はふつておけない登場人物
「必殺仕掛人」の再放送がはじまつた。
なかなかリアルタイムでは見られないので録画して見てゐる。
見たら即消す。
さうしないとハードディスクの容量がすぐに足りなくなるからだ。
だが、「必殺仕掛人」が消せない。
これまで見てゐた「鬼平犯科帳」にも見ても消せない話はあつた。
出てくる俳優や話の内容がよかつたり、ちよつといい絵が何枚かでてきたり。
さういふので消せてゐない回がいくつかある。
「必殺仕掛人」は、ここまで第二話から第四話までを見たが、いづれも消せてゐない。
残しておいてもあまり見返す機会もない。
それなのに消せない。
それが好きといふことよ。
といふ話もあるが、ぢやあ「必殺仕掛人」のなにがいいのかと問はれると答へに窮する。
それもまた好きといふことなのかもしれない。
先日、「パペットエンターテインメント シャーロック・ホームズ(以下「人形劇の「ホームズ」」)」の一挙放映を見る機会があつた。
本放送時にすべて見てゐる。
録画したものをディスクに焼きもした。
なのに見てしまつた。
人形劇の「ホームズ」には文句がないではない。
最終回でモリアーティ教頭を貶めた結果、敵対するホームズもまたなんだかたいしたことのないやうな存在に堕してしまつた。
さう受け取れたからだ。
さはさりながら、人形劇の「ホームズ」の一挙放映を見てなにが好きつてなんとなく登場人物たちに「おともだち感」を抱いてしまふところだな、と思つた。
野田昌弘が書いてゐた。
スペースオペラに必要なのは「おともだちになりたい」と思はせるやうな登場人物たちなのだ、といふやうなことを。
さうでもないけどいい例として柴田錬三郎の「われら九人の戦鬼」をあげてゐた。
「われら九人の戦鬼」を読んでゐて登場人物に抱くのは、「はふつておけない感」かな、とじぶんでは思つてゐる。
一番古い人形劇の記憶は「新八犬伝」で、おぼろげにしか覚えてゐないけれど、これも登場人物たちのことが身近な人のことのやうに思へてきて、つひ見てしまつてゐた気がする。
思へば、NHKの人形劇はさうだつた。
すくなくとも記憶してゐるかぎり、そしてやつがれにとつてはさうだつた。
登場人物に対して「おともだち感」とか「はふつておけない感」を抱いて見てゐた。
さう思ふからよけいに一生懸命に見る。
人形劇の「ホームズ」も例外ではない。
そして、「必殺仕掛人」もさうなんだらうな。
あんましおともだちにはなりたくない人しか出てこないけれど、でもはふつておけない。
今度はどんな事件がふりかかつてくるのか。
どうやつてそれを解決するのか。
気になつて仕方がないのだ。
録画を消せないのなら、いつそディスクを買ふか、とも思つてゐる。
入手できさうならいづれ買つてゐる気もするが、でもいまは買はない。
いまは日々放映されるのを楽しみに待つて見ることにしたい。
毎日、あるいは毎週放映されるのを待つのがまた楽しい。
TV番組に生き残る道があるとしたら、これぢやあないかと思つてゐる。
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