すでに手遅れ?
マルチタスクは脳に悪影響を及ぼすといふ。
最近あまり聞かなくなつたことばに「ながら族」といふのがある。
ラジオを聞きながら仕事や勉強をする人々のことをさしていつたことばだ。
巷で見かけるスマートフォンを見ながら歩いてゐる人々も「ながら族」だらう。
「ながら族」は脳に悪影響を与へつづけてゐるのだらうか。
先日「三国志 桃園のつどい」といふイヴェントで横山光輝が「三国志」を執筆してゐたころの写真を見る機会があつた。
仕事机の隅にいつもラジオがあつて、聞きながら描いてゐたといふ。
仕事をしながら横山光輝は己が脳にダメージを与へつづけてゐたといふことか。
かくいふやつがれも「ながら族」で、TV番組が見ながらつひあみものやタティングをしてしまふし、映画館や劇場でも編んだり結んだりしながら見られないものかとつねづね思つてゐる。
Stephanie Pearle-McPhee a.k.a. Yarn Harlot は映画館には音がしないやう木製の編み針を持つていく、といつてゐた。
ほんたうはメタル制の針の方が好きだけど、ともいつてゐた。
Knitters Magazine だつたかでも、コンサートで演奏を聴いてゐる最中に編めたら、といふコラムがあつたやうに思ふ。
PTAの会合に編みかけを持つて行つて編む人の話も聞いたことがある。米国の人だつたと記憶する。
自分の欲望を正当化しやうとして、あれこれ例をあげてしまつたが、つまり、なにかを見てゐる「だけ」といふのは実に手持ち無沙汰なものなのだ。
世の中のスマートフォンを見ながら歩いてゐる人々も、「ただ歩くだけだと手持ち無沙汰だ」と思つてゐるのかもしれない。
昨日の朝ニュースで取り上げられてゐた都内のゴーカートの問題で見かけた運転中に自撮りする人々も、「ただ運転するだけだと手持ち無沙汰だ」と思つてゐるのかもしれない。
歩きながらや車などを運転しながらのスマートフォンの使用を、ここで倫理的に云々するつもりはない。
あの人々が脳にダメージを与へながら歩いてゐるとはちよつと思へない、といふ話だ。
さう思ふのは、自分がながら族だからなのかもしれない。
TVドラマを見ながらあみものをしてゐて、自分の脳にダメージを与へてゐる感覚は皆無だからだ。
この「自覚症状がない」といふのがアヤシい気もする。
歩きながらスマートフォンを使ふ人々がさうするのは、自分が被る不都合や周囲に及ぼす不都合に思ひ至らないといふ時点で、すでに脳がダメージを受けてゐるからなのだらうか。
今夜も萬屋錦之介版の「鬼平犯科帳」を見ながらくつ下のつづきを編むだらう。
すでにやつがれの脳もだいぶマルチタスクにやられてしまつてゐるやうだ。
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