悪しきバランス感覚
北伐の手ぬぐひを三本持つてゐる。
最初に買つたのは、荀彧の手ぬぐひだ。
2013年に横浜の産業貿易センターで開催された三国志フェスで入手した。
このとき、荀彧と趙雲とどちらを買ふか悩んだ。
なぜこのふたりなのか。
好きだから?
Non, non.
何枚もならんだ手ぬぐひの中で、このふたりの絵には動きがあつてすてきだと思つたからだ。
趙雲は槍など持つて動きがあるのがわかりやすい。
荀彧は衣装の裾などがふはりと風に吹かれてゐる感じでよかつたのだつた。
で、結局風を感じる荀彧の手ぬぐひにしたのだつた。
その二年後、またおなじ場所で三国志フェスがあつて、そこで前回あきらめた趙雲の手ぬぐひを買つた。
合はせて周瑜の手ぬぐひも買つた。
このときは選べなかつた。
それにもうひとつ理由がある。
周瑜を買ふと、魏・呉・蜀からひとりづつ揃ふからだ。
荀彧を魏の人とかいつたら荀彧に怒られさうな気もするし、「呉」をどういふ意味にとらへるかで周瑜の立場も変はつてくるわけだが、そこはご愛嬌といふことでひとつ。
この妙なバランス感覚が自分の欠点なんだよなあ。
趙雲と周瑜との手ぬぐひを買つたとき、いはゆるパネリストとして会場で発言してゐる人がゐた。
魏(といふか曹操と野郎ども)の話をふるとにこにこと対応するのに、その他の人の話をふつてもだまつてゐる、そんな風情だつた。
それを見聞きして、「人間、これでいいんだ」と、目からうろこの落ちる思ひがした。
公平であらうとしなくてもいいんだ。
自分の好きなものを好きだと公言して、そのことばかり云つてゐてもいいんだ。
翻つて自分を見るとどうだらう。
つまらない人間ぢやあないか。
魏・呉・蜀でひとりづつ揃つた?
なんてちいさい人間だ。
飯田で見て来た話ももつと「これが好きなんだよ!」といふのでその話だけをすればいいのに、と思ふ。
それがなかなかできないんだよね。
つひ「この人のことはあまり書いてないからもつと書かないと」とか、「ほかの人のことはそんなに書いてないからもつと削らないと」とか、考へてしまふからああなつちやふんだよなあ。
今後はもうちよつとかたよつた書き方をしてみやうかと思つてゐる。
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