弁慶上使考
「弁慶上使」はもともとは荒唐無稽な物語として上演されてゐたんぢやあるまいか。
まつたく根拠はないが、なんとなくそんな気がしてゐる。
「熊谷陣屋」については、なにかの本で読んだことがある。
文楽の熊谷が赤つ面で朱色の衣装で出てくるのは、最初は滑稽な人物として描かれてゐたからだ、と。
たれのなんといふ本だつたのかは失念してしまつた。
文楽の熊谷は「壇浦甲軍記」の岩永とおなじやうな出で立ちでせう、といふことは、おなじやうなタイプの登場人物として演じられてゐたんですよ。
そんなやうなことが書いてあつた。
「なるほどなあ」と思はないでもない。
初演のころの熊谷は、喜劇的とまでは云はないが悲壮感ただよふタイプではなかつたのではあるまいか。
観客にとつて、熊谷は近しい存在ではない。
武士だしね。
自分たちのあづかり知らぬ世界ではこんなこともあらうかと、さういふ興味で見てゐたのではないかなあ。
熊谷がさうなら「弁慶上使」の弁慶もさうだつた可能性はある。
「弁慶上使」の話は、武蔵坊弁慶にまつはる二つの逸話からできてゐる。
ひとつは、一生のうち二度しか泣かなかったこと。そのうち一回は赤ん坊のときのことであること。
もうひとつは、一生のうち女の人と契つたことは一度しかなかつたといふこと。
この二つの逸話から、あの話はできあがつてゐる。
はじめて見たときは「やるなあ」と思つたものだつた。
「弁慶上使」が荒唐無稽な物語として上演されてゐたとして、それがいま受け入れられるかといふと、それはないだらうと思つてゐる。
「熊谷陣屋」の熊谷でさへ岩永のやうな雰囲気は微塵もなくなつてゐるのだもの。
「弁慶上使」の弁慶だつて、同様だ。
ただ、熊谷ほどには弁慶は現代的に洗練されてゐないんぢやあるまいか。
上演回数がまづ違ふ。
現代人に受け入れやすいやうにするには、「弁慶上使」はまちつと上演して改訂していく必要があるんぢやないかなあ。
今月歌舞伎座で「弁慶上使」を見て、吉右衛門の弁慶は大きくて大変結構だし、おわさの雀右衛門、しのぶの米吉、侍従夫婦の又五郎と高麗蔵、床と、それぞれよかつたと思ふのだが、なんとなく未消化な感じがするのはそのせゐなのぢやあるまいか。
あるいはなにかもつと過剰なものが必要だつたのかもしれない。
だつてとんでもない話なんだもの、「弁慶上使」つて。
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