書けるとき書けないとき
Bullet Journal のいい点に、一ヶ月にどれくらゐ書いたかわかる、といふものがある。
一ヶ月に何ページ書いたかわかると、その月にいろいろ書くことがあつたのだな、といふことがわかる。
月初に先月分の最終ページと今月分の最初のページとを INDEX PAGE に書き込むからだ。
やつがれの場合でいふと、今年は二月・三月とバイブルサイズのシステム手帳のリフィルに六十ページをすこし超えるくらゐ書き、四月と六月とは二十ページに満たないくらゐしか書いてゐない。五月は五十ページでちよつと持ち直したものの、七月も四十ページ台で、月も終はらうとしたころにたくさん書くやうになつてゐる。
八月はその勢ひで六十ページを超え、九月もいまのところ順調にあれこれ書いてゐる。
「私の日記」として使用してゐる Moleskine のポケットサイズに書いた内容を見てみると、三月の後半くらゐから「全然書けない」と書いてゐる。
これが四月、五月も続く。
「全然書けない」と書いてゐるときには、自分がそれまでにどれだけの量を書いてゐるのかはわかつてゐない。
四月の時点では、三月は全体として六十ページくらゐ書いてゐるので、そんなに調子が悪いといふ感じではないやうに見えたのではないかと思ふ。
実際は、三月も終はりに近づくころにはほとんど書かなくなつてゐた。
ページ数だけではわからないこともあるけれど、いきなり書けなくなるといふことはない。
変化は次第にあらはれる。
たくさん書くといふことは、それだけ刺激を受けてゐるといふことだ。
おもしろい本を読んだ、とか。
ある芝居を見たらとても気に入つた、とか。
巷ではこんなことを云つてゐるけれど、とか。
そして、実際にそれを書きとめるだけの気力があるといふことだ。
つまり、Bullet Journal のページ数の多い月は、精神活動もそれなりに活発だつた月と考へてよい。
すくなくともやつがれにとつてはさうだ。
「私の日記」である Moleskine もあるので、誤差はあるのだが、書けるか書けないかは健康か否かの尺度でもある。
寝不足がつづくと書けなくなるしね。
来年は Bullet Journal に「私の日記」も戻さうかと考へてゐたりもする。
あるいは Bullet Journal を綴じノートに戻さうか、とかね。
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