あみものはお好き?
オリムパス金票40番で編んでゐる水玉模様のストールの76模様めを編んでゐる。
このエントリを書くために数へてみて、ちよつとびつくりした。
結構編めてるぢやん。
このストールはオリムパスデザイン室のデザインしたもので、レース針の6号で半円形のモチーフを111枚つなぎながら編む。
遅々として進まないと思つてゐたが、もう半分を越えてゐた。
毎日少しではあるが編んでゐるのがいいのだらう。
ときどき思ふのだが、自分はけつして編み物が好きなのではない。
多分。
好きぢやなければ編まないのぢやあるまいか。
さうも思ふ。
さうも思ふけれど、どことなく義務で編んでゐる点がある。
糸と編み図とを買つてしまつたのだから編みはじめなければ、とか。
編みはじめたのだから完成させなければ、とか。
さう考へてゐる節がある。
「編まなくつちや生きていかれない」といふ切迫感は、まあ、ない。
なにも好きといふのが「好きな対象がなければ生きていかれない」といふことばかりでもないとは思ふ。
だが「好き」とか「愛情」とかに含まれてゐる熱さといはうか激しさといはうか、さういふものに欠けてゐる。
皆無とまではいはないが。
あみもの好きの人のなかには「あみものをするのは正気をたもつため」といふ人もゐる。
たとへば病院や役所などで順番を待つてゐるとき。
ただただ待つてゐるだけだと時間をもてあましてしまふ。
いつ順番がまはつてくるのかわからないし、気がをかしくなりさうだ。
さういふときはあみものだ、といふのだ。
編んでゐれば気が紛れる。
ひたすら時間をつぶしてゐるだけのときに生じる負の感情から解放される。
いいぢやあないか。
それは読書でもいいのぢやあるまいかとも思ふ。
つまり、その人はやはりあみものが好きなのだ。
時間をつぶすのに本ではなくて編みものを選ぶ。
好きだからだらう。
ところでやつがれは病院などで待たされてゐるときにあみものをしてゐてもあまり正気をたもてる気がしない。
いつまで待たされるのかわからない状況にひどく気疲れする。
ゆゑに病院に行つた日や健康診断の次の日には体調をくづしてしまふこともしばしばある。
あみもの、好きぢやないのかなあ。
水玉模様のストールは、二十日くらゐで編めるかと思つてゐたが、どうやら一ヶ月くらゐはかかるらしい。
もう一本おなじものを編みたいと思つてゐたが、それはあきらめるかなあ。
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