Mindless Tatting
タティングレースのモチーフつなぎは現在23枚めをつないでゐるところだ。
タティングレースについてはまづはこのモチーフつなぎをなんとかしやうと思つてゐる。
Lisbeth #40 1玉で Mary Konior の Masquerade といふモチーフを何枚作れるか、といふ experiment なので、正確に云ふと糸を使ひ切るところまでやつてみるつもりだ。
ところで、この土日にあみものをしてゐて、手が機械的に動く感覚がとてもこころよかつた。
ひたすらメリヤス編みをするあひだなにも考へなくても動く手の感覚に「久しぶりだなあ」と思ふと同時に、自分の意思と関係なく動いてゐるやうな感じに脳内麻薬の出る思ひがした。
世に Mindless Knitting といふそれだ。
あみものにしてもタティングレースにしても、基本的にはつねに作つてゐるものに注意をしてゐる状態だと思ふ。
手加減はどうだとか糸の張り具合は適切かとか、目が乱れてないかとか次の模様はどこに入れるのか、だとか。
でもそれを超えてとにかく手が動く、といふことがある。
土日のメリヤス編みがまさにそれだつた。
無になつてひたすら編んでゐる感じ。
悪くない。
タティングレースはどうだらうか。
メリヤス編みのみの mindless な境地に達することができるのか。
うーん、やつがれにはできてゐないやうに思ふ。
タティングは何目に一度ピコを作るとか何目に一度別のピコとつなぐとか、結構しよつ中やることがある。
なかなか mindless といふわけにはいかない。
いかないけれど、ここのところのやうにひたすらひとつのモチーフを作りつづけてゐるとときになにも考へてゐないことに気づくことがある。
さういふときはつなぐところなどを間違へてゐることが多いので注意が必要だ。
シャトルを動かす手については、でも結構 mindless かな。
一目一目に糸の引き具合とか気にしないし。
#だからダメなのか。
タティングシャトルを操る手の動きといふのは実に楽しいものだ。
Mindless Knitting といふことばには、ちよつと揶揄するやうな響きがある。
編み図と首つぴきで編むやうな大作を編んでゐるわけぢやないんですよ、といふやうなね。
でもこのなんにも考へない感じ、一種 zone に入つてしまつたやうな感じがいいと思ふんだよねえ。
タティングもスティッチとピコとのパターンを覚えてしまつてなにも見ずに作れるやうになつたあたりからが楽しい。
まあ、やうするに、今後もつづける、といふことだな。
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