シャーロック・ホームズとGTD
出先で読む本がなくなつてしまつたので、Kindleに入つてゐた「緋色の研究」を読みはじめた。
読んでゐるうちに、ホームズのよく知られた逸話のひとつが出てくる。
ホームズは地動説を知らない、といふアレだ。
地球は太陽のまはりをまはつてゐる、とコペルニクスの学説を教へやうとするワトソンに、ホームズは「よけいなことを教へて」と文句を云ふ。
ホームズによると、脳といふのは屋根裏部屋のやうなものなのだといふ。
愚かな人はありとあらゆる材木(もしくはガラクタ)でいつぱいにしてしまひ、部屋を使へなくしてしまふ。
すべきことのわかつてゐる人間は必要な道具だけ用意して部屋にあきを作つておく。
「Getting Things Done (GTD)」といふものがある。
したいことをすべて書き出しふるひにかけて整理して実行しふり返る、といふ一連の流れによつて、ものごとを成し遂げていかうといふものだと理解してゐる。
GTD では最初に自分のしたいことや気になることをすべて書き出すことからはじまる。
すべて書き出してしまふと、頭の中がすつきりする。
それまで考への大半を占めてゐたどうにもならならいあれこれが紙に記されて、ここを見れば全部書いてあるといふ安心感が生まれるともいふ。
この、ものごとを吐き出して脳内にスペースを作るといふのが、先にあげたホームズのことばとおなじだ、といふ話はつとに聞くことである。
だが待てよ、と思ふのだ。
たしかに、頭の中に空き容量を作つて成し遂げたいと思つてゐることにあてる、といふところは一緒かもしれない。
でもホームズとGTDとでは明らかに違ふ点がある。
それは、ホームズは入力をも制御する、といふ点だ。
ホームズは天文学を知らない。文学も哲学もわからない。
それは、「自分には必要ない」といふのでホームズが情報を取り入れてこなかつたからだ。
ホームズにはどの情報が必要でどの情報が必要でないかがわかつてゐる。
もつといふと、ホームズには自分の求めるところのもの、かうありたいといふ姿がある。
人は新聞を読む。
本を読み、映画を見、TVのドラマやヴァラエティを見る。
いまだとスマートフォンでSNSに血道を上げる方が多いだらうか。
さうして自分に必要な情報を得ることができてゐるのか。
必要のない情報ばかり入手してゐるのぢやあるまいか。
でも自分に必要な情報つてなに?
世に「新聞を読め」「本を読め」といふ。
大きなお世話だ。
それが個人にどれくらゐ必要ある情報か、たれにわかるといふのだ。
だが、自分になにが必要か、自分はどうありたいのかを知るには、必要かどうかに関はらずさまざまな情報をたくさん仕入れる必要があるのだらう。
GTDには入力を制限するやうな機能はない。
GTDをやつてゐるとFOMO(fear of missing out)をどうにかしやうと思ふやうにはなるかもしれない。
そして「自分はこんなことがしたかつたのか」といふことが見えてくることもあるのかもしれない。
そこではじめて情報の取捨を制御できるのかもしれないなあ。
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