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Monday, 31 July 2017

目標設定した方がいいかも

パピーのピマデニムで編んでゐる Helix Scarf はちよこちよこ進んでゐる。
なぜか編む気になる編み方だ。
両端を引き返し編みするので進み具合はよくないが、自分に向いた編み方なのだらう。

パピーのピマデニムのラベルには推奨針サイズが5号とか6号とか書いてあつたやうに思ふ。
今回はぱつと手にした針で編んでゐる。
7号だつた。
手加減のゆるさもあつて、ただでさへふりふりした編み地になるのに、さらにドレープ感が増してゐる感じがする。

先日、IHIステージアラウンド東京に行つてきた。
できたらそれにあはせて Helix Scarf を仕上げたいと思つてゐたが、それはかなはなかつた。

なぜIHIステージアラウンド東京に行くのに Helix Scarf がほしかつたのか、といふと、冷えるといふ話を聞いたからだ。
また、Helix Scarf を仕上げるのにはいい機会なのではないかとも思つた。

Helix Scarf はこれといつた目的もなく編んでゐる。
もちろん、できたら使ふつもりでゐるし、綿の糸なのでちよつと冷えてきたら即使へるだらうとも思つてゐる。
でも「これのために使ふ!」みたやうなのがないから、なんとなくだらだらと編んでしまつてゐるやうな気がしないでもない。
目標があつた方がいいんぢやあるまいか。
さう思つたのだ。

でもまあ、なんとなく毎日ちよこちよこ編んではゐるので、そのうちできあがるだらう。
円形のショールの外周を編むとき、あまりの長さに途方にくれることがある。
それでも毎日すこしでも編んでゐればいつかは終はる。
Helix Scarf はもつとちいさいものだけれども、おなじ伝でそのうち仕上がることだらう。

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Friday, 28 July 2017

人形劇三国志通信

「人形劇三国志通信」といふ冊子がある。

先日、神戸は六間道商店街にあるなごみサロンに立ち寄つた。
ありがたいことに Cha-ngokushi 店長のあきよんさんがなにくれとなく話しかけてくだすつて、話題は「人形劇三国志」のことになつた。
「こんなものをいただいたんですよ」と出してきてくだすつたのが「人形劇三国志通信」である。

同人活動といふと、かつては同好の士を募つて同好会やファンクラブのやうなものを作り冊子などを作成するものだつた。
冊子は肉筆のまままとめて回覧したり、印刷所に頼んだりコピーしたりして会員に配つたり外部に売つたりもした。

「人形劇三国志通信」もさうした同人活動のひとつで、人形劇「三国志」が放映されてゐた当時私設ファンクラブを作り、番組の感想などを書いたものをまとめた冊子であつた。
冊子のレイアウトや各会員の書いたものの清書、コピーと製本はすべて会長さんがやつてゐた。
放映当時のことだからすべて手書きである。
会員からは感想だけでなく、イラストなども投稿されてゐた。
会長さんはこれを毎月発行してゐたわけだ。
まことに恐れ入る。

「人形劇三国志通信」は1983年の7,8月合同号にはじまり、1984年3月号で終はる。のちに総集号を出すつもりでゐたらしいが、それはないやうだ。7,8月合同号は会長さんひとりで書いたものと思はれる。
内容は、その月に放映された人形劇「三国志」のあらすじと感想とがメインで、ほかに登場人物に関する考察や三国志に関する書籍などの紹介、会員からの手紙などが掲載されてゐる。
番組の感想とか、読み出すととまらない。

また、「関羽の死」の回の撮影見学記や新宿高野で開催された人形展の感想を掲載した号もある。
「関羽の死」の撮影見学記は実に読み応へがある。
ざつと目を通しただけだが、川本喜八郎から聞いた話として「郭嘉は孔明のなりそこない」だとか「「関羽の死」で一瞬だけ使つてもらふつもりでゐる関羽のカシラは「決死の千里行」でも用ゐたもの」などといふことが書いてある。
郭嘉、孔明のなりそこないだつたのかー。
孔明を作るのに川本喜八郎が大変苦労したといふ話はつとに耳にする。四度作りなほしたとかね。
そのうちのどれかが郭嘉なのだらう。

ほかにも、操演の方々は人形を遣つてゐないときはこどもを抱くやうに人形を抱いてゐる、とくに曹操を遣つてゐる方、みたやうなことが書いてあつて、さういへば船塚洋子さん(のことだらう、おそらく)は人形を前に抱へるときにそんなやうな持ち方をしてゐるなあ、などと思ふのだつた。なんだか人形が可愛く見えるんだよね。

「人形劇三国志通信」は本といふ形にはなつてゐないし、会員に配つてゐただけだらうからあまり外にも出てゐないだらう。
当時はかういふ冊子がほかにも作られてゐたりしたのかなあ。
ほかにもあるなら是非拝見したいものだ。
「人形劇三国志通信」もできることならきちんと読んでみたい。

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Thursday, 27 July 2017

筆文様 システム手帳リフィル

先日、神戸は元町の Pen and message. に行つた。

もともとオリジナルインクの冬枯れは買ふつもりでゐた。
ほかにもなにか、と思つて購入したのが筆文様といふシリーズのシステム手帳のリフィルである。

筆文様

リフィルをデザインしたかなじいさんのことは Pen and message. の店員さんのblog DRAPE で知つた。
こんな字で紙を埋めてみたいよねえ。
しみじみさう思つた。

blog もしばしば拝見してゐて、ノートの使ひ方や文房具に限らず着るものなどのものづくりなど、「すごいなあ」と眺めてゐるのだが。
システム手帳のリフィルは買はないだらうと思つてゐた。

なぜかと問はれると答へに窮する。
かなじいさんのデザインした筆文様が発表された時点では、まだシステム手帳リフィルの大海に溺れてゐて、すぐ手に入るものでいつぱいいつぱいだつたから、かもしれない。

システム手帳のリフィルは、スライド手帳と5mm方眼紙に落ち着いた。
ほかに買ふとしたらカレンダーとか年間予定表だらう。
5mm方眼紙は Bullet Journal として使用してゐる。
リフィルはこれできまりだらう。

さうは思ふものの、この5mm方眼といふのが問題なのだつた。
一行に書くには小さすぎ、二行使ふと広すぎる。
一行おきに書いてもいいが、それだとなんとなくすかすかする。

筆文様には、3mm方眼と3mm罫とのリフィルがある。
3mm方眼なんてほかの会社でも出してゐるぢやあないか。
さういふ向きもあらう。
さはさりながら、ちよつと大きい文房具店に行かないとなかつたりはする。
それに、Bullet Journal は Bullet Journal でつづけていくつもりでゐるものの、自分には方眼よりも罫線の方があふのではないかといふ気もする。
筆文様の3mm罫は三行ごとに太い線になつてゐて、三行を一行として書けるやうになつてゐる。
二行に字を書いて一行はふりがな用に使つてもいい。
昔、こんなノートを使つてゐたなあ。
英字も書きやすいノート、とかいはれてゐたやうな気がする。

そんなわけで、まづは3mm罫を買ふことにした。

早速モンテグラッパのピッコラで書いてみる。
紙はちよつと厚めですこしざらつとした印象がある。書いてゐてわづかに抵抗を感じる、そんな紙だ。
どちらかといふとするするした書き心地の方が好きだが、わづかな抵抗によつてペン先を制御しやすい感じがするのもまたいい。

水玉罫ははじめて見たときから気になつてゐた。
でも使ひ道が思ひつかなかつた。
今回、Pen and message. の店頭で使用サンプルを見せてもらひ、使ひ道にいろいろな可能性のあることにさらに惹かれ、結局買ふことにした。
まだ使つてゐないが、マンダラートのやうな3×3で使つてみやうかと思つてゐる。

あまり「これがないと暮らしていけない」といふものは増やしたくはない。
さう思つて生きてゐるけれど、筆文様のシステム手帳リフィルは「これがないと書いても楽しくない」ものになりさうな予感がしてゐる。

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Wednesday, 26 July 2017

マルチタスクは脳に損傷を与へるか

人間は本来シングルタスクなもので、マルチタスクには向いてゐない、といふ。
マルチタスクをすることで脳にダメージを与へるといふ研究結果もあると聞く。

さうなのかなあ。
だとしたら、世の家事をする人はみな脳にダメージを与へてゐるのだらうか。

家事と大きく出てしまつたが、料理ひとつとつてもマルチタスクだ。
お湯を沸かしてゐるあひだに材料を切つて、おかずを作つてゐるあひだにご飯を炊き、蒸らしてゐるあひだに二品めのおかずを用意する。ちよつと手が空いたら皿などを洗ふ。
これをシングルタスクでこなしてゐたら、夕食の準備だけでどのくらゐの時間がかかるかしれない。
シングルタスクでやつてゐたらごはんかおかずか先にできた方は冷えてしまふ。

確かに、慣れないうちはかうして食事の支度をすることはひどく疲れる。
慣れても弱つてゐるときにはムリだと思ふこともある。
でもさうも云つてゐられないんだよなあ。
かうして日々脳にダメージを与へつつ生きてゐるのだらうか。

マインドフルネスにしてもさうで、食事の支度をするときにひとつのことに集中してはゐられない。
「食事の支度をする」といふことに集中はできるかもしれないが、その中の作業は多岐にわたる。
場合によつては食事の支度をしつつお風呂をわかしたり洗濯をしたりすることもあらう。

もしかして、「マルチタスク」や「マインドフルネス」を誤解してゐるのだらうか。
そんな気もする。

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Tuesday, 25 July 2017

タティングレースで作りたいもの

タティングレースで作りたいものはなんだらう。

答へはわかつてゐる。
ショールのやうな大きいものが作りたい。
できれば糸は40番手かそれより細いものもしくは極細毛糸で、モチーフつなぎよりはブレイドといはうかエジングといはうかさういふ長いものをつないだものが作りたい。

わかつてゐるのになぜ作らないのか。

いま作つてゐる Mary Konior のデザインしたモチーフ Masquerade をひたすらつないでゐるものは、作りたいものの準備のつもりでゐた。
Masquerade はとても好きなモチーフで、これまでも何度か作つてゐる。
これをたくさんつないでショールが作れないか。
さう思つて、Lisbeth #40 を一玉使つてモチーフがいくつ作れるかを確認しやう。
さうしてはじまつたのがこのモチーフつなぎなのだつた。

モチーフをつないでゐるうちに、目的は忘れられ、「なんとかこのつないだものを形にしやう」としはじめたのがいけなかつたのかもしれない。
いまはモチーフを箱型になるやうにつないで小物入れのやうなものを作るつもりでゐる。
糸があまつたら、別にモチーフつなぎのちいさなドイリーでも作らうかと思つてゐる。
さうやつて、とりあへずは「一玉でモチーフをいくつ作れるか」を確認するつもりだ。

とはいふものの。
いま使つてゐるレース糸を全部使ひきつたあかつきに、また Masquerade をつなぎ続けるやうなものを作るのか。
それはないやうな気がしてゐる。
Masquerade は好きなモチーフだし、作つてゐても楽しい。
でも、そろそろなにか別なものを作りたいな。
さういふ気分なのだ。

なにかもつと小さいもので作りたいと思ふものがあるといいのだが。
ないんだよねえ。
タティングレースでは、イヤリングのやうなアクセサリーを作る人が多いと聞いてゐる。
自分もさういふものを作りたいと思へるやうならよかつたのだが、残念ながらあまり興味がない。
小さいものはすぐできてしまふので、いくつもいくつもおなじものを作ることになりがちだからだ。
いくつもいくつもおなじものを作ると、その始末に困る。
だからショールが作りたいと思ふのかもしれない。

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Monday, 24 July 2017

Helix Scarf を編む

パピーのピマデニムで編んでゐる Helix Scarf はぼちぼち進んでゐる。

Helix Scarf は編み進むにつれどんどんフリフリになつていく。
両端で引き返し編みをして編み地が増えるので、フリルのやうになるといふ寸法だ。

編みはじめたばかりのころは、そんなにフリフリしない。
編み進むにつれどんどんフリフリしてきて、「ほんたうにこれを使ふのだらうか」とちよつと途方にくれる。
デニム地のやうな編み地になるので、そんなに可愛くなりすぎはしないかな。

Helix Scarf は、しかし、編んでゐて楽しい。
ここ、重要だ。
最初のうちは引き返し編みといはうか、wrap & turn に慣れなかつた。
主な成分が羊毛の糸でなら何度もやつてきたが、綿100%の糸でははじめてだ。
思つたよりも wrap した糸をすくひとつて編むのが大変だつた。
糸の伸びが悪いからだらう。
「……これはもう編み進めることはできないかもしれない」と一瞬思つた。
でも続いてゐる。
慣れたんだな。
wrap した糸をすくふときにちよつと手間取るのは変はられないけれど、それはさういふものと認識できるやうになつたのらしい。

大変であたりまへと思へる技とさうでない技とがある。
編み込み模様で糸を二本指にかけて編むといふのがどうにも苦手でな。
くつ下を二足、手袋を二つほど編んだけれど一向に慣れない。
編み込み模様で編みたいものはいくらもあるんだけどなあ。
いくつもいくつもつづけて編まないと慣れないのかもしれない。

Helix Scarf はガーター編みなので、端糸の始末も編み進めながらできるところがいいといふのもある。
ガーター編み、いいよね。
この前も Koigu の糸で Domino Knitting にしたものを見て、きつちりそろつた編み目にうつとりしたものだつた。
自分で編むとかうはならないんだよなあ。
ガーター編みにしても鹿の子編みにしても。
どちらも好きなんだけれども。
以前はメリヤス編みの編み地が好きだつたが、最近はガーター編みとか鹿の子編みとか、あるいはテクスチュアつぽい編み方にも心惹かれてゐる。

今年はヴェストを編みたいなあ。
その前に袖なし羽織を仕上げないと、か。
これもガーター編みなのだつた。
編み地はまだそろはない。

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Friday, 21 July 2017

「人形劇三国志」の音入れ

人形劇三国志」がNHKで放映されてゐたころ、何度かNHK放送センターに行つた。
いまだとスタジオパークといふのかな。
入口にガラスのケースがあつて人形が展示されてゐた。毎月人形を入れ替へてゐたやうに思ふ。
「関羽の死」の撮影を見学しに行つた話は何度か書いてゐる。
ほかに「音入れ」といふのがあつた。
各スタジオに使用予定が書き込まれてゐて、とあるスタジオに「人形劇三国志 音入れ」といふ予定が入つてゐた。日付と時刻はもう覚えてゐない。

「音入れ」つてなにをするのだらう。
「音入れ」といふくらゐだから音を入れるのだらう。
気になるなー。

といふわけで、ある日、友人たちとつれだつて見に行つた。
スタジオと見学者のゐる場所とのあひだはガラスで仕切られてゐる。
こちらはすこし見下ろすやうな形で中を覗くことになる。
中には指揮者とおぼしき人と管弦楽団の人々とかゐた。
「音入れ」とはすなはちBGMの録音のことだつたのだ。
BGMなので曲は途切れ途切れになる。
おなじ曲をことなる編曲で何度も演奏したりもする。
指揮者のイメージどほりにならないときもおなじ曲を何度もくりかへす。
さういふやうすをぼんやりと聞いたのだつた。
もう忘れてしまつたけれど、のちに番組を見ながら「あ、これはあの「音入れ」のときの回なんだな」とわかつたものだつた。

いま見返してみると「人形劇三国志」のBGMは実に多彩だ。
主な登場人物にはそれぞれテーマ曲があつて、ひとつひとつにさまざまなアレンジがある。
また、ある登場人物のテーマ曲から別の人物のテーマ曲へと切り替はるときのトランジション部も場面によつて違ふやうに聞こえるし、ときにはまつたくトランジション部なしにいきなり曲が変はることもある。
曹操のテーマ曲は長調のせゐか、玄徳・関羽など短調のテーマ曲と切り替はるときは大抵なにがしかトランジション部があるのだが、なにかのときにトランジション部なしにいきなり切り替はつたときがあつて、「おおっ」と思つた。
細かいよねえ。
この細かさがまたたまらないんだよねえ。

もつと音入れの見学に行けてゐたらなぁ、といまになつて思ふ。
でもまあ、無理だねえ。
渋谷にしよつ中行くなんて、できなかつたもの。
それでも可能な範囲でよく行つてゐたなあ、と、たまにNHK放映センターのそばをとほると思ふ,のだつた。

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Thursday, 20 July 2017

出かけたくない

出かけるのが苦手である、とは何度か書いた。

慣れぬところに行くのがダメなのか。
しかし、いい加減慣れてもよささうな出勤だつてダメだ。
最近暑さで弱つてゐるせゐか、電車に乗るのが気鬱の種だ。
そのときによつて乗る位置を変へねばならないといふのがどうにも苦痛なのだ。
状況を見て判断しなければならない。
どの場所なら空いてゐるのか。
自分のまへに並んだ人の数から考へてその位置は自分が乗るときにまだ空いてゐるだらうか。
自分のうしろに並んだ人の数から考へてどの位置に立つたら邪魔にならないのか。
さうしたことどもを考へるのが、もう、ほんたうにつらい。
あんまりつらいので、混んでゐてもいいから電車のこの位置がやつがれの場所と決めてほしいと思ふくらゐである。

芝居を見に行くには必ず出かけなければならない。
これもつらい。
こんなに出不精なのに芝居を見るといふことがそもそも矛盾してゐる。
泊まりがけで芝居を見に行くときも、下手すると行きの車中で泣きさうになることがある。
なんで自分はこんなところにゐるのだらう、などと考へてしまふのだ。
どんなに見たい芝居でもさうなることがある。

まれに出かけるのが苦にならない芝居といふのもあるが、それは芝居が楽しみといふよりもこちらの気分の問題である。

一度帰宅したらもう二度と外出したくない。
ゴミの日が祝日だつたりすると、ゴミを出して帰宅したらもうよそには行きたくない。
いきほひ、そのまま用事をすませやうとするからゴミを出す時間が遅くなる。

以前、「ひきこもりの問題は、ほんたうはひきこもりたくないのにひきこもつてゐることだ」と書いたことがある。
やつがれの場合は逆で、ひきこもりたいのにひきこもれないのが問題だ。
できるものならひきこもりたい。
しかし先立つものがない。
仕方なく働きに出るわけだ。

ひきこもれるだけの蓄へがあつたら、出かけなくなるだらうか。
芝居にも行かなくなるのだらうか。
芝居くらゐはたまには行くのかな。

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Wednesday, 19 July 2017

エルバンのヴィオレパンセ あるいは仏蘭西色

最近またエルバンのヴィオレパンセを愛用してゐる。

エルバンのインキではじめて買つたのがヴィオレパンセだつた。
ヨーロッパタイプのカートリッジの入る万年筆を手に入れたので、それでなにかいいインキはないかと探して手に入れた。

のちに、ウルトラマン放送開始の年まではフランスの全小学校でエルバンのヴィオレパンセが指定インキだつたと聞いた。
森茉莉が「仏蘭西色」と呼んだのは茶色だつたやうな気がするが、やつがれにとつて「フランス色」はそのときからヴィオレパンセの色になつた。
すなはち、すみれ色、だ。
「すみれの花咲く頃」など聞くとぼんやり「フランス色だなぁ」などと思つたりする。
白いリラ? なんのことですか?

最初にヴィオレパンセのカートリッジをさしたペンはあまり使はないうちにペン先からインキが出なくなつてしまつた。
ペンが悪かつたのかもしれない。
さう思つて、ペリカーノJr.やその他の会社の似たやうなペンに使つてみたところ、同様の状態になつた。
比較的粘度が高いインキなのかもしれない。
ファーバー・カステルのこども用の万年筆だけは大丈夫で、大丈夫となるとよく使ふやうになるからますますインキはかたまることもなくよく使へてゐた。

しかし、である。
いくら過去にフランスの小学校で指定インキだつたからといつて、この色を常用できるだらうか。
常用するのはいい。
でも、個人的なメモやノートにしか使へないのでは?
そんな気もして、またよく行く文房具店からエルバンが消へてしまつて、使はなくなつてしまつた。

それが使ふやうになつたのは、紫色のペンを買つたからだ。
パイロットの色彩雫の紫式部にしやうかな。
さうも思つたが、人のblogでそのペンと紫式部とは相性がよくないといふ話を読んだ。

ペン先は中字でとても書きやすい。
たまに Moleskine にも使ふ。裏抜けもするが、まあ、やつがれには許容範囲だ。

ペンの方はまだ手になじんでゐないので、もつと書かないとなー、と思つてゐる。
書きやすいうへにうるはしい色の線がかけるので、どんどん使つていきたい。

J. P. Erbin Viollete Pensee

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Tuesday, 18 July 2017

省エネルギー対策つて、ほんとに効果上がつてるの?

タティングレースのモチーフつなぎはあまり進んでゐない。
進んでゐない理由ははつきりしてゐる。
昼休み中、職場の照明が消へてしまふからだ。
省エネルギー対策なのださうである。

省エネルギー対策と称していろんなことが行はれてゐる。
冷房の設定温度を摂氏28度以上にするとか。
クールビズとやらいふドレス・コードであるとか。
ごみの分別とか。
いづれも施行されて長いことたつてゐると思ふのだが、毎年夏は暑くなつてゐる気がする。
下手をすると五月の連休のときから暑い。
省エネルギー対策なんて、全然きいてないんぢやないの?

もちろん、冷房の設定温度は28度以上などといふことをまつたく無視してゐる場合も多からうし、クールビスといつたつて客先を訪問するときはそれなりの恰好をしなければならない。
ゴミの分別だつて人間のすることだから間違へることもあらう。

それに、地球温暖化にしたつて長年にわたる二酸化炭素等の排出が原因なのだらうから、対策もまた何十年もかけないと結果が出ないものなのかもしれない、とも思ふ。

そんなわけでタティングレースは進んでゐない。
今日は久しぶりに明るいところでタティングできる予定だ。
先週あきらめた端糸の始末をしなくちや。
それで今日一日は終はりさうだな。

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Monday, 17 July 2017

綿の糸でマフラーを編む

ネクタイはちよこちよこ進んではゐるが、reticule の方はさつぱりだ。
そんな中、パピーのピマデニムで Helix Scarf を編みはじめてしまつた。

Helix Scarf in Progress

パピーのピマデニムでは、去年の夏 Lacy Baktus を編んだ。
ピマデニムの Lacy Baktus はすこし冷えてきてからも使つてゐた。
綿の糸で編んだものは使用できる期間が長い。
ものによつては真冬だつて使へる。
Debbie Bliss がおなじやうなことを云つてゐた、とは以前も書いた。

Helix Scarf は紡ぎの雑誌に掲載されてゐたものだ。
写真ではタクリで紡いだレース糸で編んだものが掲載されてゐた。
その後、読者が紡いで編んだ Helix Scarves (rav) の写真が載つた号があつたやうに記憶する。

Helix Scarf は、あまり効率よく編めないタイプのマフラーだ。
左右で引き返し編みをしながら編み進むからだ。

昔は「引き返し編み」と聞くだけで敬遠してゐた。
はじめての引き返し編みはセーターの肩の部分だつたと思ふ。
これがよくわからなくてね。
あみものの本のうしろの方に編み方がまとめて掲載されてゐて、その中に肩の引き返し編みの編み方もあつた。
書いてあるとほりに編んで、確かに肩のななめの線ができるのだが、自分でうまくできてゐる気がしなかつた。
セーターの肩などといふものはさう何度も編むものではないし、普通にマフラーを編む場合は引き返し編みなど出てこない。

まがりなりにも「引き返し編みができる」といへるやうになつたのは、くつ下のおかげである。
Wendy さんのつま先から編む靴下 の編み方でくつ下を編んで、wrap & turn 方式の引き返し編みのあることを学んだ。
これでなんとなく引き返し編みとはどういふものかを理解できた。
以降はセーターの肩部分の引き返し編みも、編み方を見ながらではあるものの編めるやうになつた。

くつ下編みは偉大である。

ところで昨日編みはじめた Helix Scarf はなかなかいい感じで進んでゐる。
やつぱりマフラーとかネックウォーマとか、首回りのものを編むのが好きなんだなあ。
この五月に冬ものの片付けをして「もうマフラーとかショールとかネックウォーマは編まない」と心に誓つたけれど、結局編んでゐる。
先日編んだのもネックウォーマだつたしね。
好きなのだからもうあきらめて、今後もマフラーだのネックウォーマだのを編むことにしたい。

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Friday, 14 July 2017

半分死んだ人

半分死んだ人(by 山本夏彦)とか生きてゐるかしら(by 柴田元幸)みたやうな感じの人に惹かれる。

自分が生に執着してゐる、生きぎたないたちだからだらう。
真逆の性質をもつものを好きになりがちだ。

山本夏彦が自身を「半分死んだ人」と称するのは、みづから命を絶ちかけて生き延びてしまつたことと、すでに点鬼簿にその名を載せるやうな人々の書いたものを読んで著者たちとおつきあひしてゐるからといふことが理由だつたやうに記憶する。
記憶違ひかもしれない。
やつがれの目から見ると山本夏彦ほど生きてゐる人といふ印象を受けることはさうなかつたし、いまもない。
でも「相手が死んでゐるからといつて知り合ひになれないわけではない」といふところが気に入つてゐる。

それとはすこし違ふかもしれないが、すでに鬼籍に入つた役者などもやつがれにとつては死んだ人ではない。
ときどきふつと舞台にあらはれることがある。
義経や白井権八を演じる役者の向かふに梅幸の姿が見えることがあるし、ふいにうつむいた女方の横顔に歌右衛門の影を見ることがある。
セリフの端々に羽左衛門の声音が、ちよつとした身振り手振りに三津五郎の姿が浮かぶことがある。

それは、その場にゐる役者に対してとても失礼なことなのかもしれない。
でもさうしたときに、「ああ、あの役者はかうしていまもこの世にゐるんだなあ」としみじみ思ふのだつた。

こんなに生き汚い自分でも、「半分死ん」だ部分があるのかもしれない。

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Thursday, 13 July 2017

見られないけど水戸黄門

先日、新たに制作されるTVドラマ「水戸黄門」の詳細が発表された。

東野英治郎が主演だつたときのTVドラマの第三部をリメイクするといふので、悲憤慷慨する向きもあつたやうだ。
え、自分の愛する作品が自分の手の届かないところで意にそまぬ方向に改変されたら、「世情を嘆く」でせう?
ま、いいか。

ところで、十一月には国立劇場で「沓掛時次郎」を上演するのだといふ。
「沓掛時次郎」といつたら長谷川伸の代表作のひとつだ。
Wikipedia で見たら八度も映画化されてゐるといふ。
七年前にはまんが化もされたのださうな。

八度も映画化されてゐるといふことは、「沓掛時次郎」はそれだけリメイクされてきたといふことだ。
舞台でも繁くかかつてゐたころもあらうし、TVドラマ化も何度かされてゐる。

「沓掛時次郎」がさうなら、「瞼の母」もさうだらう。
忠臣蔵や遠山の金さんなどもさうだし、水戸黄門だつて何度も違ふ配役で映像化されてゐる。

さう思つて Wikipedia の水戸黄門を見てみたらなんだかすごいことになつてゐた。
映像化の最初は目玉の松つちやんか。
記憶にある昔の水戸黄門といふと月形龍之介なのだが、大河内傳次郎だとか市川右太衛門だとか、すごいメンバーが主演に名を連ねてゐる。

さういへばアニメもあつたなあ、「水戸黄門」。
「最強ロボ ダイオージャ」といふ水戸黄門をベースにしたロボットアニメもあつた。好きでよく見てゐた。

これだけ何度も作られてゐて、それでもなほ嘆かれてしまふ今度の「水戸黄門」つて……
どうしてなのかなあ。

水戸黄門といへばTVドラマの時代劇で東野英治郎や西村晃、佐野浅夫らが演じてゐたアレである、といふことになつてしまつてゐるからか。
確かに、こどもの時分に「月形龍之介の水戸黄門といふものがある」と云つても友人には通じなかつただらうとは思ふ。
「月形龍之介 who?」といふ感じだつたらうとは思ふし。

水戸黄門といふ作品は過去に何度も何度も手を変へ品を変へ新たなものが作り出されてきたものだ、といふ共通認識がすくなからず欠けてゐるのかもしれない。

と、書きながら、「さうぢやないな」と思つてゐる。
世の悲憤慷慨は、「よりにもよつて」「第三部」といふところにある。
さういふことなのではないかと思ふ。
根拠はないけど。

ほんたうに、なんでよりにもよつて第三部なんだらう。
新しく書き下ろすことはできなかつたのだらうか。
できなかつたのかもしれないなあ。

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Wednesday, 12 July 2017

実ハ考

吉田文雀が「人形には「実ハ」がなければならない」といふ旨のことを語つてゐた。
川本喜八郎との対談でのことである。
別冊太陽 川本喜八郎 人形 -この命あるもの-」に掲載されてゐる。

この話はこれ以上先にはつづかず、そんなわけでどういふ意味なのかをずつと考へてゐる。

浄瑠璃や歌舞伎には「実ハ」といふのがある。
そこらへんの町民だと思つたら実は殿さまだつた、とか。
ただの関守かと思つたら実はお貴族さまだつた、とか。
殿さまだつたり貴族だつたりといふ、その本性をあらはす場面を「見顕し」といふ。
いま大阪松竹座で上演されてゐる「盟三五大切」の薩摩源五兵衛は実ハ赤穂浪士のひとりだ。
浄瑠璃でいふと、「義経千本桜」の渡海屋銀平は実ハ平知盛だし、弥助は実ハ平惟盛である。

「水戸黄門」にもある。
越後のちりめん問屋の隠居実ハ先の副将軍徳川光圀。
「遠山の金さん」もさうか。
遊び人の金さん実ハ町奉行遠山景元。
中島梓が、いはゆる「見顕し」が「水戸黄門」や「遠山の金さん」などの時代劇の醍醐味なのだ、といふやうなことを書いてゐたやうに記憶する。
世間的にはたいしたことのない存在が突然その本性をあらはすところにご見物はカタルシスを覚えるのだ、と。

さうするとウルトラマンなんかもさうかな。
ハヤタ隊員実ハウルトラマン。
モロボシ・ダン実ハウルトラセブン。
郷秀樹実ハ(帰つてきた)ウルトラマン(ジャック)。
みたやうな。

仮面ライダーとかスーパー戦隊ものとかもさうか、といふと、こちらはちよつと微妙な気がする。
ウルトラマンは本性かもしれないが、仮面ライダーやスーパー戦隊のヒーローは普段の姿が本性のやうな気がするからだ。

閑話休題。

文雀の云つてゐた「実ハ」とは、単に「見顕」すことではない気がする。
それでずつと考へてゐて、いまだ結論は出てゐない。

さうだなあ。
たとへば「野崎村」で、お光は鄙の可愛い娘だ。
話が進むにつれ、お光には恋敵であるお染と恋しい久松との決意を悟る聡いところや、それをなんとかしやうとする大胆な行動力、決断力があることがわかってくる。
さういふのも「実ハ」で、文雀の云つてゐた「実ハ」はさういふことなんぢやあるまいか。

お光が「野崎村」冒頭で見せるやうなちよつと勝ち気なところのある娘で、お染にやきもちをやいたままこの浄瑠璃が終はつたら、物語にもなにもなりはしない。

もうちよつとわかりやすい例でいくと、いま歌舞伎の巡業で上演してゐる「妹背山婦女庭訓」のお三輪の疑着の相なんてのも「実ハ」なのではあるまいか。
あるいは「鬼一法眼三略巻」の一条大蔵卿の阿呆は実ハ世を欺く仮の姿、みたやうな。
うーん、でもお三輪や大蔵卿だと見顕しの方に近いか。
やはりお光のやうな感じを文雀は云つてゐたんぢやあるまいか。

違ふかなー。

今後も浄瑠璃や芝居を見るときに気をつけてゆきたい。

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Tuesday, 11 July 2017

タティングレースと水戸黄門と名前

タティングレースでパイナップル模様を再現したものを見たことがある。

パイナップル模様といふのはかぎ針編みのレースによくある模様だ。
パイナップルといふよりは松ぼつくりではなからうかと昔から思つてゐる。
好きな模様だ。
中には「レースに「パイナップル」なんてトロピカルな名前はふさはしくない」といふ向きもあるやうだが、なに「名がなんぢや。薔薇はなんといふ名で呼んでもいい香りがする」とシェイクスピアも書いたとほりである。
# とはいへ、薔薇を騾馬と呼んだらやはり香りは幾分か落ちる気はする。

かぎ針編みのパイナップル模様をタティングレースで再現する。
興味はある。
見たところ、ちやんとパイナップル模様だ。
だが待てよ。
タティングレースでパイナップル模様を、やつがれはほんたうに作りたいと思つてゐるのだらうか。

あみものでいへば、棒針編みの縄編み模様をかぎ針編みでそれらしく見せる編み方がある。
編んでみては、「うーん、だつたら棒針編みにすればいいのでは?」と思つてしまふ。
本邦では棒針編みもかぎ針編みもひとしく「あみもの」なのでそれほどでもないが、米国では knitting と crochet とははつきりと違つたものと認識されてゐるやうだ。
Elizabeth Zimmermann は「棒針編みでできることはなんでも棒針編みでする」と豪語してゐたし、Wendy D. Johnson は人に棒針編みとかぎ針編みとの違ひを説明して「だから棒針編みの方がすぐれてゐる」と結んだといふ話を blog に書いてゐたやうに記憶するし、とあるかぎ針編みミステリでは棒針編みをする人とかぎ針編みをする人とが「そつちの編み方ぢやあこんなものは作れないだらう」と張り合ふ場面があつた。

別の名前を持つといふことは、それだけで紛争の火種になるのだなあ。
と思つたわけではなく、話は「水戸黄門」である。

武田鉄矢といふ人が水戸光圀を演じるといふ噂をすこし前に聞いて「ご冗談でせう、ファインマンさん」と思つたことであつたが、全然ご冗談ではなかつたのらしい。
しかもよりにもよつて(と一部では云つてゐる)東野英治郎が主演だつたTVドラマの第三部をリメイクするのだといふ。
え、ちよつと待つて、第三部つて、あの、成田三樹夫が出て来るアレかい?
といふわけで、成田三樹夫が演じた役もほかの誰かが演じるのらしい。

第三部にはリアルタイムでは間に合つてはゐない。
日のあるうちに見てゐた記憶があるからあれは再放送だつたらう。
山形勲の柳沢吉保がいいことはリアルタイムで見てゐた第何部かでよくわかつてゐた。
山形勲の柳沢吉保。
あこがれの悪のインテリをぢさま第二号である。
第一号は山村聰の役はなんだか忘れたがやはり時代劇のおえらいさんだつた。が、今回は関係のない話である。

配役を見て「……なんか違ふものなんだらうな」としみじみ思つた。
津田寛治の風車の弥七だけはちよつと見てみたい気はする。
中谷一郎は悪役をよくする俳優だつた。
やつがれにとつてはじめての中谷一郎は風車の弥七だつたので、あとづけの知識である。
後年、古い映画やTVドラマで悪役の中谷一郎を見るにつけ「いいぢやん、中谷一郎」と思つた。
さう、別に風車の弥七はそれほど好きではなかつた。
悪ぢやなかつたからだらうな。
でも中谷一郎演じる悪役を見たあと見ると、弥七も悪かない。

中谷一郎の風車の弥七のなにがいいかといふと、あんなにデッカいのに忍び、といふところである。
おそらく忍びといふのは、あまり躰は大きくない方がいい。
その方が忍びやすいし、人混みにもまぎれやすからう。
なのに中谷一郎はデカい。
なのに忍び。
しかも一流。
ひよつとすると時代劇最強。
いいぢやあないか。

津田寛治はそんなに大きくはないとは思ふが、悪い人の役もよくやる。
いま放映されてゐる朝の連続テレビ小説ではいい人だけどさ。
内藤剛志もさうだつたか。
大きくはないけれど、悪もよくする俳優の弥七といふのはいいんぢやないかなあ。

といふわけで、話がだんだんそれてきたが、つまり、だ。
名前はおなじでも全然別もの、といふのは存在する。
名前がおなじで、すでにあるものと同様にしやうとしたものでも、やつぱり違ふ。

おなじだと云ひ張りたい人がゐるのもわかる。
「こつちの方が断然いいものなのだ」と主張したい。
さういふことつてあるよね。
あるけど、いいんぢやないかな、別ものつてことで。

名前をつけるといふことはかくもめんどうを呼ぶことなのか。
タティングのパイナップル模様は、やつぱりやらない気がする。

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Monday, 10 July 2017

しじみ袋の reticule

先週は、ネクタイをちよこつとだけ編んだ。
その一方で、昨日から reticule なるものを編み始めた。
きつかけは、「しじみ袋が編みたい」だつた。

reticule といふのは、ご婦人の持つ小さな手提げ袋のやうなもので、もともとは網でできてゐたと辞書にはある。
Interweave の Jane Austen Knits 2011 に掲載されてゐる reticule がしじみ袋状だつたので、それを編み始めてみた。
この本には、当時女の人の着るものが薄地になりポケットをつけづらくなつたので reticule が流行した、とある。

しじみ袋状の reticule は絹の糸で編むことになつてゐるが、やつがれはパピーのビマデニムで編むことにした。
本では底は51目作ることになつてゐるが、やうすを見ながら33目で編むことにした。このあとの計算がめんどくさいが、とりあへず大きさとしては問題ない。

しじみ袋は、スーパーマーケット等のレジでもらふビニルの袋のやうな形をしてゐて、持ち手の片方だけがちよつと長くできてゐる。
短い持ち手に長い持ち手を通して使ふ。
持ち手を通したときの形がしじみに似てゐるからしじみ袋といふのだらうと思つてゐる。
以前から丸川商店のしじみ袋を愛用してゐて、これを編みたいと時折考へてゐた。
かぎ針編みかなあ、とかね。
棒針編みだと編み地がのび過ぎるのぢやないか、とか。

今回は本にあるとほり棒針で編んでゐる。
針は3号を使つてゐる。
この reticule は底があるので、完全にしじみのやうな形にはならないが、まあ、いい。
底は Little Herrinbone Stitch で編む。
これがなかなかうまくできない。
裏はいい。
裏は裏二目一度をして、左の針にかけたままの状態で最初の目に裏目を一目編むことをくりかへす。
表はすべり目をして次の目を表目で編み、すべり目を次の目にかけるやうにしながらもう一目編む。これをくりかへす。
目数は奇数にして、表と裏とで二目一度をする目が一緒にならないやうにする。
さうすると目が互ひ違ひにななめに倒れて herrinbone のやうな模様になる、といふ寸法だ。

なんかもつとかんたんに編めないか知らん。
本では、しつかりした底を編むために Little Herrinbone Stitch を使ふ、と書いてある。
それはわかるんだがなー。
あと二段くらゐでいい大きさになるから、あとちよつとの辛抱だ。

と思つてゐたら、持ち手もこの Little Herrinbone Stitch で編むと書いてある。
むー。
どうしたものか。
しつかりした編み地になるのはわかつたが、ちよつと悩んでしまふなー。

とりあへずこれは編んでみて、いいやうだつたら底のないぺたんこのしじみ袋を編んでみやうかと思つてゐる。
糸は……たぶんあるだらう。

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Friday, 07 July 2017

ToDoリストとしたいこと

自分のToDoリストはほとんどの場合「しなければならないこと」のリストだ。
阿堵物の関はることやものの貸し借り、連絡事項に提出物の期限、ゴミの日などなど、さうしたことを書き出し、日々こなしてゐる。

ToDoリストはそれでいいではないか、といふ話もある。
でもできればここに「したいこと」も入れたい。
入れたいのだが、ToDoリストに入れた瞬間に「したいこと」が「しなければならないこと」に変化しさうでイヤだ。
自分の中でToDoリストとしたいことリストとは別物なのはさういふわけだ。

年頭にその年したいことや達成したいことを書く。
大抵はその年の手帳の最初の空白ページに書く。
適当な場所がない場合は、表紙の見返しなどに書くこともある。
今年はそれをしてゐない。
してゐないのに、ここ四年ほど毎年書いてゐながら達成できなかつたことを、達成してしまつた。
そのことについては今年も引き続き達成を目指す心づもりではゐた。
またら一度達成したからといつて気を許してはならないことではある。
不言実行?
違ふな。
長いこと目標にしてゐるので、書かずともしみついてしまつてゐるのに違ひない。

今年の手帳の冒頭には、今年にかぎらず「したいこと」を書き出してみた。
旅行に行きたいとか、この本を読みたいとかいふやうなことがならんでゐる。
このページを作つたのは去年のことだ。
最初のうちはほとんど出てこなかつた。
書いてはみたものの、「自分はほんたうにこんなことがしたいのだらうか」と反問してしまふ。
いま見返しても、「ほんたうにしたいのか」と考へてしまふ。
それくらゐ、したいことがない。
そんなんで生きてゐて楽しいのだらうか。

さう思つてゐたら、世の中には「生きていく意味とか考へない方が健康的」といふやうな意見があるのだと最近知つた。
「生きていく意味を探してしまふのは、自己肯定感の低い人」なのださうな。
さうなのか。
人間としてこの世に生を受けたら自分の生きてゐる意味を問ふものぢやなかつたのか。
すくなからず衝撃を受けた。

そんなわけで生きてゐても仕方がないなあと思ひつつ、それでもこれをするまでは死ねない、と思つてゐることはある。
「史記」を読むことだ。
どうせ死ぬなら「史記」を読んでから死なう。
あるときさう思つた。
そこで明治書院の新釈漢文漢文体系の「史記」を一巻づつ買つてきて、休みの日にちまちま読んでゐる。
読んだからといつてどうといふことはない。
全然頭に入つてこないこともあるし、読んだはしから忘れていくばかりだ。

読んでゐると、欲も出る。
読み終へたら、今度は時代をおなじくする本紀や世家、列伝をつまみ読みしてみたいとか。
「春秋左氏伝」を読んでみたいとか。
「春秋左氏伝」は以前読んで挫折してゐるので「まあムリかな」と思つたりもするのだが。

とりあへず「史記」の横串読みはしてみたい。
つまりはまあ、しばらくは死ねないといふことか。

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Thursday, 06 July 2017

主人公考

「南総里見八犬伝」を読んだとき、里見義実の人物紹介文に「この物語の主人公」と書いてあつて違和感を覚えた。

確かに、物語冒頭の主人公は里見義実かもしれない。
でも「南総里見八犬伝」つて、物語が進むにつれて主人公が入れ替はつてゆく物語なのではあるまいか。
さう思つてゐたからだ。

もしかすると、当時といまとでは「主人公」のとらへ方が違ふのかもしれない。
たとへば「勧進帳」だ。
「勧進帳」の主人公は誰だらうか。
いまの感覚でいつたら武蔵坊弁慶だらう。
その一方で、「勧進帳」の主役は源義経であるといふ説もある。
そして、やつがれも「勧進帳」の主役は義経だと思ふやうになつた。

なぜといつて、「勧進帳」で替へのきかないのは義経だからだ。
「勧進帳」で弁慶が活躍するのは、義経がゐるからだ。
安宅の関で富樫と対峙するのは弁慶でなくてもかまはない。
四天王のうちのひとりだつていい。

でも義経は義経でなければならない。
この話は頼光では成り立たない。
久吉(東吉)でも話にならない。
替へがきかないのだ。

替へがきかないことと主人公とはイコールではないだらう。
さういふ意見もあらう。

でも、「南総里見八犬伝」の主人公が里見義実と書かれてゐたことを思ひ出して、昔はさういふものだつたのではないかと思ふのだ。
「義経千本桜」にしても、義経は替へやうがない。
知盛は「船弁慶」といふ先行作品があるから知盛だけれども、話の内容からいつたら教経でもかまはない。
維盛も忠信も、義経だから出てくる人物なのであつて、これが義経でなかつたら維盛や忠信である必要はない。
「義経千本桜」は義経だからこそ成り立つ物語なのである。
「南総里見八犬伝」は、といふと、まあ、実は里見義実が主人公でなくてもなんとかなるんぢやないかといふ気はしないではない。
でも題名に「南総里見」とつけた時点で里見義実でないといけない。
さういふことなんぢやあるまいか。

などといふことを、「泣き虫弱虫諸葛孔明 第伍部」を読みつつつらつらと考へてゐた。

「三国志演義」の主役は曹操と孔明。
酒見賢一の本を読むまでもなくよく云はれることだ。
いまの感覚だとさうなのかもしれない。
いまの感覚でなくて、昔からさうだつたのかもしれない。
登場回数の多いのはこのふたりだらう。
そこに異論はない。
登場回数の多い分活躍もしてゐる。
でも、なぜか「うん、それはわかるんだけど」と思つてしまふんだよなー。
その理由はわからない。
わからないけど、まあ、こんなことなんぢやないか、と自分では思つてゐる。

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Wednesday, 05 July 2017

ひとのことばを書く

三月くらゐからあまり書かなくなつてゐる。
といふ話は先日も書いた。

書かなくなつた理由は書くことがないからだ。

書かなくなると、他人のことばを書くやうになる。
芝居のセリフとかね。
芝居でいへば外題とか。
あとは詩。
曹操の「短歌行」とかよく書く。長さが適当で覚えてゐるからだ。

なんだ、書いてゐるんぢやないか。
日記といはうかメモといはうか、さういふものは書かなくなつた。
でも、なにかしら万年筆を手にして紙に書きつけてはゐる。
「短歌行」とか一気呵成に書き散らすと、なんだか頭の中がすつきりした気分になる。

外題なんかもおもしろくて、書きながら「さと」といふのは「花街」と書くのか「廓」と書くのか、はたまた「曲廓」か、と思ひ出しながら書くのも楽しい。
「善知鳥安方忠義伝」なんて出てくるといい感じだ。

あと必殺シリーズのオープニングの文句とかね。
「ただしこの稼業、江戸職業づくしにはのつてゐない」とか。
「闇に裁いて仕置きする 南無阿弥陀」とか。
「黒船この方泣きの涙に捨て處無く江戸は均しく針地獄の様呈しをり候」とか。

楽しい。
なんだらう、この楽しさは。

つまり書いてはゐるわけだ。
手帳に残したいものではないけれども、書いてはゐる。
反故紙に好き放題に書く。

書くことはなんでもいいんだな。
ペンをとつて紙になにかしら書きつければそれで満足するのらしい。

問題はそんなに覚えてゐることがないといふことだ。
ここはひとつなにか覚えたいところだが、さて。

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Tuesday, 04 July 2017

好きなことでも予定をたてる

タティングレースはちまちまとではあるが進んでゐる。
昼休みにすると決めてゐるからだ。

好きなことや趣味でも「いつどれだけやる」と決めないとなにも進まないといふことだらう。

「だらう」と書いてしまふくらゐなので、この考へ方には違和感を覚えてゐる。
好きなことは好きなときに好きなだけしたい。

しかし、「好きなときに」「好きなだけ」はむつかしい。
電車の中でいきなり「いま編みたい! どうしても編みたい!」と思つてもムリな話だし、仕事で打ち合はせ中のときも同様だ。

休みの日もさうで、諸々のことをこなしてからでないとできない。
諸々のことは無視して編むこともある。
さういふときはうしろめたい気分になるものだ。
なっても「人生短いんだから、好きなことをした方がいい」などと云ひ訳をするわけだけれどもね。

昨日、編んでゐるネクタイが進まないと書いた。
ネクタイは家で気が向いたときに編んでゐる。
先週は全然編む気にならなかつた。
主な原因は寝不足である、とは昨日も書いた。
家に帰ると眠くてだるくてなにもする気にならない。
ゆゑにあみものを手に取ることはなかつた。

職場の昼休みといふのはどうだらう。
職場でも眠くてだるいことにはかはりない。
だらだらしてもいいけれど、昼食をとつた直後といふのは案外眠くないものだ。
眠くなつてくるのは三十分くらゐたつて後のことだつたりする。
手持ち無沙汰も手伝つて、ちまちまと結んでしまふわけだ。
進み具合はあまりよくないけれど、でも日々やつてゐるからいつのまにか進んでゐる。

あみものも「帰宅後、食事をすませたらする」といふことに決めればいいのかもしれない。
決めたところで、好きなことなんだからしたくないわけぢやない。
予定をたてるといふと、やりたくないことについて「やらなきや」といふのですること、といふ感じがしてしまふ。
実際には旅行の予定をたてるなど、好ましいことについてもするのだが、だいたい予定をたてるのつて仕事上のことだつたりして、必ずしもしたいことの予定ではない方が多い気がするんだよなあ。
仕事が好きといふ人にはわからないだらうけれど。

好きなことなので、予定をたてるとしても「いつやる」くらゐだ。
なにをやるか、どこまでやるかは定めない。
そんな感じでやつていかうかなあ、と、日記には書いておかう。

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Monday, 03 July 2017

寝付きが悪い

先週はちつとも編めてゐない。

家に帰るとダラダラしてしまつて、なにもできずにゐた。
なぜ編めないのかについては、ここにも何度か書いてゐる

寝不足だからだ。
睡眠が足りてゐなくて、なにもやる気にならない。

以前はのび太にはかなはぬものの、寝付きはいい方だつた。
それが最近めつきり悪くなつてしまつた。
布団に入つて三十分以上眠りに入ることができなかつたら寝付きがわるいといふのらしい。
夜中に目が覚めることがあると、布団に戻つてもこれまたなかなか寝付けない。
休みの日の朝、すこし早く目覚めてしまつたので二度寝しやうとしても同様だ。
かうして、そんなに長くもない睡眠時間がすこしづつ削られてゐる。
休みの日は目が覚めたら起きて眠くなつたら昼寝をするやうにもしてゐるのだが、出かける日もあるしねえ。

寝付きをよくするにはどうすればいいのか。
Web検索をかけてはみたけれど、別段これといつて寝付きの悪くなるやうなことはしてゐないと思ふんだよなあ。
強いていへば、寝る直前までMacBook Airと戯れてゐることくらゐか。
でも最近の研究ではブルーライトと睡眠とは必ずしも関係があるとはいへないといふ。
食事は寝る三時間くらゐ前にはすませてゐる。
入浴もだいたい一時間前くらゐにはすませるやうにしてゐる。

日中疲れてゐないから、それでなかなか寝付けないのではあるまいか。
そんな気はする。
出かけてあちこち歩き回つたやうな日は、それなりに寝付きがいいやうな気がするからだ。
しかし、いまの状態では平日あちこちを歩き回るやうなことはできない。

また、眠いと思つたときに寝ないからいけないのではないか。
家に帰りついて一番眠たい時間帯といふのは、夕食を食べたあとだ。
いまここで眠れたら、といつも思ふ。
しかし、食べて即寝るのはよくないといふ。
牛になるから、といふのもあらうが、食べたものを消化しやうとしてゐるのに寝てしまふと血液の循環がよくなくなるから、といふ説もある。
それにその時点ではまだ入浴もしてゐないしね。
食べた直後に入浴するのもよくないこととされてゐる。
消化器官に血液を集中させたいところ、入浴するとあちこちに散つてしまふからだ、と聞いてゐる。

そんなわけで、食べてから三時間くらゐたつてから床につくと、これがいけないわけだ。
眠れない。
どうしたものかね。

そんな感じで編めてゐない。
これからますます暑くなつて蒸してくるし、ネクタイを編むのはつらいだらう。
なにか別のものを編むことにしやうか。
暑くて蒸すとさらに寝付きも悪くなる。
はやく涼しくならないかなあ。

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Sunday, 02 July 2017

6月の読書メーター

6月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:1853
ナイス数:20

Slaughterhouse-Five (English Edition)Slaughterhouse-Five (English Edition)感想
多分読むのは三度目だと思ふのだが今回が一番おもしろかつた。テンポがいいんだと思ふ。これを読むと「ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを」も読みたくなるといふ副作用があるなあ。
読了日:06月01日 著者:Kurt Vonnegut
鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。感想
読み進むうちに「この文体、飽きたよ」と思ふこと一度ならず。雑誌連載だから仕方がない。それに自分ではまづ体験することのないやうな話ばかりだしね。コセイドンが出てくるに至つては「なにをどう見聞き読みして育つたのですか?」と訊きたくなるほどだ。
読了日:06月07日 著者:川上 和人
新八犬伝 起 (角川文庫)新八犬伝 起 (角川文庫)感想
ときどき坂本九の聲が聞こえてくる。そしてあの太棹の音も。みなさん書いているけれど、ほんとに信乃さんの迂闊さといおうか人のよさには開いた口がふさがらないが、だから物語が進んで行くのさねぇ。
読了日:06月12日 著者:石山 透
So You've  Been Publicly Shamed (English Edition)So You've Been Publicly Shamed (English Edition)感想
読み返してみたらいろいろ忘れている。最初は著者のbotの話からはじまるんだったか。いま読み返すと fact check の話とか出てきて興味深い。参考文献の書き方もいま読むとなんとなく執拗に感じる。ほかの本でもこうなのかもしれないけれど。
読了日:06月19日 著者:Jon Ronson
新八犬伝 承 (角川文庫)新八犬伝 承 (角川文庫)感想
ズンバラリ(ン)とか、最近聞かないよなー。小栗判官照手姫まで出てくる。当時は通用したのだろう。こどもがわからなくてもおとなは知っている、とかさ。ものごとは一方向だけから見てはいけない、いろんな方向から見ないと、とか、教訓ももりだくさんだ。人形劇を部分的にであれ見たことのある人なら場面場面のようすは脳内で補完できるんだろうけれど、そうでない人はどうなんだろう。この書き方で問題ないのかな。
読了日:06月22日 著者:石山 透
毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術感想
この本を読んだからといってミスのない文章が書けるようになるわけではない。どのことばを使うか、このことばを使っても理解されるか、なぜ自分はこのことばを選んだのかを自分で判断できるようになることが大切だ、と書いてあるとおりだ。常用漢字表を持ち上げておきながら、そこに書いてあるからといってなんでも使っていいというわけではない、という。そういうものなんだよな、結局。
読了日:06月23日 著者:毎日新聞・校閲グループ 岩佐義樹
三国志で攻略!センター漢文12 (大学JUKEN新書)三国志で攻略!センター漢文12 (大学JUKEN新書)感想
テストはないと思ふとものすごく楽しく読める。でも身につかない。世の中さうしたものなのかもしれない。「短歌行」は知つてゐるのとチト違ふ。「対酒当歌」を「酒に対して歌に当たる」と読み下してゐるところに好感を覚える。
読了日:06月27日 著者:高橋忠彦

読書メーター

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