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Thursday, 28 December 2017

今年見た芝居から 2017

この一年見た芝居をふり返つて、今年はどうも「これ!」といふものがない。

代はりに、いまさらながらあらためて劇団の力といふものを感じたことだつた。
五月と十月の菊五郎劇団には感じ入ることしきりだつた。
とくに五月ね。

菊五郎劇団にはこれといつて好きな役者がゐるわけではない。
中村時蔵は好きだけれど、萬屋は丸本の役者だと思つてゐるので、あの劇団で演じる役は必ずしも本来の役ではない気がしてゐる。
実際のところはどうだか知らないけれども。

尾上菊五郎はいい役者だな、とは思ふ、と以前ここにも書いたやうに記憶する。
見るたびにいい役者だなと思ふしいい男だなとも思ふ。
思ふが特別好きになつたりはしない。
これは昔からずつとさうで、きれいな女方だつたときもいまもさうだ。
菊五郎が好きだつたら観劇人生はもつと楽しいものだつたらうな、とも思ふ。
いまだと菊之助もかな。今月の国立劇場もよかつたよね。

悪いとは思はないし、どちらかといふといいなと思ひつつ格別好きといふわけではない。
でも、考へてみたら、いままで人から「歌舞伎を見てみたいんだけど」と云はれてつれていつたのはいづれも菊五郎の弁天小僧の「浜松屋」だつた。

やつがれは世話よりも時代の方が圧倒的に好きで、黙阿弥よりも南北の方が圧倒的に好きだ。
にも関はらず、はじめて歌舞伎を見に行く人を「浜松屋」につれていくといふのは、「これぞ歌舞伎」と思つてゐるからだらう。

とにかくなにもかも洗練されてゐる。
この間でなければならないといふどんぴしやの間ですべてが運ぶ。
そして舞台面がうつくしい。

菊五郎は絶妙な間のなんたるかを知つてゐる役者だ。
おなじ役をほかの役者がやつてゐるのを見ると、ほんの少し、たぶんにわづかばかりのバタフライ・エフェクトが発生したかのやうな違和感を覚えることがある。
おそらくちよつとばかり間が違ふだけなのだ。

そしてその絶妙な間をまはりが受け、また菊五郎が受ける。
芝居を見てゐるあひだはそんなことはまつたく感じないけれど、水も漏らさぬやうな完璧な応対なのだらう。
それは劇団といふシステムゆゑに成り立つてゐるのぢやあるまいか。

おなじことは近年の播磨屋の芝居にも感じる。
中村吉右衛門のところは劇団ではないけれど、ほぼおなじ面子で芝居が組まれてゐて、これが絶妙に機能してゐる。
一月の「沼津」しかり、九月の「逆櫓」しかり、今月の「御存梅の吉兵衛」しかり。

今月といへば「蘭平物狂」もあれは劇団の力だらう。
いままで「蘭平物狂」は菊五郎劇団か猿之助劇団でしか見たことがない。
右團次襲名のときにやらないかなと期待してゐたのだが、右團次自身が年を感じたのか劇団の応援を頼めなかつたのか、それはよくわからない。
やらないと次代に継承されづらいので、襲名より前のどこかの時点でやつた方がよかつたんぢやないかなあと思ふが、大きなお世話か。

猿之助劇団も「ワンピース」ではその力を存分に見せてゐたのだと思ふが、残念ながら席が取れずに見に行かれなかつた。
来年はなにか古典の作品で大立ち回りのあるやうなのを見せてくれないかなあと、これも毎年思つてゐるやうな気がする。

「これが好き!」といふ熱狂に突き動かされることなく、全体的に悪くいへば無難にまとまつてゐるやうな芝居をよしとする自分は、もう歌舞伎のことなんかそんなに好きではないのかもしれない。

とはいへ、熱狂的に好きといふわけでもないものがいいと思ふといふことは、さういふものも見に行かないと自分にとつていいものを見損ねるといふことでもある。
でもまあ来年はもうちよつと気楽に見に行けたらな、と、これまた毎年思つてゐることなのだつた。

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