出かけたくない
出かけるのが苦手である、とは何度か書いた。
慣れぬところに行くのがダメなのか。
しかし、いい加減慣れてもよささうな出勤だつてダメだ。
最近暑さで弱つてゐるせゐか、電車に乗るのが気鬱の種だ。
そのときによつて乗る位置を変へねばならないといふのがどうにも苦痛なのだ。
状況を見て判断しなければならない。
どの場所なら空いてゐるのか。
自分のまへに並んだ人の数から考へてその位置は自分が乗るときにまだ空いてゐるだらうか。
自分のうしろに並んだ人の数から考へてどの位置に立つたら邪魔にならないのか。
さうしたことどもを考へるのが、もう、ほんたうにつらい。
あんまりつらいので、混んでゐてもいいから電車のこの位置がやつがれの場所と決めてほしいと思ふくらゐである。
芝居を見に行くには必ず出かけなければならない。
これもつらい。
こんなに出不精なのに芝居を見るといふことがそもそも矛盾してゐる。
泊まりがけで芝居を見に行くときも、下手すると行きの車中で泣きさうになることがある。
なんで自分はこんなところにゐるのだらう、などと考へてしまふのだ。
どんなに見たい芝居でもさうなることがある。
まれに出かけるのが苦にならない芝居といふのもあるが、それは芝居が楽しみといふよりもこちらの気分の問題である。
一度帰宅したらもう二度と外出したくない。
ゴミの日が祝日だつたりすると、ゴミを出して帰宅したらもうよそには行きたくない。
いきほひ、そのまま用事をすませやうとするからゴミを出す時間が遅くなる。
以前、「ひきこもりの問題は、ほんたうはひきこもりたくないのにひきこもつてゐることだ」と書いたことがある。
やつがれの場合は逆で、ひきこもりたいのにひきこもれないのが問題だ。
できるものならひきこもりたい。
しかし先立つものがない。
仕方なく働きに出るわけだ。
ひきこもれるだけの蓄へがあつたら、出かけなくなるだらうか。
芝居にも行かなくなるのだらうか。
芝居くらゐはたまには行くのかな。
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