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Wednesday, 12 July 2017

実ハ考

吉田文雀が「人形には「実ハ」がなければならない」といふ旨のことを語つてゐた。
川本喜八郎との対談でのことである。
別冊太陽 川本喜八郎 人形 -この命あるもの-」に掲載されてゐる。

この話はこれ以上先にはつづかず、そんなわけでどういふ意味なのかをずつと考へてゐる。

浄瑠璃や歌舞伎には「実ハ」といふのがある。
そこらへんの町民だと思つたら実は殿さまだつた、とか。
ただの関守かと思つたら実はお貴族さまだつた、とか。
殿さまだつたり貴族だつたりといふ、その本性をあらはす場面を「見顕し」といふ。
いま大阪松竹座で上演されてゐる「盟三五大切」の薩摩源五兵衛は実ハ赤穂浪士のひとりだ。
浄瑠璃でいふと、「義経千本桜」の渡海屋銀平は実ハ平知盛だし、弥助は実ハ平惟盛である。

「水戸黄門」にもある。
越後のちりめん問屋の隠居実ハ先の副将軍徳川光圀。
「遠山の金さん」もさうか。
遊び人の金さん実ハ町奉行遠山景元。
中島梓が、いはゆる「見顕し」が「水戸黄門」や「遠山の金さん」などの時代劇の醍醐味なのだ、といふやうなことを書いてゐたやうに記憶する。
世間的にはたいしたことのない存在が突然その本性をあらはすところにご見物はカタルシスを覚えるのだ、と。

さうするとウルトラマンなんかもさうかな。
ハヤタ隊員実ハウルトラマン。
モロボシ・ダン実ハウルトラセブン。
郷秀樹実ハ(帰つてきた)ウルトラマン(ジャック)。
みたやうな。

仮面ライダーとかスーパー戦隊ものとかもさうか、といふと、こちらはちよつと微妙な気がする。
ウルトラマンは本性かもしれないが、仮面ライダーやスーパー戦隊のヒーローは普段の姿が本性のやうな気がするからだ。

閑話休題。

文雀の云つてゐた「実ハ」とは、単に「見顕」すことではない気がする。
それでずつと考へてゐて、いまだ結論は出てゐない。

さうだなあ。
たとへば「野崎村」で、お光は鄙の可愛い娘だ。
話が進むにつれ、お光には恋敵であるお染と恋しい久松との決意を悟る聡いところや、それをなんとかしやうとする大胆な行動力、決断力があることがわかってくる。
さういふのも「実ハ」で、文雀の云つてゐた「実ハ」はさういふことなんぢやあるまいか。

お光が「野崎村」冒頭で見せるやうなちよつと勝ち気なところのある娘で、お染にやきもちをやいたままこの浄瑠璃が終はつたら、物語にもなにもなりはしない。

もうちよつとわかりやすい例でいくと、いま歌舞伎の巡業で上演してゐる「妹背山婦女庭訓」のお三輪の疑着の相なんてのも「実ハ」なのではあるまいか。
あるいは「鬼一法眼三略巻」の一条大蔵卿の阿呆は実ハ世を欺く仮の姿、みたやうな。
うーん、でもお三輪や大蔵卿だと見顕しの方に近いか。
やはりお光のやうな感じを文雀は云つてゐたんぢやあるまいか。

違ふかなー。

今後も浄瑠璃や芝居を見るときに気をつけてゆきたい。

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