ヴァーチャル・モバイル・ニッティング
風工房の「まきもの いろいろ」に掲載されてゐるフューシャ・パープルのロング・ストールを編み始めて一ヶ月がたつた。
まだ編んでゐる最中である。
まだ編んでゐる最中ではあるものの、ゴールは見えてきた。
すくなくとも指定どほりに編むとすれば、あと四十段も編めば編み終はることになる。
編んでゐる最中に一番よく見たTV番組は「助け人走る」なのだが。
昨日「シン・ゴジラ」を見ながら編んだので、できあがつたあかつきには「ああ、これを編んでる最中に「助け人走る」とか「シン・ゴジラ」とかを見たなぁ」と思ふのだらうなあ。
そのほかにも、「大江戸捜査網」とか「ドラゴンボール超」とか「ねほりんぱほりん」とかを見ながら編んでゐる。
でもきつと思ひ出すのは「助け人走る」と「シン・ゴジラ」。
そんな気がする。
世に「モバイル・ニッティング」といふものがある。
編んでゐるものを持ち歩いて、編めさうなときに編む。
医者や銀行、役所などの待ち時間などが編めさうなとき、だな。
よく旅行に行く人などは電車や飛行機を待つあひだや旅先でちよつと時間のあいたときなどに編むのだらう。
そして編んだものをあとから見て「ああ、これはどこそこ行つたときに編んでゐたものだ」となつかしく思ひ出すのだらう。
残念ながらやつがれはあまりあちこちに出かけるたちではないし、最近はあみものは持ち歩かない。それでなくても荷物が大きいからだ。
くつ下なんかは持ち歩いて編んでもいいかな、と思はないでもないけれど、実践には至つてゐない。
その代はりといつてはなんだが、編みながらTVを見る。
TV番組を録画したものを見るのだが(「シン・ゴジラ」のTV放映はリアルタイムに見たが)、これがおそらく旅先で編むのと似たやうな状態になつてゐるやうに思ふ。
いま編んでゐるストールを見るとなく見るときに、山村聡演じる頭領清兵衛の笑顔や田村高廣演じる文さんのどこからどう見てもをつさんなのにこどものやうな身軽な動きや中谷一郎演じる平さんの煙管の煙とともにあらはれる姿や宮内洋演じる龍のどこか志穂美悦子感のある表情や野川由美子演じるおきちの可愛さとか津坂匡章(当時)演じる利吉の存外頼りになるところとかを思ひ出す。
おそらく思ひ出す。
あるいはこの先また「助け人走る」を見ることがあつたら、「あのときは長いストールをせつせと編んでゐたよなあ」と思ふだらう。
それがなによと云はれたらそれまでだが、さうした記憶のよすがになるものがやつがれにとつては大切だ、と、それだけの話である。
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