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Friday, 07 July 2017

ToDoリストとしたいこと

自分のToDoリストはほとんどの場合「しなければならないこと」のリストだ。
阿堵物の関はることやものの貸し借り、連絡事項に提出物の期限、ゴミの日などなど、さうしたことを書き出し、日々こなしてゐる。

ToDoリストはそれでいいではないか、といふ話もある。
でもできればここに「したいこと」も入れたい。
入れたいのだが、ToDoリストに入れた瞬間に「したいこと」が「しなければならないこと」に変化しさうでイヤだ。
自分の中でToDoリストとしたいことリストとは別物なのはさういふわけだ。

年頭にその年したいことや達成したいことを書く。
大抵はその年の手帳の最初の空白ページに書く。
適当な場所がない場合は、表紙の見返しなどに書くこともある。
今年はそれをしてゐない。
してゐないのに、ここ四年ほど毎年書いてゐながら達成できなかつたことを、達成してしまつた。
そのことについては今年も引き続き達成を目指す心づもりではゐた。
またら一度達成したからといつて気を許してはならないことではある。
不言実行?
違ふな。
長いこと目標にしてゐるので、書かずともしみついてしまつてゐるのに違ひない。

今年の手帳の冒頭には、今年にかぎらず「したいこと」を書き出してみた。
旅行に行きたいとか、この本を読みたいとかいふやうなことがならんでゐる。
このページを作つたのは去年のことだ。
最初のうちはほとんど出てこなかつた。
書いてはみたものの、「自分はほんたうにこんなことがしたいのだらうか」と反問してしまふ。
いま見返しても、「ほんたうにしたいのか」と考へてしまふ。
それくらゐ、したいことがない。
そんなんで生きてゐて楽しいのだらうか。

さう思つてゐたら、世の中には「生きていく意味とか考へない方が健康的」といふやうな意見があるのだと最近知つた。
「生きていく意味を探してしまふのは、自己肯定感の低い人」なのださうな。
さうなのか。
人間としてこの世に生を受けたら自分の生きてゐる意味を問ふものぢやなかつたのか。
すくなからず衝撃を受けた。

そんなわけで生きてゐても仕方がないなあと思ひつつ、それでもこれをするまでは死ねない、と思つてゐることはある。
「史記」を読むことだ。
どうせ死ぬなら「史記」を読んでから死なう。
あるときさう思つた。
そこで明治書院の新釈漢文漢文体系の「史記」を一巻づつ買つてきて、休みの日にちまちま読んでゐる。
読んだからといつてどうといふことはない。
全然頭に入つてこないこともあるし、読んだはしから忘れていくばかりだ。

読んでゐると、欲も出る。
読み終へたら、今度は時代をおなじくする本紀や世家、列伝をつまみ読みしてみたいとか。
「春秋左氏伝」を読んでみたいとか。
「春秋左氏伝」は以前読んで挫折してゐるので「まあムリかな」と思つたりもするのだが。

とりあへず「史記」の横串読みはしてみたい。
つまりはまあ、しばらくは死ねないといふことか。

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