人形のおかげ
昨日は、さはやかな日だつた。
窓から吹き込む風もひんやりとして心地よく、洗濯物もからりと乾いた。
かういふ日はレース編み日和だ。
五月の連休とその前後にかういふ日がある。
窓を開けてゐると寒くなつてくるくらゐの風で、でも晴れてゐて快適だ。
かういふときはレース編みをしたくなる。
また、レース編みをはじめておいてよかつたなあとしみじみ思ふ。
こどものころは、レース編みをすることなど絶対ないだらうと思ひ込んでゐた。
あんなに細い糸をあんなに細い針で編むなんて、人間技ぢやないと思つてゐたからだ。
かぎ針編みは九歳のとき、棒針編みは十歳のときにそれぞれ母から習つたと記憶してゐる。
なぜレース編みはできないと思つたかといふと、不器用だからだ。
どれくらゐ不器用かといふと、小学校の図画工作の授業で木版画を作つたときに、着物の柄として水の流れるやうな模様の下絵を描いたことがある。この水のカーブがうまく彫れない。四苦八苦してゐたときに担任の教師から「どうして自分の技量を考へて下絵を描かなかつたのか」と云はれたのだつた。
また、家庭科の授業では必ずといつていいほどミシンの上糸と下糸との調子をくづしてしまひ、せつかくミシンを使へる順番が回つてきてもなにもできなかつた。
それくらゐ不器用だ。
図工のときの「自分の技量を考へよ」といふ教師のことばが忘れられず、「レース編みは自分には分不相応だ」とずつと考へて生きてきたのだつた。
それがなぜレース編みに手を出す気になつたのか。
リカちやんやジェニーの服を編むやうになつたからだ。
相手は人形だから細い糸を細い針で編む場合が多い。
編んでみたら案外できた。
これならドイリーも編めるのかも。
さういへば、手袋も編めるんぢやないかと思つたのも人形の服を編んだからだ。
セーターの袖を編んでゐるときに「これが編めるんだから手袋の指先も編めるんぢやないか」と思ひ至つた。
幸ひ、人形の服を編むやうに買つたレース糸があるのではじめるのはかんたんだつた。
また、人形用のレースの飾りを作れないものだらうかといふのでタティングレースをはじめた。
おリカさまさま、ジェニーさまさまだ。
最近は人形の服はほとんど編まなくなつてしまつた。
また編むかなあ。
レースのドイリー部分をスカートにしたワンピースとか、いいかもしれない。
あるいは替襟をストールやショールのやうにするのもいい。
その前に水玉模様のストールを仕上げたいな。
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