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Tuesday, 05 December 2017

九段目

ノールビンドニングのベレー帽は、ちまちまと大きくなりつつある。

「はじめてのノールビンドニング」では増やし目の段は九つ編むことになつてゐる。
途中、「もつと編まねばならないのぢやあるまいか」と思つてゐた。
現在九段目を編んでゐるのだが、それなりに大きい。
整形したらもつと大きくなるだらう。
しかしやつがれは頭がムダに大きい。
九段目ができたら何段増やすかどうか考へることにしたい。

九段目か。
十二月に九段目ときたら「仮名手本忠臣蔵」だよなあ。
「仮名手本忠臣蔵」全段は、九段目のためにあるやうに思へてならない。
通して見ると、すべては九段目を目指して作られてゐるやうに感じるんだなあ。
たとへお軽と勘平とのどーでもいい話にしても。

ノールビンドニングに限らず、あみものやタティングレースなども一目一目作つてゐる最中は、「いつたい自分はなにをしてゐるのか」といふ気分に陥ることがある。
とくに大きなものを作つてゐるときや、なにを作つてゐるのかよくわからない状態のとき。
棒針編みであみぐるみを編んでゐるときにありがちだ。
かぎ針編みとちがつて、棒針編みのあみぐるみはパーツを編むといふ感覚が強い。
かぎ針編みだとパーツパーツを編んでゐても、「いま頭部のこのあたりを編んでゐる」だとか「脚がほぼできた」とかよくわかる。
棒針編みでもそれはできるのだらうが、展開図から編むことが多いのでよくわからないのだ。
平らに編んでできてから筒状や球状にする。
編んでとじてみないとなにができるのかわからない。

そんなときは完成予想図を見るといい。
有り体にいへば、本などに載つてゐる写真だ。
「いま編んでゐるこの得体の知れないものはかうなるはずなのだ」といふことがわかると、やる気も違つてくる。

今年は「九段目」を見ることはなささうだ。
代はりといつてはなんだが赤穂浪士の映画はなにか見に行かうと思つてゐる。
それまでにベレー帽ができあがるかといふと、まあ、まづ無理だなー。

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