記録を見返して知る余裕のなさ
日々、なににどれくらゐ時間がかかつてゐるのか記録をとつてゐる。
朝は何時に起きて何時に出かけ、何時に職場について何時に帰途につき、家についた時間、食事の支度や食事、後かたづけ、入浴などをはじめた時間と終はつた時間、それに就寝時間。
さういふ記録を見てゐると、余裕がないな、と思ふ。
先日、あまり調子がよくなくて夕飯を食べなかつたところ、なんだかとつても時間に余裕がある気がした。
そりやさうだ。
食事の時間だけでなく支度や後かたづけも必要ないのだから、その時間分まるまるあく。
さう、なにもしないでいい時間を作らうと思つたら、もう夕飯の時間を削るしかない。
そんな気がしてゐる。
夕飯を食べ終はつてから就寝するまで三時間はあけなければならないといふ。
夕飯直後の入浴も避けねばならない。
さうすると、夕飯を食べてから入浴までの時間と夕飯を食べてから寝るまでの時間は必要だといふことになる。
実際に記録を見ると、夕飯を食べ終えてから就寝するまでのあひだは平均でだいたい三時間半だ。
三十分も無駄な時間があるのか、と思ふ一方で、それくらゐの誤差はでるだらうとも思ふ。
ぎちぎちにつめてあれこれしたいわけぢやない。
一日のうち、ぼんやりする時間もほしい。
できれば帰宅後だらう。
朝はあまりにも時間が足りない。
それに、夕飯から就寝時間までのあひだに三時間は必要といふことは、そのあひだにすることを早起きして朝にまはしてもあまり意味はない。
やることを朝に回して夜はぼんやりする?
睡眠時間だつてもうこれ以上は削れない状態なのに?
といふわけで、かなり煮詰まつてゐる。
世の中の人はやはり睡眠時間が少ないのかな。
自分のつけた記録を見ながらさう思ふ。
やつがれはたいしたことはなにもしてゐない。
それでゐてこんなに時間がない。
もつと細かくスケジュールをたててそのとほりにものごとをこなしていけばいいのだらうけれど。
でも、それをやつてゐたら、なんだかものすごくむなしい気持ちになつてしまつて、なあ。
なんのためにこんなに時間に追はれたやうな暮らしをせねばならぬのか。
有り体に云つて睡眠時間を確保するためなのだが、でもそれにしたつて、むなしすぎる。
とりあへずもう少し記録をとつてみて、あいてゐる時間を見つけたいと思つてゐる。
そんなものがあれば、だけど。
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