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Thursday, 14 December 2017

フェイク忠臣蔵

赤穂浪士の討ち入りの日だ。

と書いて、毎年躊躇する。
あれは旧暦のことのはずだ。
すなはち今日のことではない。
でも暦の上ではディセンバー。
もとい、今日といふことになつてゐる。

以前、門前仲町のあたりに勤務してゐたことがある。
一帯の自治会だらう、この時期になると義士祭みたやうな催しがあつたり、本所の吉良邸後から泉岳寺まで歩く催しがあつたりした。
なので、やはり十二月十四日でいいのだらう。

忠臣蔵といひ赤穂浪士といふ。
そこからして曖昧だ。
忠臣蔵は「仮名手本忠臣蔵」からきてゐるのだらう。
虚構である。
登場人物の名前で実際に討ち入りに関はつたもののうち本名なのは不破数右衛門くらゐなものだ。
ほかは史実にさういふ名前の人物がゐたとしても江戸時代の人の名前ではない。
のこりは元の名前をもぢつたやうなものばかりだ。

赤穂浪士といつてもどこまでほんたうのことなのか。
「風誘ふ」ではじまる浅野内匠頭の辞世の歌だつて偽作といふし。
そもそも、なんで赤穂浪士は吉良義央を討つたのか、その理由もはつきりとはしない。
大石内蔵助はほんたうに昼行灯だつたのか。
赤垣源蔵(といふ名前からしてもぢり名前だが)は帰らぬ兄を待つてひとり酒盛りをしたのか。
大高源吾は橋の上で「明日待たるるその宝舟」と宝井其角に返したのか。

疑つてかかるとなにもなにもアヤシい。
いいのか、ほんたうに。
十二月十四日に赤穂浪人たちが徒党を組んで本所吉良邸に討ち入つた、といふことで。

いいんだらう。
なにがほんたうでなにがうそなのかとか、赤穂義士伝の前ではどうでもいいことなのだ。
浄瑠璃や芝居、講談に残る数多の話は、どれも作りごとなのかもしれない。
でも作りごとだつたところで、誰も困りはしない。

あー、まあ、吉良家の人々にとつては、さうも云つてゐられないか。
でもそれは松の廊下の刃傷事件の後始末が間違つてゐたから仕方がないことなのだと思ふ。
恨むならそこを恨むしかない。
吉良上野介が「そのご裁断はまちがつてゐる」「自分の身に覚えはないことは確かだが、だからといつて浅野家への仕打ちはむごすぎる」と声をげてゐたらどうだつたらうか。
むろん、そんなことばは通らなかつたらう。
通らなかつたらうけれど、すくなくとも赤穂の浪士たちに討ち入られることにはならなかつたのぢやあるまいか。
とはいへ、自分が吉良上野介だつたらどうしたかといつたら、やはり意味も分からず斬りつけてきた相手にのみご処分がくだつたことに安堵してなにもしなかつたとは思ふけどね。

今年は「フェイク・ニュース」などといふことばも流行り、Twitter などではちよつと間違つたことをつぶやくと四方八方から攻撃されるやうな世の中だ。
でも「忠臣蔵」くらゐ大らかでもいいんぢやあるまいか。
ダメなのかな。

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