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Friday, 03 November 2017

commonplace book といふかおことば帳

Commonplace book を辞書で引くと「備忘録、書き抜き帳」などと書いてある。

My Commonplace Books

自分では「おことば帳」と呼んでゐる。
書き抜き帳とはすなはち、読んだ本や見た映画・ドラマ、たまたま耳にした見知らぬ人の会話など、気になつたことばや表現を書き記す帳面だ。

はじめてのおことば帳は Smythson の SCHOTT'S MISCELLANY DIARY(以下、SCHOTT'S) だつた。
もともとおことば帳の面ももつてゐる SCHOTT'S に、さらに自分で気になつたことばを書き抜かうと思つたのだつた。

なにを書いてゐたかと SCHOTT'S を見返してゐたら思はず読みふけつてしまつた。
ぱつと開いたところには

笑うのも泣くのも、ほかにどうしようもないとき人間がやることです。 
「ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを」カート・ヴォネガット 解説
だとか
不機嫌は感染する。 
「おみごと手帖」中野翠
執念の先にこそ解脱がある。とらわれ、こだわって追い求めていかないと解脱は見えて来ない。そんな気がするんです。 
川本喜八郎 NHKのドキュメンタリー番組
だとか書いてある。
だからなに、とも思ふけれども、いま見てもおもしろい。

SCHOTT'S をおことば帳として使つてゐたときは、読む本の大半は図書館で借りた本だつたため、読んだ端から書き抜くことが多かつた。
おなじ本からの書き抜きがたくさんあるのはそのせゐでもある。
草森紳一の「少年曹操」からの書き抜きなどは「そこまで書かなくても」と思ふものもないわけではない。
でも

ただ人には、誤解の自由がある、というよりは正解と思いながら誤解していき、それが物事を予想外なところへ運んでいく。これが世の中の面白さ、つらさである。
とか書いてあると、「さうだよなー、誤解してもいいんだよな。誤解なくしてなんの読書・観劇・whatever」と心強く思ふ。

おことば帳のなにがいいかといふと、自分のことばではないものが書いてあるところだ。
以前、美篶堂のハードカバーノートを買つてもつたいなくてなかなか使へなかつたといふやうな話を書いたが、おことば帳にすることにしたら書き込むことへの抵抗がきれいさつぱりなくなつた。
こちらはB6サイズでつねに持ち歩くといふわけにはいかないものの、折にふれ見返してゐる。
SCHOTT'S を使つてゐたころと違ふ点は、読んでから書きぬくまでにちよつと時間をおくやうにしてゐることだ。
買つた本なら付箋を貼る。さうでない場合は BULLET JOURNAL に書き出す。
すこしあひだを置いて見返しながら「これは書き抜く」「これは書かない」とふりわける。
かういふ作業は読んだものなどを記憶に定着させるにはいいんぢやないかと思つてゐる。
さう云ひながらすぐに忘れてしまふんだけれどもね。

見返すことが前提になつてゐるので、おことば帳には比較的丁寧に字を書くやうにしてゐるのもいいのかもしれない。

余裕がなくなると書き抜かなくなるし見返さなくもなる。
余裕のバロメータとしても使へるおことば帳である。

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