪をひいてはゐるものの、体調はそんなに悪いといふ気はしない。
風邪をひいてゐるので無理をしてはいけないとしたくないことはしない云ひ訳にしてゐるのもいいのかもしれない。
また、一日一日をどう過ごすかを決めてほぼそのとほりに過ごせてゐるのもいいのかなとも思ふ。これには Bullet Journal が効いてゐるのだが、それはまた別の話。

かういふ生活がいいのだらうな。
二十二時台には布団に入つて、自然に目が覚めるまで寝る、といふのが。
実をいふとここ二、三ヶ月といふもの寝つきが悪く、この休みのあひだも布団に入つてから一時間くらゐは眠れてゐないやうすなのだが、「なに、その分朝ゆつくりしてゐればいいのだ。場合によつたら昼寝をしてもいい」と考へることができるので、ストレスにならない。
普段もなかなか寝付けなくても気にしないやうにはしてゐる。でも休日の「寝足りなかつたら補へばいい」といふ心理的負担のなさにくらべたら雲泥の差だ。

なぜ自分はこんなに早寝早起きにこだはるのだらう。
早寝早起きしてなにかいいことがあるのだらうか。
睡眠をとるだけなら遅く就寝したら遅く起きればいい。
長いこと大型連休のときはさうしてきた。

多分、それではたいして寝た気にならなかつたからだらうな。
それだとあまり眠つた気にならない。
睡眠を十分にとるのに必要なのは、実は早く寝ることなのかもしれない。
寝つきが悪いとそれもむつかしいので、つひ朝寝坊することになつてしまふ。
眠れなくても早く布団に入ればいい、とわかつてゐても、その寝付けぬ時間がもつたいない。

休みのあひだに早寝早起きをすることで、通常運行に戻つたときにすくなくとも朝起きる時間だけはそれほど変はらないといふのもいい。
休みのあひだに遅寝遅起きをしてゐると、いざ出勤しやうといふときに日本にゐながらにして時差ボケを起こすことになる。
これを避けられるといふのは大きい。

さうなると、今度は仕事に行きながら早寝をしたい、といふことになるのだが。
これがなかなかむつかしい。
就寝前三時間は食事をするなと人はいふ。
これを守らうとすると、就寝時間はどんなに早くても二十三時半以降になる。
そして、二十三時半に布団に入らうとすると、なぜか二十四時以降になつてしまふ。
二十三時に布団に入らうとすればいいのだが、これがなかなかむつかしい。
就寝前にしてゐることが楽しいからだ、とは以前ここに書いた。

夕食をけづるしかないか。
これも何度もここに書いてゐるな。
夕食を食べないことにすると、食べる時間はもちろん、支度する時間やかたづけをする時間もかからない。
その分帰宅後に使へる時間が増える。
食べてゐないのだから好きな時間に布団に入ることができる。
問題は空腹で寝付けないのではないかといふことだが、夕飯は食べないといふことに慣れたら大丈夫なのではないかといふ気もする。

明日出勤したらまた三連休だ。
そのあひだにちよつと考へるか。

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Wednesday, 03 January 2018

トワイライト・ウルトラ・ゾーン

「ウルトラセブン」の再放送が終はつてしまつた。
「ウルトラセブン」を見てゐてときをり感じてゐたのは、「なんだかまるで普通のドラマだな」といふことだ。
たとへば最終回に近い「あなたはだぁれ?」だ。
夜、小林昭二演じるサラリーマンがかなりきこしめした状態でタキシーに乗り、団地にある我が家に帰る。
出迎へかと思つた自分の妻も子も自分のことを知らないといふ。
近所の人も同様。
いつも挨拶してゐる交番の警官もまつたく自分のことを知らないやうだ。
困つたサラリーマンは公衆電話から電話をかけて助けを求める。
ここまでのやうすがまるで普通のドラマのやうだつた。
こども向けの特撮ドラマといふ感じがまるでない。
おそらく実際の団地でロケをしたのだらう、なにもかもとてもリアルなのだ。
小林昭二のサラリーマンもさうならその妻とおぼしき三條美紀もさう。近所の人々もだ。
演技もさうなら、衣装その他も大仰なところがまるでない。極めて自然で、当時ならさういふ服装もしてゐたらうといふやうすだつた。

さういへば「仮面ライダービルド」の浜田晃の登場場面にもさういふのがある。
銭湯とか神社の境内とか、さういふところに政界の黒幕がゐて、一見普通の人と変はらぬやうすでゐながらなにか悪事を企んでゐる。
さういふことは普通にありさうだ。すくなくともドラマの中ではあつてもをかしくない。
銭湯は若干唐突ではあつたものの、それ以外のとくに政治家の登場場面のセットが見るからに作りものなことを考へると、浜田晃の演技も含め、このまま二時間ドラマだとかゴールデンタイムに放映するドラマの一場面として用ゐてもをかしくない。

「あなたはだぁれ?」は舞台や人々のやうすをリアルにすることで恐怖感をあふらうとしたのだらう。
どこにでもあるやうな団地で、帰つてくると家族は自分のことは知らないといふ。
団地ごと宇宙人に乗つ取られてしまつたからだ。
あるいは原因は宇宙人ではないかもしれない。
たまたま自分がなにかのタイミングで異次元・異世界にすべりこんでしまつたのかも。
「ウルトラQ」から流れる「トワイライト・ゾーン」のやうな世界がそこにはある。

最近の特撮ヒーローものドラマにはない要素だ。
あるいは東映が「トワイライト・ゾーン」的なものに興味がないのかもしれない。
とくに戦隊ヒーローものは見るからに作りものといつた印象のセットが多いやうに思ふ。
現在のキュウレンジャーの宇宙船にしてもトッキュージャーの電車にしても、あるいはジュウレンジャーの人々が普段集まつてゐた場所の作りにしても、どこをとつても作りもののセットだ。
仮面ライダーもエグゼイドの病院の一室などは同様に見えたし、全般的に喫茶店やバーの作りも「こんな店ないよね」といつたやうすが見てとれる。

さう考へてみると「太陽戦隊サンバルカン」のサファリはよくできてゐたんだな。
セット自体はどこにでもありさうな喫茶店のそれだつた。
外観がうつることがあるからよけいにさう思つたのかもしれない。

作りものめいたセットが悪いといつてゐるのではない。
いつから作りもののセットがあたりまへになつたのかに興味があるのだつた。
いや、そらウルトラ警備隊の基地なんかだつてこれ以上の作りものはないよ。
「ウルトラセブン」の第一話などもよくぞ模型でここまで真に迫つた大火災を撮つたな、と思ふし。
でも、なんていふのかな、戦闘シーン以外の場面、普通の生活を描く場面を如何にも作りものですといつた風のセットで撮るやうになつた時期といふのが多分あるのだと思ふ。

模型で本物と見まがふやうな大火災といへば「怪奇大作戦」の「呪いの壺」だらうか。
去年「帝都物語」を見て、「「呪いの壺」の火災場面の方がずーつとよくできてゐる」と思つた。
残念ながら放映開始50周年を迎へる今年「怪奇大作戦」の再放送はなささうだ。少なくともやつがれの見られる局ではないらしい。
また「呪いの壺」を見て「寺が燃えてる!」と勘違ひする人がゐても困るのかもしれないな。

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Tuesday, 02 January 2018

タティング初め

タティングレースは久しくしてゐない。
といふわけで、今日歌舞伎座の昼の部を見にいくにあたり、幕間にでもちまちま結ばうと、久しぶりにシャトルに糸を巻いてみた。
糸は Lisbeth #40 の Col.134 Mountain Breeze だ。
まつたく季節を無視した色だが、たまたま手元にあつた。
なんとなく秋枯れの山といつた感じがする色合ひである。

作つてみたのは Jane's Bookmark だ。

Jane's Bookmark in progress

すでに何度も作つたことのあるパターンである。
何度も作つたことはあるものの、スプリットリングとかあつてなかなか作りづらい。
久しぶりなんだからもつとかんたんなものにすればよかつたと思つても後の祭りである。

でも何度も作るやうな模様なので作つてゐて楽しかつた。
幕間がもつと長ければいいのにと思つたほどだ。
今月の歌舞伎座は高麗屋三代同時襲名といふことで大変賑はつてをり、演目も配役も華やかで見てゐて楽しかつたにも関はらず、だ。
なにがよくてそんなに何度も作つてしまふのか。
リングだけでできてゐるといふところがいいのかな。
どうもさういふモチーフやエジングを好む傾向にある気はする。

この年末年始の休みには栞でも作つてタティングのリハビリをしやう。
さう思つてゐた。
リハビリにするにはちよつとむつかし過ぎるものを選んでしまつたやうだが、また幕間にでもちまちま結びたいと思つてゐる。
今月はまだ国立劇場、浅草公会堂、歌舞伎座夜の部と都合三回は芝居を観にいく予定だしね。

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Monday, 01 January 2018

おもしろい形のミトン

仕事納めの二十九日に「ベルント・ケストラーのミトン」を購入した。
# ドイツ語では単語の最後の子音は清音になるのでm(_ _)m。

Mitten by Bernd Kestler

三十日に編み始めた。
糸はRegiaのくつ下毛糸で針は0号である。
編み始めた当初、失敗したなと思つた。
糸と針とが細過ぎて、編んでも編んでも進まないからだ。

進まない理由はもうひとつあつた。
編んでゐて、楽しくないのである。
選んだのは基本の風車型のミトンだつた。
増し目以外はひたすらメリヤス編みをするパターンである。
輪にしてひたすらメリヤス編みといふのは、やつがれのもつとも好きな編み方だ。
だといふのに、楽しくない。

おそらく、年末の疲れが残つてゐたんだらうなあ。
疲れてゐるときはあみものをしてゐても楽しくない。
編んでゐて楽しいかどうかが気分のバロメータになつてゐる。
といふか、楽しくないときは、かなりヤバい状態だ。
さうなる前に十分休息や睡眠を取る必要がある。
でも、楽しくない気分といふのは突然にやつてくる。
その前の予兆といふものがない。
いや、まつたくないわけではない。
「今月、休めてないなー」「でももうすぐ年末年始(または「五月」「九月」)の休みがあるから」などと考へてゐるあひだに気づかぬうちにヤバい状態になつてゐる。
就職してから、まつたく変はつてゐない。
最近はそれに気がついて、大型連休を目前に控へながら「ヤバさう」と思つたら休みをとるやうにしてゐるけれど、さういつもいつも休むわけにもいかないしねえ。

楽しくなつてきたのは大晦日の日暮れ後だつた。
それくらゐかかつた。
去年は十月に病気をしてから体力がめつきり落ちてしまつた。
思ふやうに歩けなかつたせゐだらう。
歩くスピードはもとに戻つたけれど、歩ける距離は短いままだ。
忙しさへの耐性も落ちてしまつた。
以前なら週に一度くらゐは終電間際に帰つてもなんとか過ごせたものを過ごせなくなつてしまつた。

今年は、楽しく編んでいけるといいなあ。

ところでベルント・ケストラーのミトンである。
形がおもしろいよね。
手袋やミトンの課題として、「指の部分は糸を切り、あとで足して編まねばならない」といふことがある。
これが苦にならない人もたくさんゐるだらう。
残念ながらやつがれはこれが苦になる方だ。
だから編んでゐる途中に糸を切る必要がない(ある編み方もあるけれど)くつ下を好んで編む。
このミトンは途中で糸を切つたり足したりする必要がない。
いいなあ。

本には模様編みの入つたミトンも掲載されてゐる。
表目と裏目だけで編むニット」といふ本を出すだけあつて、さういふ模様が多いやうだ。
これもまたおもしろい。

編み始めた直後は楽しい気分になれなかつたので「もう編まないかも」と思つてゐたが、気分が上向きになるとあれもこれも編みたくなる。
もう片方を編んだらもうちよつと太い糸で今度は模様編みのあるミトンを編んでみるつもりでゐる。

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12月の読書メーター

12月の読書メーター
読んだ本の数:10
読んだページ数:2566
ナイス数:37

新釈漢文大系  115 史記(列伝六)十三新釈漢文大系 115 史記(列伝六)十三感想
酷吏って郅都より前にはいなかったんだろうか。単に記録が残ってないだけなのかな。張騫の匈奴の妻子はどうなったんだろう、というあたりから行間を読んで物語を作ったりしちゃうのかもしれない。亀策列伝を読んでいると「易経」を読み返したくなるな。
読了日:12月02日 著者:青木 五郎
太陽と乙女太陽と乙女感想
森見登美彦は虎を内に潜めているのか。いいなぁ、虎。虎なら人に云っても恥ずかしくない。こどものころから作った物語を母親に話して聞かせていたというから、世に恥じることはなにもないのだろう。だから虎なのかもしれない。
読了日:12月04日 著者:森見 登美彦
毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術感想
誤字脱字のチェックをする必要が生じたので再読。やはり「違和感を与えるうちはやめた方がいいでしょう」というような指摘に戸惑ってしまう。違和感を与えているかどうかって、どうやったらわかるんだろう。使っている方は違和感がないから使っているのではないのだろうか。
読了日:12月05日 著者:毎日新聞・校閲グループ 岩佐義樹
A Christmas Carol (Illustrated) (English Edition)A Christmas Carol (Illustrated) (English Edition)感想
スクルージが先に死んでいてマーレイが生き残っていた場合、スクルージが幽霊としてマーレイのもとに現れただろうか。スクルージにはどこかしら悔い改めそうな部分があったのかなあ。こどものころや若いころのつらい経験を見せつけられるくだりが堪えた。季節ものと思ったけれど、なんとなくスクルージにはずっと冒頭部分のような人物であってほしいような気もする。
読了日:12月12日 著者:Charles Dickens
わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)感想
シャーロック・ホームズは云う: You see, but you do not observe. 「わかったつもり」は見ているだけに過ぎない。観察しないと、ということのように思われる。個人的には三年ほど前に知った言語技術が少しずつではあるものの身についていることが実感できてよかった。
読了日:12月15日 著者:西林 克彦
新釈 走れメロス 他四篇 (角川文庫)新釈 走れメロス 他四篇 (角川文庫)感想
とある下宿とその周辺に関わる人々の物語として読んだ。時系列としては「山月記」が一番あとなのか知らん。「桜の森の満開の下」の最後の方とどっちがという感じか。
読了日:12月19日 著者:森見 登美彦
人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書)人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書)感想
人は多かれ少なかれ先を予想して生きていると思っている。朝この時間に出れば駅でその時間の電車に乗れるはずでそうすると出勤時間に間に合う、というのは予想なのだと思って来たけれど、期待でもあるんだろう。乗れるはずと思っていた電車に乗れなかったり間に合うと思っていた出勤時間に間に合わなかったりするとがっかりするからだ。予想をせずに生きていけるとは思えない。できるだけ期待の要素を少なくしていくしかないか。
読了日:12月20日 著者:千野 帽子
Solitude: In Pursuit of a Singular Life in a Crowded WorldSolitude: In Pursuit of a Singular Life in a Crowded World感想
孤独を楽しめる人は他人または何かとのつながりのある人、ということなのだろうが、そうすると冒頭のイーディス・ボーンの場合はどうなるのだろう。土地勘があるかどうかはかつては死活問題(といったら大げさだけど)だったと云うけれど、だったらなぜ世の中にはこんなに方向音痴な人が多いのか。淘汰されなかったということなのかな。それとも地図が一般的になってから増えたのだろうか。等いろいろ疑問が多い。楽しく読めたということだろう。
読了日:12月26日 著者:Michael Harris
断片的なものの社会学断片的なものの社会学感想
学問からこぼれ落ちるものというのは多いのだろうか。何かがこぼれ落ちていると感じるかどうかなのかな。自然科学だとどうなのだろう。などと考えながら読む。「いまこの瞬間、この人のこういう姿を後々も覚えているのは自分だけだろう」と思う瞬間ってあるよね。
読了日:12月29日 著者:岸 政彦
反省させると犯罪者になります (新潮新書)反省させると犯罪者になります (新潮新書)感想
職場でセキュリティ事故が発生すると当事者による報告が公開される。これがまったく役に立たない。「事故の原因はそれじゃないだろう」と思われるようなことばかり書かれている。その理由がわかった気がする。報告を受け取る側には「再発を防ごう」ということよりも「事故を起こした人間を罰しよう」という意識の方が強いんだろう。
読了日:12月31日 著者:岡本 茂樹

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