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Friday, 27 October 2017

「マハーバーラタ戦記」考

今月歌舞伎座で新作「マハーバーラタ戦記」を見てきた。
だいたい中日くらゐだつたと思ふ。
「マハーバーラタ」に関する知識は「インドの昔の話」くらゐだつた。

見て「時代物の歌舞伎だなあ」と思つた。
なぜさう思つたかその所以と、「しかしさう断定するにはチト弱い」と思つたその所以とを書く。

「時代物の歌舞伎」と思つた所以は、主人公が狂言廻しの役目をになつてゐるからだ。
「マハーバーラタ戦記」の主人公は迦楼奈(カルナ)といふ。
話は迦楼奈を中心に進んではいくのだが、ほかにも主人公といつてもをかしくないやうな登場人物もゐる。
阿龍樹雷(アルジュラ)や鶴妖朶(ヅルヨウダ)がさうだ。
阿龍樹雷にはこの幕の主役は阿龍樹雷といふ幕がある。
かういふところがとても時代物の歌舞伎らしい。

三大名作のひとつである「義経千本桜」を例にとると、物語全体の主人公は義経だが、義経が主役の段といふのは現在ではほとんど上演されない。
「義経千本桜」の中でよく上演される部分には、狐忠信が主役の段、平知盛が主役の段、権太が主役の段といふのがある。
忠信や知盛、権太はその段の中では主役だが、物語全体の中では「義経をとりまく人々」「義経と関はりのある人々」といふ脇役の立場にある。
脇役がfeatureされる、それが時代物の特徴だ。

「義経千本桜」の主人公は狐忠信である、といはれることもある。
出番が多いし、語り出しが「忠なるかな忠 信なるかな信」だから、ともいふ。
個人的にはそれは現代的なとらへ方なのではないかと思つてゐる。
主役は義経だらう。
外題に名前が出てゐるくらゐだし。
それに、義経が芯の話だからああいふ構成になるのであつて、もし忠信が主人公だとしたら知盛とか権太とか「なんで出てくるの?」といふことになつてしまふ。

「南総里見八犬伝」でも、主人公は里見義実といふ話があつて、当時といまとでは主人公のとらへ方がちがつたのではないか、とこれは私見だ。

「マハーバーラタ戦記」も迦楼奈を主人公としつつ、迦楼奈にかかはる人々をもfeatureしてゐる。
また、各幕もずつと芝居ばかりしてゐるわけではなく、所作事の幕めいたものもあつたりわづかではあるものの世話のやうな場面があつたりする。

ただ、贅沢を云ふなら、featureするのは阿龍樹雷や鶴妖朶ではなく別の人だつたらもつと時代物つぽくなるのにな、とも思ふ。
たとへば風韋摩(びーま)を主役にして荒事の幕を作るとか、鶴妖朶の爺や乳母またはその子ども(出てこないけどゐるだらう、おそらく)を主人公にした世話の幕を作るとか。
しかしこれをやらうと思つたら、時間が足りない。昼夜通しくらゐのスケールでやらないと無理なんぢやあるまいか。

また、阿龍樹雷や鶴妖朶以外の人間をfeatureしてもあまり効果が見込めない可能性もある。
「マハーバーラタ」自体があまりなじみのない話だからだ。

義経伝説にしても、赤穂浪士にしても、よく知られた話だ。
時代物に関はらず、たとへば今月国立劇場でかかつた「霊験亀山鉾」でいふと敵討の話も「鰻谷」も初演当時の客はよく知つてゐたものと思はれる。
だから主人公をそつちのけにした脇役主体の段があつても「さうきたか」とうなることになる。
#「つまらん趣向だな」と思ふこともあつたらうけど。

それが「マハーバーラタ」にはないんだよなあ。
ないから説明的な部分もあつたりする。
「誰もが知つてゐる物語」といふのがなくなつてしまつたから仕方がない。
そもそも「誰もが知つてゐるもの」なんてあつた試しがなかつたのかもしれないし。

「マハーバーラタ戦記」は、あれだけ大がかりに作つたら再演するだらうといふ気もする。
そのときにどう変はるのか。
刮目して待て。

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