再見「帝都物語」と記憶の編集
昨日、京橋にある東京国立近代美術館フィルムセンターで、「帝都物語」を見てきた。
三十年くらゐまへに一度だけ見た。
「坂東玉三郎が男役を演じる、それも泉鏡花」と聞いたからである。
映画の「帝都物語」で覚えてゐることといへば、この鏡花先生と、高橋幸治演じる幸田露伴、そしてやはり加藤保憲だ。
すこし前に調べたらなんかものすごく豪華な配役陣だつた。
すつかり忘れ去つてゐる。
それだけ加藤保憲の印象が強かつたのだらう。
今回見直して、あまり脳内で作り上げた記憶はなかつたこともわかつた。
記憶の中では露伴が黒い手甲のやうなものをしてゐたけど、たぶん作つたのはそれくらゐだ。
それよりも忘れてゐることの方がずつと多い。
桂三枝(当時)つてこんなに活躍してたつけか、だとか。
これは見ても全然思ひだせなかつた。
島田正吾が二度目に出てくるときはちやんと老けてゐる、とかね。
出番もそんなに多くないし、もともと老けてゐる人物といふ設定だ(らう)から最初から老人然としてゐるのだが、時間の経過を感じさせるんだよなあ。
大滝秀治になんだか妙に説得力があるとか。
序盤の物語に説得力を生み出してゐるのは平幹二郎であるとか。
学天即に触れるときの西村晃の表情とか。
さういふ部分は見て思ひ出した。
東京の改造計画の場面もさう。
高橋幸治を覚えてゐるのは登場場面が多いからだらうくらゐに考へてゐた。
それも確かにさうなんだけれども、見返してこの中で一番影が似合ふ俳優だからだな、といふことにも気がついた。
再見とは、なかなかいいものだ。
最近は忘れないやうに見た芝居や映画、読んだ本のことはできるだけ書き留めるやうにしてゐる。
書き留めて、しかし、疑念もないわけぢやない。
見聞きして読んで覚えた感情をすべて書き尽くせるわけではないからだ。
忘れてゐることもあるしね。
自分のことばで表現できなかつたことは、記録できない。
ゆゑに忘れてしまふか記憶の中で編集されるかどちらかになる。
忘れてしまふのも記憶の編集のひとつかな。
「帝都物語」については、最初に見たあとなにも書かなかつた。
あまり思ひ出すこともない。
ゆゑに忘れるだけで、あまり記憶の編集はされなかつたやうだ。
その方がいいのだらうか。
悩むな。
ところで鏡花先生はやはりよかつた。
夜、背中から映した絵の横顔の後頭部から肩に流れるラインのなんとなだらかで麗しいことよ。
ほぼシルエットのやうな横顔の頭から肩にかけてのラインのうつくしい絵つて、実相寺昭雄のほかの映画にもあつたな。
さういふ絵に弱いらしいことをあらためて確認する夜でもあつた。
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