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Wednesday, 21 June 2017

現実の生活を充足させるには

最近あまり書けてゐない。

読んだ本や見に行つた芝居、聞きに行つた落語、ことごとく記録が残せてゐない。
からうじていつ読み終はつたとか、いつなにを見に行つたとか、いつなにを聞いたとかは残してゐる。

Bullet Journal をつけてゐると、月によつてどれだけ書いたかがわかりやすい。
月の初めにその月の最初のページを、月の終はりにその月の最終ページを目次に書き入れるからだ。
今年は、二月と三月とはよく書いてゐて、四月五月とすこし落ち込み、六月はほとんど書けてゐない。
予実管理をするだけなら十分なくらゐには書いてゐる。

書かない生活は健康的だらうか。
書く生活よりもいいのか。

書かないのは書けないからでもある。
時間がないのだ。
あいた時間を見つけて書くやうにはしてゐるものの、その時間がなかなか見いだせない。
これをもつて生活が充実してゐるから、といふことも可能だ。
いはゆる「リア充」だから書く時間がない。
さういふこともできる。

でもやつがれにとつてはリアルの充実よりも書ける生活の方が慕はしい。
仕事や日々の暮らしの充実よりもあれこれくだらないことを書く時間があつた方がうれしい。
書かない/書けないといふことは、すなはち忙殺されてゐるといふことでもある。

別段書いたからといつてどうといふことはない。
いま「Why I write」でWeb検索をかけたら、Mediumの記事が目にとまつた。
その記事を書いた人は、世の中やその人の書いたものを読む人のことを変へたいと思つて書いてゐる、といふ。
すくなくともそれが書くことの理由のひとつだといふ。

世の中を変へたい、か。
奥泉光もそんなやうなことを書いてゐた。いや、いとうせいこうとの対談だつたと思ふから、話してゐた、が正しいか。

世の中を変へたいか。
やつがれ風情の書いたことで世の中が変はるとは思へない。想像すらできない。

ではなぜ書くのか。
書けば満足するから、かな。
本や芝居について、書いたところでひとまづ満足する。
読んだ、見た、といふ記録が残るからだらう。
その満足感、充足感を得ることなく今月はここまできてしまつた。
書くことでリアルな充足を得ることができる、といふことだらう。
書けばリア充。
さういふことだ。

ひとまづはなにもかもふり捨てて、これまで書かずにきた本や芝居、落語について書くことにしたい。
が、ふり捨てられるか否かが問題だ。

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