歌舞伎のトワイライト・ゾーン 裏
昨日は、「歌舞伎には「綯ひ交ぜ」といふものがあつて、なんだか「Twilight Zone」に似てゐる気がして好きだ」といふ話を書いた。
この歌舞伎の「綯ひ交ぜ」つて、現在も通用してゐるのだらうか。
七月に大阪松竹座でかかる「盟三五大切」は、忠臣蔵の世界と五大力の世界とを綯ひ交ぜにした狂言だ。
忠臣蔵の世界に五大力といふ趣向を取り入れた芝居、といふ方がいいのかな。
五大力といふのは「五大力恋緘」といふ芝居のことだ。
最後に上演されたのがおよそ30年前のことである。
1989年9月に歌舞伎座でかかつて以降、上演記録がない。
源五兵衛を演じたのは團十郎、三五兵衛は富十郎、小万は先代の雀右衛門だつた。
もう誰もこの世にはゐない。
「五大力恋緘」を見たことのある人つて、そんなにたくさんはゐないんぢやあるまいか。
上演記録から見てそんなにしよつ中かかつてゐた芝居でもなささうだ。
そんな芝居をなぜ鶴屋南北は取り入れたのか。
おそらく当時は人気があつたのだらう。
あるいは初演されたばかりで人の記憶に新しかつたのかもしれない。
「盟三五大切」の「五大力の趣向」といふ部分に意味があるのか。
現在「五大力恋緘」はほとんど上演されてゐないといふのに。
綯ひ交ぜの芝居は、客が知つてゐることを前提にしてゐる。
もちろん、取り入れた世界なり趣向なりを知らない客が見ても楽しくなるやうにもなつてゐる。
でも基本的には客に知識・常識があることが前提だ。
江戸の昔はそれでよかつたのだらう。
いまはそれは通用しない。
すくなくとも歌舞伎の世界では。
歌舞伎の外では通用してゐる気がする。
映画やTVドラマ、アニメーションなどでは、登場人物の背景にうつりこむ品々やセリフにはさみこまれる情報などを見聞きして「あれは何々といふ映画に出てきたもの」だとか「あのセリフはこれこれを引用したもの」だとか楽しむ向きがある。
ヤシマ作戦はプリズ魔でせう、とかね。
さう考へると、超歌舞伎の場合綯ひ交ぜの芝居を作りやすいのかもしれないとも思ふ。
また、先代の猿之助はスーパー歌舞伎で綯ひ交ぜの世界のやうなものを構築しやうとしてゐたのかもしれない。
スーパー歌舞伎の「三国志」とか、全然三国志ぢやないものね。演義でもなければましてや「正史? なにそれ、おいしいの?」状態だ。
でも「三国志の世界」に別の趣向を取り入れやうとしてああなつた、とも考へられる。
でもなー、本家本元の歌舞伎は、なー。
勘三郎が語つてゐたことがある。
こどもが生まれて男の子で「歌舞伎役者の家に生まれたからには曾我兄弟の物語を読ませたい」といふので本屋に行つたら、こども向けはもちろんのことおとな向けでさへ十郎五郎の物語の書籍など一冊もなかつた、と。
この傾向は現在も変はつてゐないと思つてゐる。
おほもととなる世界の話が知られてゐないのに、なんの綯ひ交ぜか。
綯ひ交ぜなどといふものは、もう書籍の中や人の知識の中にしか存在しない。
存在はするけれどもその意義がない。
客は知らないといふ前提だと、綯ひ交ぜは成立しない。
成立させやうとしたら、「これなら知つてゐるだらう」といふものを持ち込むしかない。
歌舞伎における「綯ひ交ぜ」は、かつてさういふものがあつた、といふところに落ち着いてゐるのだらう。
または「この芝居はもともと「義経記の世界」と「夏祭浪花鑑の世界」とを綯ひ交ぜにしたものでした」といふ知識としてだけ残つていくのかもしれない。
生まれてはじめて「盟三五大切」を見たときのあの「うわー、これ、「五大力恋緘」の登場人物ぢやん。全然性格違ふぢやん。話も違ふし。わ、しかも、あの人、「忠臣蔵」のあの人なの? なにこれ?」といふ、おそらく初演を見た人も感じたであらうわくわくした気分は、この先味はふこともないのだらうな。
あるとしたら超歌舞伎、か。
« 歌舞伎のトワイライト・ゾーン | Main | 歌舞伎のトワイライト・ゾーン おまけ »
Comments