よかつたねぇの時代劇
TVドラマの時代劇では、どうしてこんなにたくさん人が殺されてしまふのか。
毎日喜々として「必殺仕置人」を見てゐる人間がなにを云ふ。
我ながらさう思ふが、一昨日見てゐてつくづく思つてしまつたのだ。
なぜ時代劇ではこんなにかんたんに人が殺されるのだらうか。
「必殺仕置人」を見ながらさう思つたのだが、さう思つたときにやつがれの脳内に浮かんでゐたのは別の番組だつた。
前日に見た「大江戸捜査網」とか、もつと前に見た「暴れん坊将軍」や「三匹が斬る!」などだ。
「大江戸捜査網」では、杉良太郎演じる十文字小弥太に変はつて、里見浩太朗演じる伝法寺隼人が登場する回を見た。
隼人と同時に、左右田一平演じる同心が隠密同心に新たに加はることになつた。
左右田一平演じる同心は、物語の前半で殺されてしまふ。
殺すなら出すなよなー。
さう思つてしまつた。
かういふのは見てゐるこちらの心理状態によつて変はつてくる。
おなじドラマを見てもどうとも思はないこともある。
今回はたまたまさう思つてしまふ時期だつたのだらう。
「暴れん坊将軍」で思ひ出したのは、悪人に目を付けられた男が殺される話だ。
それは、いい。
よくはないかもしれないが、話の展開としてはありだ。
だが、その男の妻が殺される段になつて、「それは不要なんぢやない?」と思つてしまつた。
話自体は上様の立ち回りと「成敗!」のひとことで片が付く。
だが殺された夫婦には娘がゐた。
この娘はどうなるのだらうか。
ドラマは、め組の人々や隣近所の人がそれとなく娘を助けてくれさうだ、といふやうすで終はる。
だが、次の回以降、この娘は出てはこない。
そらさうだ。
この回一度きりのゲストだもの。
でも思ふのだ。
あの娘さんはどうなつてしまつたのだらう。
結局暮らしに困つて苦界に身を沈めるやうなことになつてはゐないだらうか。
せめておつ母さんだけでも生きてゐたら……
さう思はずにはゐられない。
母親が生きてゐたからといつて生活が楽になるとは限らないけれど。
だけどひどいでせう。
話の展開としては、男が殺されるだけで十分だつた。
なぜその妻まで殺してしまつたのか。
いまになつてもわからない。
かう書いてゐて、男と女とが逆だつたやうな気もするし、娘ではなくて幼い子供だつたやうな気もする。
が、大勢には影響がないのでこのままにしておく。
「三匹が斬る!」もその伝だつたやうに思ふ。
悪人に目を付けられた村人が殺されて、さらに第二第三の殺人が起こる。
そんなやうな内容だつたと思ふ。
いづれにしても、そんなにたくさん殺さなくても物語に影響はないのに、と思はせてしまふやうな話だつた。
そして、たまたま「そんなにたくさん殺さなくてもいいのに」と思つてしまふやうな精神状態のときに見たドラマだつたわけだ。
なんといふか、時代劇といふのは、もつと、こー、見てゐてほのぼのするもの、といふ勝手な思ひ込みがあるんだらうな。
必殺シリーズほか、例外はあるけれども。
水戸黄門などは見たあと「よかつたねえ」で終はるものだと思つてゐるし。
途中で殺される人がゐても、最後は印籠の力で(違)すべて解決し、芥川隆行のナレーションで終はる。
考へてみたら、水戸黄門が去つたあとも「よかつたねえ」がつづくとは限らないんだよね。
その場はおさまつたかもしれないけれど、御老公が去つたあとはなにごともなかつたかのやうに以前の状態に戻る。
そんなこともあるだらう。
さういふことの方が多いのかもしれない。
でも普通はさういふことは考へない。
めでたしめでたしで終はつたら、「よかつたねえ」と思ふ。
めでたしめでたしで「よかつたねえ」だと、途中の話を忘れてしまひがちなのかもしれないな。
物語の中で罪もない人々がむやみやたらと殺されてしまつたことなど記憶の彼方に消へてしまうのかもしれない。
それで「TVの時代劇イコールなんとなくほのぼのするもの」と思ひ込んでゐるのだらう。
人はやたらと殺されるけど見終はつたあとなんとなくよかつたなと思ふ「座頭市物語」(TV版)のやうな番組もあるしね。
「座頭市物語」(TV版)は、基本的に「善人は死なない」「悪人でも女の人は死なない」「悪人は市に斬り殺される」といふお約束がある。例外もあるけれど、わりとかういふ話が多く、途中殺伐とした気分になつても最後は「よかつたねえ」で終はる。
でも好きなのは浅丘ルリ子回(善人も死ぬ)だつたりするので、つまるところ、やつがれは人の死にすぎる時代劇が好きなのだらう。
毎日「必殺仕置人」を喜々として見てゐるくらゐだもの。
それでも「人が殺されすぎる」と思つてしまふところがある、といふのが人の心といふのはふしぎなものであることよ。
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