写真に撮つても捨てられない
フライパンを買ひ換へたい。
ずつとさう思つてゐる。
いま使つてゐるフライパンがどうにももうダメさうだからだ。
しかし、思ひ出深いものでもある。
どうしたものだらうか。
愛着があつて捨てられないものは写真に撮る。
しかるのちに捨てる。
さうすればいい。
さう教へてくれた人がゐた。
なるほど、と思つた。
それで写真を撮つて捨ててしまつたものもある。
写真を撮るといふのはいいアイディアだ。
いまだつたら現像することもなくデータとして残せばいい。
これといつて物理的に場所が必要なことはない。
せいぜいPCのハードディスクに入れておくとか、消へると困るからバックアップをとつておくとか、それくらゐのスペースしか必要としない。
もちろん紙に印刷してもいい。それだつてたいした大きさではない。
フライパンもさうしやうと思つてゐた。
だがダメだつた。
写真を撮つて実体は捨てるといふことは、その質感はなくなつてしまふ。
取つ手を握つたときの感触。
手にしたときの重さ。
裏面の溝の手触り。
さうしたものがすべてなくなつてしまふ。
形あるものはいつかは潰へる。
ではせめて、このフライパンを買つた店で新たなものを購はうではないか。
さう思つたところ、その店はもうないのだつた。
閉店して久しいのらしい。
なんといふことでせう。
そんな感じでずつと捨てられずにゐる。
捨てられないので新たなものも買へない。
いまあるものを捨てないと置く場所がないからだ。
むう。
かくして新たなフライパンを買ひたいと思ひつつ一年以上たつてしまつた。
いい加減なんとかしなければ。
« 芝居のFOMO | Main | 11月の読書メーター »
Comments