タティングレースと水戸黄門と名前
タティングレースでパイナップル模様を再現したものを見たことがある。
パイナップル模様といふのはかぎ針編みのレースによくある模様だ。
パイナップルといふよりは松ぼつくりではなからうかと昔から思つてゐる。
好きな模様だ。
中には「レースに「パイナップル」なんてトロピカルな名前はふさはしくない」といふ向きもあるやうだが、なに「名がなんぢや。薔薇はなんといふ名で呼んでもいい香りがする」とシェイクスピアも書いたとほりである。
# とはいへ、薔薇を騾馬と呼んだらやはり香りは幾分か落ちる気はする。
かぎ針編みのパイナップル模様をタティングレースで再現する。
興味はある。
見たところ、ちやんとパイナップル模様だ。
だが待てよ。
タティングレースでパイナップル模様を、やつがれはほんたうに作りたいと思つてゐるのだらうか。
あみものでいへば、棒針編みの縄編み模様をかぎ針編みでそれらしく見せる編み方がある。
編んでみては、「うーん、だつたら棒針編みにすればいいのでは?」と思つてしまふ。
本邦では棒針編みもかぎ針編みもひとしく「あみもの」なのでそれほどでもないが、米国では knitting と crochet とははつきりと違つたものと認識されてゐるやうだ。
Elizabeth Zimmermann は「棒針編みでできることはなんでも棒針編みでする」と豪語してゐたし、Wendy D. Johnson は人に棒針編みとかぎ針編みとの違ひを説明して「だから棒針編みの方がすぐれてゐる」と結んだといふ話を blog に書いてゐたやうに記憶するし、とあるかぎ針編みミステリでは棒針編みをする人とかぎ針編みをする人とが「そつちの編み方ぢやあこんなものは作れないだらう」と張り合ふ場面があつた。
別の名前を持つといふことは、それだけで紛争の火種になるのだなあ。
と思つたわけではなく、話は「水戸黄門」である。
武田鉄矢といふ人が水戸光圀を演じるといふ噂をすこし前に聞いて「ご冗談でせう、ファインマンさん」と思つたことであつたが、全然ご冗談ではなかつたのらしい。
しかもよりにもよつて(と一部では云つてゐる)東野英治郎が主演だつたTVドラマの第三部をリメイクするのだといふ。
え、ちよつと待つて、第三部つて、あの、成田三樹夫が出て来るアレかい?
といふわけで、成田三樹夫が演じた役もほかの誰かが演じるのらしい。
第三部にはリアルタイムでは間に合つてはゐない。
日のあるうちに見てゐた記憶があるからあれは再放送だつたらう。
山形勲の柳沢吉保がいいことはリアルタイムで見てゐた第何部かでよくわかつてゐた。
山形勲の柳沢吉保。
あこがれの悪のインテリをぢさま第二号である。
第一号は山村聰の役はなんだか忘れたがやはり時代劇のおえらいさんだつた。が、今回は関係のない話である。
配役を見て「……なんか違ふものなんだらうな」としみじみ思つた。
津田寛治の風車の弥七だけはちよつと見てみたい気はする。
中谷一郎は悪役をよくする俳優だつた。
やつがれにとつてはじめての中谷一郎は風車の弥七だつたので、あとづけの知識である。
後年、古い映画やTVドラマで悪役の中谷一郎を見るにつけ「いいぢやん、中谷一郎」と思つた。
さう、別に風車の弥七はそれほど好きではなかつた。
悪ぢやなかつたからだらうな。
でも中谷一郎演じる悪役を見たあと見ると、弥七も悪かない。
中谷一郎の風車の弥七のなにがいいかといふと、あんなにデッカいのに忍び、といふところである。
おそらく忍びといふのは、あまり躰は大きくない方がいい。
その方が忍びやすいし、人混みにもまぎれやすからう。
なのに中谷一郎はデカい。
なのに忍び。
しかも一流。
ひよつとすると時代劇最強。
いいぢやあないか。
津田寛治はそんなに大きくはないとは思ふが、悪い人の役もよくやる。
いま放映されてゐる朝の連続テレビ小説ではいい人だけどさ。
内藤剛志もさうだつたか。
大きくはないけれど、悪もよくする俳優の弥七といふのはいいんぢやないかなあ。
といふわけで、話がだんだんそれてきたが、つまり、だ。
名前はおなじでも全然別もの、といふのは存在する。
名前がおなじで、すでにあるものと同様にしやうとしたものでも、やつぱり違ふ。
おなじだと云ひ張りたい人がゐるのもわかる。
「こつちの方が断然いいものなのだ」と主張したい。
さういふことつてあるよね。
あるけど、いいんぢやないかな、別ものつてことで。
名前をつけるといふことはかくもめんどうを呼ぶことなのか。
タティングのパイナップル模様は、やつぱりやらない気がする。
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