一昨日は、「歌舞伎には「綯ひ交ぜ」といふものがある」といふ話、昨日は「でもいまはあんまし機能してゐるとは思へないんだよね。歌舞伎の外にはあるけれど」といふ話を書いた。
日曜日の朝、TV朝日系列の番組を見てゐるとわかる。
特撮戦隊ヒーローもの、仮面ライダー、プリキュア、いづれも綯ひ交ぜの作品だ。
戦隊ヒーローの世界に動物といふ趣向を取り入れるとジュウオウジャー、鉄道といふ趣向を取り入れるとトッキュウジャー、忍者といふ趣向を取り入れるとニンニンジャー。
そんな感じで毎年新しい戦隊ヒーローが生み出されてゐる。
趣向は何年かすると一回りしておなじものが使用されることもある。番組を見るのはこどもだといふ想定だからだらう。
こどもはいづれおとなになり、戦隊ヒーローものを見なくなる。
それに、世界と趣向とはおなじでもまつたくおなじエピソードをくり返すわけではない。
仮面ライダーはいまは仮面ライダーの世界に医療とヴィデオゲームといふ趣向が取り入れられてゐて、プリキュアにはお菓子といふ趣向が取り入れられてゐる。
#「東映」といふキーワードが透けて見えますか。
戦隊ヒーローものや仮面ライダー、プリキュアが綯ひ交ぜの物語になつてゐる理由は、毎年新しいことをしなければならないからといふのが大きいのではないかと睨んでゐる。
でもおそらく現場では「さういふものだから」でやつてゐるのぢやあるまいか。
戦隊ヒーローものは、基本的には地球の平和を脅かす悪の組織が存在して、それに対抗するために複数人で構成されたヒーローグループが組織され、最終的にはヒーローたちが悪の組織を倒す、といふ筋になつてゐる。
毎年新しい番組を作成するにあたり、この枠組みはくづさずにヒーローの人数やそれぞれの性格、悪の組織の目的などをすこしづつ変へる。
そしてそこに趣向を取り入れる。
「そしてそこに」ぢやないか。
趣向が決まることで悪の組織の目的やそれぞれの登場人物の性格づけが決まつてくるのかもしれない。
こんな風にして、戦隊ヒーローものも仮面ライダーもプリキュアも成立してゐるのではないかと思はれる。
世界と趣向といふしばりがあつて、新たなものが生み出される。
昨今「型があるから個性も生まれる」といふやうな話をよく目にする。
「個性的なものを作りなさい」といはれて、なにも手本にせずに作らうとすると、誰が作つても大差ないものしかできてこない。
型のやうなしばりがあつてはじめて個性も生じる、といふやうな話だ。
ほんたうなのかどうなのか、自分で検証したわけではないけれど、日曜朝にTV朝日系列の番組を見てゐると「かういふことか」とも思ふ。
この番組に共通する点は、戦隊ヒーローものなり仮面ライダーなりプリキュアなりといふよく知られた世界があつて、そこに動物なり偉人なりお姫さまなりといつたこれまたよく知られた趣向が取り入れられてゐることだ。
歌舞伎の綯ひ交ぜもかつてはさうしたものだつた。
源平の争ひなり太平記なりといつたよく知られた世界があつて、そこに曾我兄弟なり赤穂浪士なりといつたこれまたよく知られた趣向が取り入れられる。
いまでも、歌舞伎にはよく知られた趣向が取り入れられることがある。
正月の国立劇場で上演される菊五郎劇団の芝居には、そのときどきに流行してゐることを趣向として取り入れることで知られてゐる。
今年はピコ太郎だつた。
スーパー歌舞伎II「ワンピース」には「伽羅先代萩」の政岡や「碇知盛」のパロディのやうな場面がある。
しかし、それは「綯ひ交ぜ」ではない。
「綯ふ」といふのはもともとは縄を綯ふといふ風に長いもの同士を合はせてひとつにすることを表現することばだ。
ピコ太郎の持ちネタにしても政岡や知盛のパロディにしても、趣向ではあるけれども点のやうなものだ。
芝居全体を綯ふ要素にはならない。
それがいけない、といふわけではない。
いまの歌舞伎には、芝居全体の要素たりうるやうな趣向を取り入れることがほばないといふだけにすぎない。
それで歌舞伎自体がダメになるとか滅ぶとかいふことはない。
ただただ「さういふものなのだな」といふだけのことだ。
Recent Comments