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Thursday, 19 October 2017

生まれた時が悪いのか

「非認知能力」だとか「言語技術」だとか、幼児のころから鍛えないといけないといふものを、いまさら知つてどうすればいいのか。
ちよつと途方に暮れてゐる。

言語技術についてはそれでも「大学生・社会人のための言語技術トレーニング」といふ本がないわけではない。
三森ゆりか自身が企業などに招かれて講演をすることもある。

一方、非認知能力はといふと、おとなになつてしまつたらもう手遅れとしか思へないやうな状況である。

非認知能力とは「open minded」とか「openness」に近いものなのではないかと思つてゐる。
先日「Scientific American」のWebサイトで記事を読んだ。
その記事では「open mindedな人は、知的好奇心にあふれてゐて、創造的であり、想像力がある傾向があり、音楽や本といつた文化的なものごとに対して貪欲で、さらには politically liberal であることが多い」といふやうなことが書かれてゐた。
たとへばレンガの使ひ道を考へなさいといはれた場合、open minded な人はいくらでも使ひ道を思ひつくのだといふ。さうでない人はせいぜい「壁を作る」とか「家を造る」といつたありきたりのことが三つ出てくるかどうかだ、といふ。
やつがれはこの「レンガの使ひ道を三つ思ひつくかどうか」といふタイプだ。
完全に close minded なのだつた。

この記事を読んで思ふのは、人が open minded になるかどうかは家庭環境によるところが多いのではないか、といふことだ。
こどものころから周囲に本や音楽があふれてゐて、興味を抱いたものに対して容易にふれることができる。
さういふ人が open minded になるのぢやあるまいか。
こどものころさうした選択肢の乏しい環境にゐたものは、なかなか open minded にはなれないのぢやないか。
さうすると、open minded な人を賞賛するといふことは裕福な家庭に育つた人を賞賛するといふこととほぼ同義なのではあるまいか。
近年、大学入試などにも選択式のテストだけでなく人物を見るやうなテストを取り入れやうといふ風潮が見られるが、これも裕福な家庭に育つた人を優遇することになるだけぢやないかといふ懸念がある。が、それはまた別の話。

非認知能力の多寡を調べるときも、両親の最終学歴や自宅の蔵書の量などを問題にするやうである。
いまさらどうしやうもないぢやあありませんか。

なぜ非認知能力や言語技術に関心を抱くのか。
それは、今後AIが人の仕事を奪つていくとして、AIと対抗しうるのは、否、AIには太刀打ちできないのは、非認知能力に富んだ人なのではないか、と思ふからだ。

とはいへ、いまとなつてはさうした能力を高めやうのない状況で「これが必要なんだ」と悟つてもむなしいだけ、といふ事実は変へられない。

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