バケツの穴の睡眠事情
昨日一昨日と二日休んだ。
最初の日はほとんど一日中寝てゐた。
二日目は昼間で寝てゐた。
そこで本を読んでみたらこはいかに。
わからないことばを調べやうといふ気になるし、覚えやうといふ意欲までわいてくる。
読みながら「これはもしかしたらかういふことなのではあるまいか」と考へ、さらには本には出てこないが関係のあることについて「あれはもしかしたらああいふことなのではあるまいか」と考へるではないか。
睡眠、大事。
いまさらながらにさう思ふ。
いま家では明治書院の新釈漢文体系のうち「史記」の「列伝 五」を読んでゐる。
一昨日も起きてゐるときに読んだ。
一昨日読んだときには、そんな意欲はわいてこなかつた。
わからないことばには大抵説明がある。
それを流し読みしてよしとしてゐた。
覚えやうといふ気にはまつたくならなかつた。
また、読んでゐても字面を追ひかけてゐるだけで、だからどうだとかそれはなぜかだとか考へてもみなかつた。
この本は、土日など昼間も家にゐるときに読んでゐる。
一昨日に限らず、ここのところはただただ文字を目で追ふばかりだつた。
最後に「知らなかつたことばは覚えやう」といふ気になつたのは、どうやら四月のことである。
ここにも幾度か書いたやうに、三月末のJR東日本のダイヤ改訂で、それまでより二十分早く起きることになつた。
その二十分は、睡眠時間を削ることで抽出したものである。
ダイヤ改訂以前から睡眠時間は足りなかつたからだ。
なぜ眠れないのだらうか。
睡眠時間は足りてゐない。
それなら眠くもなるだらう。
最近、眠さによつて自分の一日が左右されてゐることに気がついて、「寝なくては」と思ふやうになつてもゐる。
それなのに、なぜ眠れないのか。
時間がきたら無理矢理横になればいいとは思ひつつ、なぜかそれができない。
ほかのことについてはいろいろとできるやうになつてはきた。
TVは見たい番組を見たら即消せるやうになつた。
帰宅すると意味もなくつけてゐたTVをいまはつけなくなつてゐる。
夕食にしても、睡眠時間の三時間前には食べ終へるやうにしてゐる。
さうしてできるやうになつたことはあるのに、時間がきたら寝るができない。
なにが問題なのだらうか。
意志が弱いのがいけないのか。
意志の弱さにかけては自信がある。
でもTVや夕食はちやんとできるやうになつて久しい。
なぜ就寝時間は守れないのか。
その日のうちにやりたいことをしてゐないからだらう、とは、以前もここに書いたことである。
ぢやあやりたいことつて何?
といふあたりで、思考が止まつてしまふ。
やりたいことができないのは眠たいから、といふこともある。
「バケツの穴」状態はどうしたらいいのだらうか。
穴を手でふさげばいいのかな。
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