予備のシャトルを持ち歩く
予備のタティングシャトルを持ち歩いてゐる。
予備の、といふとをかしいか。
糸を巻いてあつて、なにかを作り始めることのできる状態にしたシャトルをがま口にしのばせてゐる。
さうして、なんだか手持ち無沙汰になつたときにタティングをする。
読書家が出かけるときにいま読んでゐる本を読み終はつたとき用に予備の本をも持ち歩いてゐるのと似たやうな状態かと思ふ。
それで「予備の」と書いたわけだが、「予備のタティングシャトル」といふと糸を巻いてゐないものを連想するかもしれないな、とも思ふ。
いま使つてゐるシャトルの糸が不意になくなつて、さういふときにぱつと糸を巻いて使へるシャトルを予備のシャトルといふのではあるまいか、とね。
出かけるのが苦手なのは、かういふところにあらはれるのかもしれないな。
とにかく出かけるのが苦手である。
徒歩三分と離れてゐないコンヴィニエンスストアに行くにも躊躇する。
ゆゑに無駄遣ひしなくて済んでゐる面があることも確かなんだけれどもね。
出かけたときに困るのは、なにもすることのない状態である。
車中はいい。
ぼんやりと車窓から外を眺めてゐるうちに目的地についてゐたりするからだ。
飯田に行くときがさうである。
ぼんやりと窓の外を流れていく山々や空、雲などを眺めてゐるうちに飯田に着く。
その間、眠つてしまふこともある。
それはそれでいい。
あまり時間の無駄をしたとも思はない。
問題は、待ち合はせの場所に早めについてしまつたときなどだ。
芝居や映画の開演時間までのあひだなども同様である。
最近ではスマートフォンを眺めるといふ手もある。
文庫本かKindleを大抵持ち歩いてもゐる。
さはさりながら、かういふときはタティングシャトルの出番だつたりもする。
また、車中でぼんやり車窓を眺めてゐるときなども、手はタティングをするといふのはありだ。
なんでこんなに手持ち無沙汰なことを厭ふのか。
もつとなにもせずにぼんやりできるやうになりたいものだ。
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