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Thursday, 06 July 2017

主人公考

「南総里見八犬伝」を読んだとき、里見義実の人物紹介文に「この物語の主人公」と書いてあつて違和感を覚えた。

確かに、物語冒頭の主人公は里見義実かもしれない。
でも「南総里見八犬伝」つて、物語が進むにつれて主人公が入れ替はつてゆく物語なのではあるまいか。
さう思つてゐたからだ。

もしかすると、当時といまとでは「主人公」のとらへ方が違ふのかもしれない。
たとへば「勧進帳」だ。
「勧進帳」の主人公は誰だらうか。
いまの感覚でいつたら武蔵坊弁慶だらう。
その一方で、「勧進帳」の主役は源義経であるといふ説もある。
そして、やつがれも「勧進帳」の主役は義経だと思ふやうになつた。

なぜといつて、「勧進帳」で替へのきかないのは義経だからだ。
「勧進帳」で弁慶が活躍するのは、義経がゐるからだ。
安宅の関で富樫と対峙するのは弁慶でなくてもかまはない。
四天王のうちのひとりだつていい。

でも義経は義経でなければならない。
この話は頼光では成り立たない。
久吉(東吉)でも話にならない。
替へがきかないのだ。

替へがきかないことと主人公とはイコールではないだらう。
さういふ意見もあらう。

でも、「南総里見八犬伝」の主人公が里見義実と書かれてゐたことを思ひ出して、昔はさういふものだつたのではないかと思ふのだ。
「義経千本桜」にしても、義経は替へやうがない。
知盛は「船弁慶」といふ先行作品があるから知盛だけれども、話の内容からいつたら教経でもかまはない。
維盛も忠信も、義経だから出てくる人物なのであつて、これが義経でなかつたら維盛や忠信である必要はない。
「義経千本桜」は義経だからこそ成り立つ物語なのである。
「南総里見八犬伝」は、といふと、まあ、実は里見義実が主人公でなくてもなんとかなるんぢやないかといふ気はしないではない。
でも題名に「南総里見」とつけた時点で里見義実でないといけない。
さういふことなんぢやあるまいか。

などといふことを、「泣き虫弱虫諸葛孔明 第伍部」を読みつつつらつらと考へてゐた。

「三国志演義」の主役は曹操と孔明。
酒見賢一の本を読むまでもなくよく云はれることだ。
いまの感覚だとさうなのかもしれない。
いまの感覚でなくて、昔からさうだつたのかもしれない。
登場回数の多いのはこのふたりだらう。
そこに異論はない。
登場回数の多い分活躍もしてゐる。
でも、なぜか「うん、それはわかるんだけど」と思つてしまふんだよなー。
その理由はわからない。
わからないけど、まあ、こんなことなんぢやないか、と自分では思つてゐる。

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