半分死んだ人
半分死んだ人(by 山本夏彦)とか生きてゐるかしら(by 柴田元幸)みたやうな感じの人に惹かれる。
自分が生に執着してゐる、生きぎたないたちだからだらう。
真逆の性質をもつものを好きになりがちだ。
山本夏彦が自身を「半分死んだ人」と称するのは、みづから命を絶ちかけて生き延びてしまつたことと、すでに点鬼簿にその名を載せるやうな人々の書いたものを読んで著者たちとおつきあひしてゐるからといふことが理由だつたやうに記憶する。
記憶違ひかもしれない。
やつがれの目から見ると山本夏彦ほど生きてゐる人といふ印象を受けることはさうなかつたし、いまもない。
でも「相手が死んでゐるからといつて知り合ひになれないわけではない」といふところが気に入つてゐる。
それとはすこし違ふかもしれないが、すでに鬼籍に入つた役者などもやつがれにとつては死んだ人ではない。
ときどきふつと舞台にあらはれることがある。
義経や白井権八を演じる役者の向かふに梅幸の姿が見えることがあるし、ふいにうつむいた女方の横顔に歌右衛門の影を見ることがある。
セリフの端々に羽左衛門の声音が、ちよつとした身振り手振りに三津五郎の姿が浮かぶことがある。
それは、その場にゐる役者に対してとても失礼なことなのかもしれない。
でもさうしたときに、「ああ、あの役者はかうしていまもこの世にゐるんだなあ」としみじみ思ふのだつた。
こんなに生き汚い自分でも、「半分死ん」だ部分があるのかもしれない。
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