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Friday, 22 December 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 展示替見学 その二

二〇一七年十一月二七日月曜日、飯田市川本喜八郎人形美術館で、展示替へを見学した。
収蔵庫を見学した我々は、ふたたびホワイエに戻つた。

養生体験の準備のあひだ、ホワイエを見学した。

ホワイエでは、これまで展示されてゐた人形とこれから(も)展示される人形がきつちりわかれて置かれてゐた。
人形にはそれぞれ首から名札が提げられてゐて、今回展示されてゐたか否かと次回展示されるか否かとが記されてゐた。

この時点での配置はこんな感じ。
入口につづくエレヴェータのそばに「項羽と劉邦」などと書かれた段ボール箱がいくつかあつた。「項羽と劉邦」の人形は早々にかたづけられてしまつたのらしい。前日に会ひに行つて正解だつた。

入口からつづく階段に近い方から見て右側、中庭に面した窓付近の机の上にこれまで展示されてゐて今度は展示されない三国志の人形が、そのほぼ向かひの展示室入口付近の机の上にこれまで展示されてをらず今度展示される平家物語の人形が並べられてゐた。

三国志の人形の置かれたテーブルの先には作業台になつたテーブルがあつたやうに思ふ。これからの展示に必要な小道具を準備してゐるやうだつた。

展示室出口の向かひ付近の机にこれまで展示されてゐて今度も展示される三国志の人形がゐた。
張飛の馬が梱包されて箱に入つてゐるのも見えた。
このとき、張飛の馬は機械仕掛けで動いてゐたといふ話を聞いた。
赤兎と玄徳の馬である白竜とは人間が遣ふやうにできてゐるのだが、張飛の馬などは機械で動くやうにできてゐたといふ。
それでときどき脚の動きがメカ馬と似てゐるのだとか。

その奥にこれまで展示されてゐて今度は展示されない「蓮如とその母」の人形がゐた。みんな上から薄葉をかぶつた状態だつたのでよくは見えなかつた。からうじて老いたお蓮にちよつとだけ挨拶できた。

今度も展示される三国志の人形のテーブルのほぼ向かひ、川本喜八郎の一生のパネル付近も作業台になつてゐて、主にアイロン掛けが行はれてゐた。
アイロンは人形に着付けた状態の衣装にかける。
そのため、アイロン台代はりにちいさな板状のものを使つてゐた。
アイロンをかけたい部分の下にその板をあて、その上からアイロンをかけてゐた。
アイロンかけを待つ敦盛が乙女座りになつてゐて妙にかはいかつた。経盛がそばにゐたときもあつて、親子一緒ねー、などと思つたりした。
人形劇の経盛つて、ダンディなをぢさまといつた趣ですてきなんだよね。

アイロンといふと、以前、「馬に乗つてゐた人形の衣装には皺がよつてしまつてなほすのが大変」といふ話を聞いたなあ。半年ほどおなじ格好でゐるので、なかなか皺がとれないといふ話だつた。

作業は川本プロダクションの方々と美術館の方々とでおこなつてゐたやうだ。
川本喜八郎の「チェコ手紙&チェコ日記」に名前の出てくる人もゐたやうに思ふ。

養生体験は、張宝・曹仁・龐統に養生をほどこすといふ形で行はれた。

案内の方がまづ手本を見せてくださる。
最初に刷毛で人形からほこりを落とす。
そつと撫でるやうにはらつてゐた。
ケースの中にゐたからそんなにほこりはかぶつてはゐないといふ話だつた。
このとき、カシラの部分には刷毛を持つていつてゐないやうに見えた。

次に、ベビーパウダーを人形の右手につけ、薄葉を巻くといふ作業をした。
人形の手はフォームラバーでできてゐて、そのままにしておくと指同士がくつついてしまふのだといふ。
それをふせぐためにベビーパウダーをつけてさららさらな状態にしておくのださうだ。
ベビーパウダーは筆にとつてつけた。
衣装にベビーパウダーがかからないやうに使つてゐない手で防ぐといいと教はつた。
このあと、左手にもおなじことをし、両足を薄葉で包んで、最後にカシラに薄葉を巻く。

ほこりを落とす担当、右手担当、左手担当、右足担当、左足担当、カシラ担当といふ感じで見学者は申し込んだ順番に養生の手順を体験した。
自分は龐統の右手を養生した。
手でベビーパウダーが飛び散るのを防ぐのを忘れてしまつたり、薄葉をうまく巻けなかつたりした。
緊張してしまつて。
といふのは云ひ訳で、有り体に云ふと不器用だからである。

でもまあ、緊張したのもほんたうのことだ。
今を去ること三十有余年前、「関羽の死」の撮影を見学に行つたとき、最後に孔明と握手した、あのときのことを思ひ出してゐた。
あの日伏龍の手を握り、いま悠久のときを経て(大げさ)、鳳雛の手に触れる。
人間、生きてゐるといいこともあるものだ。

龐統の右手を養生したあと、おなじく左足とカシラも養生した。順番の関係だらう、毎回偶然龐統にあたつてゐた。
足に薄葉を巻くときにちらつと下に着てゐるものが見えた。カーキ色とでもいふのだらうか、淡い茶色に黒で格子模様の入つた生地だつた。

下に着てゐるものといへば、今回李儒のものも頼んで見せてもらつた。
以前の展示で、李儒の下着(といはうか)がちらりと見えてゐたことがあつたからだ。
灰色がかつた淡い紫色で、上品なあんこのやうな色なのだつた。
ほかの人のも見せてもらふんだつたなあ。惜しいことをした。

その後は、またしばらく人形を見るなどした。
飯田の頼朝、好きだなあ、とかね。
この話は今度の展示を見に行つたときに絶対するのでその機会に。

曹操と孔明とが並んで立つてゐたのが印象深い。
普通の展示だつたらあり得ない構図だ。
赤と黒とのコントラストもいい。
本によつては「三国志演義」では曹操に対する人物は孔明であらう、と書いてあるものもある。
草森紳一の「少年曹操」がさうだし、酒見賢一の「泣き虫弱虫諸葛孔明」もそんなやうな気がするし、その参考文献にあがつてゐる「詩歌三国志」もさうだと思ふ。

ケースの向ふにゐる人形ではなく、こちら側の人形を見ることができるといふのもまたとない機会だ。
考へてみると、新宿高野での展示はケースはなかつたやうに思ふ。
あるいは人形によつてケースがあつたりなかつたりしたのかもしれない。
なぜかといふと、高野での人形展のときにうつかり丁原に触れてしまつて係りの人に注意を受けたことがあるからだ。
すくなくとも丁原はケースの外に飾られてゐたことになる。
貴重な展示だつたのだなあ。

展示替へ見学については、次回があるかどうかはわからない。
今回参加できてほんたうによかつたし、企画してくだすつた美術館の方、人形たちと真剣にむきあつて作業しつつも部外者の立ち入りを許してくだすつた関係者各位、そして一緒に見学することのできた方々には心から感謝したい。

今度の展示はいつ見に行かうかな。

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