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Wednesday, 01 November 2017

察しない世の中

Twitterを見てゐると、自分のTimeLineには「人に対して「察しろ」などと云ふな。求めることはちやんとことばにして伝へろ」といふ旨のつぶやきが多い。

もしそれがあたりまへになつたら「子供の遣ひぢやあるまいし」といふ表現もなくなるんだらうな。
ちやんと指示をしなかつた方が悪い。
さういふ世の中になるのなら大歓迎だ。
なぜといつて、やつがれは子供の遣ひしかできない人間だからだ。
「察しろと云ふな。ことばで伝へよ」と主張する人は、そこまで考へてゐないんぢやあるまいか。
そんな気もする。

世の中は「云はないけど察してくれ」といふドラマにあふれてゐる。
赤穂浪士に立花左近といふ人物が出てくる。
討ち入りまぢかで江戸へと下る大石内蔵助は立花左近といふ偽名を使つてゐる。
すると関所でほんものの立花左近と出くはしてしまふ。
よくあるのは内蔵助が白紙の道中手形を立花左近に見せるといふ話。それで立花左近は事情を察して自分の方が偽物だと云ふ。
これ、ダメでせう。
もし「察しろと云ふな。ことばで伝へよ」といふのがあたりまへの世の中になつたら、「なにも云はれてないのになんでわかるの?」になつてしまふ。
現実と虚構とは違ふ?
さうだらうか。

浄瑠璃「一谷嫩軍記」の「熊谷陣屋」では「一枝を伐らば一指を剪るべし」といふ高札を見て、熊谷次郎が「これは平敦盛を助けてこの熊谷の一子を身代はりにしろといふ命令だ」と悟る。
「察しろと云ふな。ことばで伝へよ」といふのがあたりまへの世の中だつたら、こんなことあり得ない。
最初からさう云へよといふ話だ。
いまはまだまだ「云はなくても察しろ」といふ世の中だから、見る方もわかる。
察しないのがあたりまへの世に育つた人だつたらどうだらう。
「なんで熊谷はそんな考へに至つたのか」と不思議に思ふのぢやああるまいか。
そこは云はなくてもわかるだらうつて?
さういふ姿勢がいけないつて話なんぢやないのかな。

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