痛み止めを飲まないわけ
足が痛い。
蜂窩織炎なのだとか。
足はただ座つてゐるだけでも痛い。
歩いても痛い。
ずつと座りまたは歩いてゐるうちに痛みを感じなくなる時間もある。
そしてまた痛くなつてくる。
そんな感じだ。
普通にしてゐても痛いといふと、医者は痛み止めを処方しませうか、と云つてきた。
それはなにかが違ふだらう。
さう思つたが口に出しては云はなかつた。
痛いときに痛み止めの薬を飲む。
それはなにかが違ふとつねづね思つてゐる。
痛み止めが痛みの原因をなくす働きがあるといふのならいいのだが。
たいていの場合、痛み止めは痛みを感じなくさせることしかしないやうに思ふ。
薬が切れれば痛みは戻る。
それは違ふだらうと思ふのだ。
痛いといふことは、そこになにか原因があるはずだ。
その原因はそのままに痛みだけ感じなくさせる。
さういふ需要があることは理解してゐるつもりだ。
残念ながらやつがれはさういふものは必要としてゐない。
必要なのは痛みのもとをなくすこと。
それができないのなら休んでゐろと云はれる方がまだましだ。
蠅を飲み込んでしまつた老婦人の歌といふのがある。
蠅を飲み込んでしまつた老婦人は、その蠅をなんとかしやうとして蜘蛛を飲み込み、蜘蛛をなんとかしやうとして小鳥を飲み込み、以下、猫を犬を山羊を牛を飲み込み、最後には馬を飲み込んで死に至る。
蠅を飲み込んでしまつた理由はわからない。
そんな歌だ。
やつがれにとつて、痛み止めを飲むといふことは、蠅に対して蜘蛛を飲み込むのと同意である。
そんなわけでいまも痛いなあと思ひつつかうしてゐる。
だから mindless なのである、といふのはまた別の話。
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