五里霧中
かぎ針編みの水玉模様のストールといふ名のスカーフを編み終へた。
整形もしてみた。
どうもうまく形が整はない。
ユザワヤの店頭で見たときはすてきだつたのになあ。
整形の仕方がまづいといふのもあるが、編んでゐる最中からかなり波打つてゐたので編み方にも問題がある。
連休中は、冬物のかたづけもした。
主に自分で編んだものを洗濯した。
何年か前に編んだものはさすがにフェルト化しかけてゐるものもある。
何年か前といへば、睡眠時間を削つて編んでゐたころだ。
このころ編んでゐたものの方が最近編んだものよりも出来がいい。
デザインも凝つてゐたりする。
ちやんと編み図を見ながら編んだものか、自分で編み方を割り出しで編んだものだ。
最近は、編む時間も短ければ、編んでゐるものもいきあたりばつたりなものばかりだ。
かぎ針編みのスカーフは編み図を見ながら編んだけれどそれくらゐだな。
袖なし羽織は自分で考へながら編んでゐるけれど、とくに編み方を割り出したりはしてゐない。ガーター編みでひたすら編んでこれでいいと思つたあたりでやめるといふ行き当たりばつたりの編み方だ。
かぎ針編みのスカーフを編むのに中断してゐたヨガソックスも編み方があるわけではなく、「かう編めば編めるだらう」といふ見切り発車なものだ。
時間をかければなにごとも上達するといふ。
マルコム・グラッドウェルの「10000時間の法則」といふものがある。
偉大な業績をおさめた人の共通点として、一万時間なにごとかに打ち込んだ経験がある、といふ。その「なにごとか」で成功してゐる、といふのだ。
この説には反論も多々ある。
それに、一万時間をかけてなにかをしたからといつて必ず成功するといふわけではない。
この説は「成功した人の共通点」であつて「一万時間かけてなにかをした人の共通点」ではないからだ。
でもやつぱりかけた時間は裏切らない。
成功の是非に関はらず、時間をかければあるていどのことはできるやうになる。
やつがれは不器用である。
慣れない手芸などをするとよくわかる。
今回、冬物をかたづけてゐてもよくわかつた。
時間をかけてしよつ中編んでゐたときのものの方があきらかに出来がいい。
睡眠時間を優先するやうになつて編まない日もあるやうなちかごろ編んだものはやはりどこか出来が悪い。
これからどうすればいいのだらう。
家にはおそらくは一生かかつても編みきれない量の毛糸があつて、この先も編んでいくつもりではある。
しかるにこの出来だ。
この先もできるだけ睡眠時間は犠牲にしないやうに編んでいかうと思つてゐる。
それぢやダメなのかな。
なにごとかを為すには、ほかのことをやめてそれだけに邁進する必要があるのぢやあるまいか。
といつて、別にあみものでなにごとかを為さうとは思つてゐない。
でも劣化を目の当たりにして、なんだかがつくりきてゐるのも事実なのだつた。
ちよつと未来を見失つてゐる。
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