飯田市川本喜八郎人形美術館 項羽と劉邦展 その一
週末、飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
今年は開館十周年を記念してさまざまなイヴェントや展示が予定されてゐる。
その一環として、ホワイエには開館に至るまでのやうすや開館日およびその後の美術館のやうすを写した写真が展示されてゐる。
また、スタジオでは「項羽と劉邦」展が催されてゐる。四月二十三日までとのことだ。
「項羽と劉邦」展は、展示室のある三階の一番奥にあるスタジオで見ることができる。
入り口手前に「項羽と劉邦」展のポスターが展示されてゐて、虞美人を手にして微笑む川本喜八郎の写真も飾られてゐる。
この写真の川本喜八郎は、開館に至るまでの写真の中のそれよりもずつと若い。
かなり以前から作つてゐたんだなあ。
それは、スタジオ内の説明でもわかる。
スタジオの中は周囲を黒い幕のやうなもので覆つてある。
入つて左手にケースが三つ、中央に二つ、右手に三つある。
左のケースには手前から虞美人、劉邦、呂后がゐる。
中央のケースには項羽と始皇帝。
右のケースには、カシラだけ二十個、韓信、范増が展示されてゐる。
それほど広い部屋でもないので、背後で自動ドアが閉まると一瞬閉じこめられたやうな気分になる。
蔵の中で人形と対峙してゐる感覚、かな。
悪くない。
悪くないけど、対峙する相手が項羽なので、最初はちよつとひるんだことをここに告白する。
ドアが開くと、真正面のケースに項羽がゐる。
その迫力に一瞬気圧され、思はず一歩退いてしまつた。
「項羽と劉邦」のうち項羽と劉邦とは別冊太陽の「川本喜八郎 人形ーこの命あるもの」の表紙を飾つてゐる。
項羽のカシラは白くて目が横に動く。展示では向かつて右を見てゐる。
半円のやうな形をした目はそんなにおそろしくはない。目が大きいからかもしれない。
迫力に気圧されはしたものの、ずつと見てゐるとどこか人間味のある人のやうにも思へてくる。
項羽だと思つて見るからかもしれない。
衣装はまづ羽飾りのついた兜に目がいく。
兜の羽はカミキリムシの触覚に似てゐる。
このまま馬に乗りでもしたら、羽の風になびくやうすはさぞうつくしいだらうなあ、と思ふ。
鎧などは兵馬俑を参考にしたものだらう。劉邦や韓信も同様だ。
「人形劇三国志」も玄徳・関羽・張飛の鎧は兵馬俑の人形を参考にしたといふものね。
入つてすぐ左手に、「項羽と劉邦」展に寄せた川本プロダクションによる解説パネルがある。
読むと「項羽と劉邦」の人形劇が実現してゐたらなあと思はずにはゐられない。
そして、実現はしなかつたけれど、人知れず人形を作りつつ企画をたてて方々へ働きかけてゐた川本喜八郎を思ふとなにも云へなくなつてしまふ。
脚本も自分で書くつもりでゐたのださうで、撮影についても実写の背景と人形操演とを合成させる場面を用意するなど多彩な構想があつた、とパネルにはある。
川本喜八郎は長いことシルクロードをテーマにした人形アニメーションを作りたいと考へてゐたといふ。
この美術館で見たことのあるインタヴュー番組でもさう云つてゐるし、「チェコ手紙・チェコ日記」にはシナリオも掲載されてゐる。
インタヴュー番組では「あと三十年くらゐ生きないと完成できない」と云つてゐて、もう作ることはないだらうといふことを匂はせてゐる。
時折この美術館で見ることのできる李白はアブソルート・ウォッカのCM用アニメーションの人形で、シルクロードものの一環だといふ説がある。
「項羽と劉邦」の人形劇も、自身のシルクロードものの一環と考へて作つてゐたのかなあ。
この後、「項羽と劉邦」の人形を見られる機会はあまりないかもしれない。
見ることができてよかつた。
以下、つづく。
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