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Thursday, 21 September 2017

改名するなら

「ロリータ」を読んでゐて、改名することがあつたら「武田晴信」か「成田三樹夫」にしやうとあらためて心に誓つた。

出席簿(おそらく)が詩に見える人なら、このきもちはわかつてもらへるのではないか。
さう思つたからだ。

なぜ「武田晴信」か「成田三樹夫」なのか。
字面が好きだからだ。
「武」や「成」の右のはねと「田」の字とのバランス。
「晴信」といふ偏とつくりとのある縦にそろへやすさうな字面。
「三」と「夫」とのあひだに「樹」の字のはさまつたその形。
完璧だ。
自分のお粗末な字で書いてさへうつとりする。
いいなあ。
自分の名前ではかうはいかない。

やつがれの名前には偏とつくりとのある字がない。
字を縦に中央にそろへるのが難儀な気がする。
偏とつくりとがあつた方が縦に書いたとき中央にそろへやすい。
そんな気がするし、実際に自分で書いてゐてもさうだなと思ふ。

といふ話を、たまにTwitterで呟くこともあるのだが、反応がないので世の中の人はさういふ風に考へたりはしないのだらう。

だいたい、普段生活してゐて「出席簿を見たら詩のやうでさー」とか話してゐる人がゐない。
すくなくともやつがれの周囲にはゐない。
みんなさういふことはかくしてゐるのだらうか。
かくしてゐるのかなあ。
心の中でひつそりと愛でる。
これはさうしたことなのかもしれない。
あるいは、これはあまり考へたくないことだが、そんなこと思つてもみないのだらうか。

「出席簿を見たら詩のやうだつた」に一番近い話として記憶してゐるのは、「グイン・サーガ」のあとがきに出てきた話だ。
たぶん、「グイン・サーガ」のあとがきだつたと思ふ。
あるいは中島梓名義で書かれたエッセイにあつたのかもしれない。

内容は「人は、すてきなことばを唱へ合ふだけでわかりあふことも可能である」といつた趣旨のものだつた。
「水滸伝」にはいはくいひ難くかつこいい名前がいくつも出てくる。
九紋龍史進であるとか。
豹子頭林冲であるとか。
さうした、口に出すだけでうつとりするやうな名前を互ひに伝へあふだけで、人はわかりあへるものだ。
「青面獣楊志!」
「小李広花栄!」
と、互ひに叫べば、「巨人の星」に出てくる登場人物たちががつしと抱き合ふやうに、理解しあへる。
そんなやうなことが書かれてゐた。

わかるなあ。
かつこいいもんなあ。
かつこいいものをかつこいいものと思つてゐる相手とわかりあふには、これで十分なのかもしれない。
読んだときにさう思つた。

「武田晴信」とか「成田三樹夫」といふのは、やつがれにとつてはさうした「かつこいいもの」であつて、それも口に出したときにどうかうといふよりは字面がなんとも素敵でたまらないものだ。

やはり改名するとしたらこのどちらかだな。
改名するとして、の話だが。

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