断捨離のビーズタティング
去年のいまごろ、ビーズタティングをしてゐたやうだ。
タティングレースをしてゐると、ときに狂ほしくビーズを使つてタティングしたくなるときがある。
あみものもビーズを入れるのはちよつと楽しい。
かぎ針編みだとがま口なんか作つたなあ。
方眼編みの巾着の長編み部分にビーズを入れたこともあつた。
棒針編みでもリストウォーマとかネックウォーマとか作つたことがある。ネックウォーマの方はローワンのキッドシルクヘイズにスワロフスキーのビーズを通すといふなんだか贅沢なものだ。
あみものやタティングレースにビーズを取り入れるのはとてもいい。
毛糸だとビーズを通して移動させてゐるときに糸がすりきれさうな心配があるが、綿などのレース糸ならその心配もあまりない。
そんなわけで我が家には一生かかつても使ひきれないだらう量のビーズがある。
毛糸同様、ビーズも「かういふものを作らう」と思つて買へばいいのだが、「きれいだから」とか「なかなか見ないビーズだから」といふので買つてしまつて収拾がつかなくなつてゐる。
買ふときには考へる。
このビーズでこんなものを作つたらどうか、とか。
でもさういふときのイメージは曖昧なものが多く、結局買つてそのままになつてしまふ。
萩尾望都も書いてゐたよね、「新作のビーズはとにかくほしくなる」とか。
糸もビーズもふんだんにあるのだから、あみものやタティングレースにどんどんビーズを取り入れたらいいのだが。
さうならなのは、なにを作つたものやら思ひうかばないからだ。
デザインする能力に乏しいんだよね。
勢ひすでにある作品を参考にすることになる。
このときに「これが作りたい!」といふ作品になかなか出会へない。
それまでは「これが作つてみたいなー」と漠然と考へてゐるのだが、いざ作る段になると「それほど作りたいわけでもないなー」に変はることもしばしばだ。
また、ビーズタティングの作品には大仰なものが多く、「作りたいのはこれぢやない」と思つたりもする。
ビーズタティングは気力の充実してゐるときでないと始められない。
糸にビーズを通すのに根気がゐるからだ。
デザインにしたがつて順番にビーズを入れる場合はなほさらだ。
「んー、今日は気力が満ちてゐない」といつて、ビーズタティングをあきらめることもある。
糸にビーズさへとほしてしまへば、あとはシャトルに糸を巻いてタティングをはじめるだけなのだが。
なかなかそこにたどりつかない。
かくして糸もビーズも減らないといふ次第だ。
ものを片づけるためにもビーズタティングをはじめるかなあ。
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