人形劇三国志通信
「人形劇三国志通信」といふ冊子がある。
先日、神戸は六間道商店街にあるなごみサロンに立ち寄つた。
ありがたいことに Cha-ngokushi 店長のあきよんさんがなにくれとなく話しかけてくだすつて、話題は「人形劇三国志」のことになつた。
「こんなものをいただいたんですよ」と出してきてくだすつたのが「人形劇三国志通信」である。
同人活動といふと、かつては同好の士を募つて同好会やファンクラブのやうなものを作り冊子などを作成するものだつた。
冊子は肉筆のまままとめて回覧したり、印刷所に頼んだりコピーしたりして会員に配つたり外部に売つたりもした。
「人形劇三国志通信」もさうした同人活動のひとつで、人形劇「三国志」が放映されてゐた当時私設ファンクラブを作り、番組の感想などを書いたものをまとめた冊子であつた。
冊子のレイアウトや各会員の書いたものの清書、コピーと製本はすべて会長さんがやつてゐた。
放映当時のことだからすべて手書きである。
会員からは感想だけでなく、イラストなども投稿されてゐた。
会長さんはこれを毎月発行してゐたわけだ。
まことに恐れ入る。
「人形劇三国志通信」は1983年の7,8月合同号にはじまり、1984年3月号で終はる。のちに総集号を出すつもりでゐたらしいが、それはないやうだ。7,8月合同号は会長さんひとりで書いたものと思はれる。
内容は、その月に放映された人形劇「三国志」のあらすじと感想とがメインで、ほかに登場人物に関する考察や三国志に関する書籍などの紹介、会員からの手紙などが掲載されてゐる。
番組の感想とか、読み出すととまらない。
また、「関羽の死」の回の撮影見学記や新宿高野で開催された人形展の感想を掲載した号もある。
「関羽の死」の撮影見学記は実に読み応へがある。
ざつと目を通しただけだが、川本喜八郎から聞いた話として「郭嘉は孔明のなりそこない」だとか「「関羽の死」で一瞬だけ使つてもらふつもりでゐる関羽のカシラは「決死の千里行」でも用ゐたもの」などといふことが書いてある。
郭嘉、孔明のなりそこないだつたのかー。
孔明を作るのに川本喜八郎が大変苦労したといふ話はつとに耳にする。四度作りなほしたとかね。
そのうちのどれかが郭嘉なのだらう。
ほかにも、操演の方々は人形を遣つてゐないときはこどもを抱くやうに人形を抱いてゐる、とくに曹操を遣つてゐる方、みたやうなことが書いてあつて、さういへば船塚洋子さん(のことだらう、おそらく)は人形を前に抱へるときにそんなやうな持ち方をしてゐるなあ、などと思ふのだつた。なんだか人形が可愛く見えるんだよね。
「人形劇三国志通信」は本といふ形にはなつてゐないし、会員に配つてゐただけだらうからあまり外にも出てゐないだらう。
当時はかういふ冊子がほかにも作られてゐたりしたのかなあ。
ほかにもあるなら是非拝見したいものだ。
「人形劇三国志通信」もできることならきちんと読んでみたい。
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