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Friday, 28 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 2017 ギャラリー奥・平家・特異なキャラクター

三月から四月にかけて飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
二月末に展示替へがあつて、その展示内容を見に行つた。

前回は「源氏と木曽」のケースについて書いた。
今回は「ギャラリー奥」「平家」「特異なキャラクター」のケースについて書く。

現在「源氏と木曽」を展示してゐるケースの前には、ちいさなケースが四つほど並べられてゐて、人形アニメーションの人形が展示されてゐることが多い。
今回の展示では四つのケースはなく、ソファが設置されてゐてのんびりと座つて鑑賞できるやうになつてゐる。

「ギャラリー奥」のケースと「平家」のケースとも人形アニメーションの展示に使用されてゐることが多い。

「ギャラリー奥」のケースには朱鼻の伴朴と金売り吉次とが並んで立つてゐる。
このふたりをこんなに近づけるなんて、やるな。
以前、今回孔明と龐統とがゐるケースにそれぞれ吉次と伴朴とが入つてゐて、座つて相手の方を見てゐる、といふ展示があつた。
これがよくてねえ。
鋭い吉次の視線と探るやうな伴朴の視線とが緊張感を生み、ケースの間を通るのがはばかられるやうな展示だつた。
そのふたりをおなじケースに入れてそばにゐさせる。
ふたりとも居心地悪さうに見える。
伴卜の衣装には羽裏が使はれてゐるのださうで、そこも見どころだ。

「平家」のケースには二位の尼、清盛、徳子がゐる。
「源氏と木曽」を見たあとだと清盛の子どもか甥・孫がふたりくらゐゐてもいいかなあ、といふ気がする。
「源氏と木曽」の方が武で「平家」は文といふイメージなのかもしれない。
二位の尼は人形劇に出てゐた方がいま渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーにゐる。
比べて見るのもおもしろいからう。
飯田の二位の尼はときに神々しく見えることがある。観音さまとかマリアさまのやうなのだ。
今回はさうした神々しさは控へめで、すぐ隣に清盛がゐるからかなとも思ふ。

清盛は僧形なので浄海入道と呼ぶべきなのかもしれない。
蜀錦の衣装がみごとだ。
三国志も平家物語も人形の衣装の多くは古着の帯地から作られてゐるといふからちよつと特別だ。
さういへば、劉邦の衣装も変はつた生地だつたけれど、あれも唐渡りの布だつたりするのかな。間違ひかもしれない。

徳子は人形劇のときとは面差しが変はつてゐる。
人形劇のときの徳子は「川本美人」と呼びたいやうな顔立ちだつた。
「川本美人」にこれといつた定義はないけれども、見るからに川本喜八郎の人形らしい美人さんなのだ。
飯田にゐる徳子は、もうちよつと幼いやうな印象があつて、親にいはれるままに嫁いで子を為して、その後つらい暮らしを送るやうになる人、といふ感じがする。

「特異なキャラクター」のケースは展示室の出口のそばにある。
ここも人形アニメーションの展示に使用されてゐることが多い。
今回は「人形劇 三国志」から華陀、紫虚上人、左慈、于吉仙人が右から順番に並んでゐる。
華陀が「特異なキャラクター」といふのはどうかと思ふのだが、神がかつた医術の持ち主、といふことなのだらう。
どうかと思ふ所以は、ほかの三人とは違つてまとつてゐる雰囲気がやはらかいからだ。
仁術の人だからだらう。
でもどこか厳しさうな感じはするんだけどね。

紫虚上人は最近は立つた展示が多い。
紫虚上人といへば囲炉裏の前に座つてゐるイメージが強い。
人形劇でさうだつたからだらう。
衣装のやれた感じが実にリアルでおもしろい。
紫虚上人といへば皮膚が鬼縮緬なのも見どころだ。ほかの人形はヤギの皮が使はれてゐるといふ。

左慈はこの中でも別格だ。
人形劇でかなり活躍してゐたからだらう。
このままサイキック・ウォーズになつてしまふのだらうかと思つた見てゐたものだつた。
今回もダーク・フォースのジェダイ・マスターのやうな趣で佇んでゐる。
左慈には目に仕掛けがある。
美術館の方が見せてくれることもあるのでお見逃しなく。

紫虚上人・左慈・于吉仙人とならぶと、「三国志つてさういふ話だつたつけ」と思ふくらゐ、怪異な感じがしてくる。
展示室の奥の方で照明もちよつと暗いのでなほさらだ。
于吉仙人は、正面から見ると瞳孔が開いてゐるやうな感じがしてちよつと怖い。
人形劇で見たときは、もうすこし常識的な人のやうに思へたけものだつた。
孫策の方が云ひがかりをつけてゐる感じだつたからだらう。

といふわけで、今回の人形に関する展示内容について書いた。
今年は特別展示がいくつも予定されてゐるので、それがいまから楽しみだ。
「ねほりんぱほりん」を見に行かれないのが残念でならない。

「項羽と劉邦」展その一はこちら
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Thursday, 27 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 2017 源氏と木曽

三月から四月にかけて飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
二月末に展示替へがあつて、新たな展示内容を見に行つた。

前回は江東の群像のケースについて書いた。
今回は「人形歴史スペクタクル 平家物語(以下、人形劇の「平家物語」)」の「源氏と木曽」のケースについて書く。

江東の群像のケースの右、展示室の奥にあるケースには、左から弁慶、馬上の義経、政子、頼朝、巴、馬上の義仲、葵が並んでゐる。

人形劇の「平家物語」の人形は、TVに登場したものではない。
飯田にゐるのは後に作られた人形だ。
TVに登場した人形は渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーで見ることができる。

弁慶は、こちらを向いて立つてゐる。
両足を開いてすつくと立つその姿はとても力強い。
弁慶らしい立ち姿だ。
直接見比べたわけではないけれど、人形劇に出てゐた弁慶と飯田の弁慶とでは、それほど違ふ点は見受けられない。
ブレの少ない登場人物なのだらう。

義経はその後方で白馬に乗つてゐる。
義経は人形劇のときの人形と飯田にゐる人形とではかなり違ふ。
これも直接見比べたわけではないけれど、人形劇に出てゐた義経の方が凛々しい。飯田にゐる義経の方がやさしげで顎がすこし細いやうに思ふ。
義経といふと「実は背が低くてみそつ歯だつた」と云はれたりだとか、「平家物語」などでは鵯越の坂落としを実行したり敵の群れゐる中落とした弓を拾ひに行つたり八艘跳びをしてみたりと非常にアクティヴな武将としての面が伝へられてゐる一方で、文楽や歌舞伎ではそんなことはおくびにも出さないやうな高貴の御曹司として描かれてゐる。
大河ドラマの「草燃える」では国広富之が義経を演じてゐた。腰越で止められて頼朝から拒絶されたと知つて以降のキレつぷりつたらなかつた。後白河院(紀尾井町だ)の腰が完全に引けてゐたもの。
有名なだけにいろいろな切り口のある人物なので、人形劇放映後にまた違つたイメージで作つてみたのかなあ、などと飯田で見てゐると思ふ。

義経の右前方に政子が立つてゐる。
これまで飯田では「え、政子にもこんな面があつたのか」と驚くやうな展示が何度かあつた。
はぢらふ政子とかね。
懐かしい。
今回の飯田の政子は毅然としたやうすで立つてゐて、如何にも北条政子といつた印象を受ける。
人形劇では恋しい頼朝に恨み言を叫んでみたりとか、結構可愛いところもあつたんだけどね。

政子の右後方のやや高いところに頼朝がゐる。
頼朝は、人形劇のときとは全然別人の趣がある。
いま渋谷に人形劇に出てゐたときの頼朝がゐる。
人形劇の頼朝は、曹操によく似てゐる。
曹操にほくろをつけて衣装を黒くした感じだ。
飯田の頼朝はもつとおだやかな表情をしてゐる。茫洋として見えないこともないけれど、その分ふところは深さうだ。
頼朝のイメージといふと、あの肖像画や(頼朝ではないといふ説もあるけれど)、「草燃える」の石坂浩二の佐殿、あるいは二月に歌舞伎座でかかつた「大商蛭小島」の頼朝のやうな、都から来たなまつ白い(エセ)インテリ、といつた感じなのではないかと思ふ。
あまり先頭に立つて戦とかしさうにない。
中村吉右衛門の主演した「武蔵坊弁慶」では菅原文太が頼朝を演じてゐてはじめて見たときにびつくりした覚えがある。
菅原文太が頼朝? あり得ん。
と、そのときは思つたけれど、見てゐるとこれがまたありなんだなあ。
そして飯田の頼朝。
個人的には飯田の頼朝はとても好きだ。
かういふとらへどころのなささうな人だつたのではないかなあ、といふ気がしてくる。

巴・義仲・葵は鎧姿で、馬上の義仲を中心に巴と葵とが脇侍のやうに立つてゐる。

人形劇の巴からは母性を感じる。
義高がゐたからかもしれない。
葵が山吹と義仲をめぐつて争ひ、ともすると巴にもたてつくやうなことをする中で、ぢつと耐へ、ときに強く主張する、そしてその主張は正しい。
飯田の巴はもうちよつと若さのある感じ、だらうか。人形劇のときとそんなに変はつたやうな感じはない。

川本喜八郎は義仲に思ひ入れがあつたのだといふ。
以前、この美術館で上映してゐたインタヴュー番組で聞いた。
人形劇に出てゐた方も飯田にゐる方も、義仲はそれはそれは様子がいい。
草摺も山を思はせるやうな緑でこれがいい色なんだなあ。
今回の展示では、その様子のよさが前面に出てゐる。見とれるで、しかし。

葵も人形劇とそんなに変はつたやうすはないやうに思ふ。
これまでの展示だと、ときに歌舞伎役者の中村福助に似て見えることもあつたりしたのだが、今回はそれはない。
恋に生き恋に死んだ人といふイメージのあるせゐか、巴と比べると若干華やかな感じがする。
伊那の出身といふことで、展示する側も力が入るのかもしれない、と思ふのは僻目かな。

以下、つづく。

「項羽と劉邦」展その一はこちら
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Wednesday, 26 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 2017 江東の群像

三月から四月にかけて飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
二月末の展示替へをやつと見てきた。

前回はメインケースの向かひにある「曹操の王国」のケースについて書いた。
今回は、メインケースの右隣のケースについて書く。
主題は「江東の群像」。
公式サイトの展示案内が前回の展示内容のままなので、更新され次第正しい主題に訂正する予定である。

ケース左から呉国太、喬国老
、貞姫、孫権、諸葛瑾、黄蓋、闞沢、周瑜、魯粛、陸遜がゐる。
呉国太・喬国老・貞姫でひとかたまり、孫権・諸葛瑾・黄蓋でひとかたまり、闞沢・周瑜・魯粛・陸遜でひとかたまりといつたところか。

呉国太と喬国老とはケース後方の高いところに立つてゐる。
このふたりは並んで立つてゐることが多く、仲むつまじい老夫婦に見えることがある。
それでなくても仲のいい茶飲みともだちといつた雰囲気だ。
それが今回はない。
極々neutralな展示だと思ふ。

呉国太と喬国老との手前、低いところに貞姫が立つてゐる。
若干うつむきがちで、とても可愛い。
はじめて飯田に来て貞姫を見たときも「なんて可愛いんだらう」と思つた。
人形劇で見る貞姫にはつひぞ抱いたことのない感想だ。
そのときもちよつと下を見てゐるやうだつたと記憶してゐる。

孫権は喬国老の右隣、すこしはなれたところに座つてゐる。
久しぶりの座つてゐる孫権だ。
以前は孫権といへば必ず椅子に座つてゐた。
飯田も渋谷も同様だつた。
飯田の三回前の展示のときだつたらうか、椅子の脇に立ち、下の方にかしこまつてゐる諸葛瑾になにやら下知したといふ趣の孫権を見て、「孫権、いい男だなー」とあらためて思つた。
孫権、男前なんだな。
今回の孫権は、椅子に座して右側を睨んでゐる。
なにかを見てゐるわけではないやうだ。
思案をしてゐて視線を右の方に移動させたのかもしれない。
孫権は人形劇でもよくさういふ表情をすることがあつた。

孫権の手前やや右の低いところに黄蓋がゐる。
黄蓋は目玉がガラス(もしかするとアクリル)で、照明があたるときらきらして見える。
かういふ目は黄蓋と趙高とふたりだけかな。
今回はその黄蓋の特徴である目をよく見ることができる。
黄蓋と黄忠とはなんとなく似てゐるといふ印象があるけれど、飯田で見るといつも全然違ふことがよくわかつておもしろい。

孫権の右やや低いところに諸葛瑾が正面を向いて立つてゐる。
飯田で見る諸葛瑾はひどく追ひつめられてゐたりなにかしらつらい思ひをしてゐたりするやうに見えることが多い。
苦労人。
一言でいふとそんな印象だ。
今回はそれはない。
また、孔明のところでも書いたやうに、今回の諸葛瑾の目はいつもとちよつと違ふやうに見える。
目がほんとに水でできてゐるやうな雰囲気がそこはかとなくある。
人形劇の諸葛瑾と孔明とは似てない兄弟だと思つてゐたけれど、こんなところが似てゐるんだな、とは孔明のところでも書いた。
渋谷の諸葛瑾と孔明とにはもうちよつと似たところがある。
人形劇を見てゐたときには相似してゐる点に気がつかなかつただけなのかもしれない。

黄蓋の右側すこしはなれたところに闞沢が立つてゐる。
人選がちよつとおもしろいな。
どういふ基準で選んだんだらう。
人形劇では闞沢は徐盛や甘寧にくらべたらずつと活躍してゐるし出番も多い。
それで選ばれたのだらうか。
ほんとは黄蓋と闞沢とでひとかたまりなのかもしれないな。
「赤壁の戦ひ」といふくくりで、さ。

周瑜は闞沢の右後方高いところに立つてゐる。
意外と地味な感じがするのは、人形劇での扱ひを反映してゐるのだらうか。
人形劇の周瑜つて、あはれだものな。「三国志演義」からしてさうだ、といはれればそのとほりかもしれないけれど。
若干照明が暗いのかもしれないが、普段の周瑜だつたらそんなことはものともしないし、むしろさらに輝いてゐたやうに思ふ。
前回の展示では孫権・孫堅・孫策の親子一緒の姿を見ることができた。
いづれ孫策と周瑜や孫策と太史慈といつた展示も見てみたいなあ。
人形劇にはない場面だけれどもさ。

周瑜の右側やや低いところに魯粛が立つてゐる。
このケースは全体的にみな「立つてゐる」といふ印象が強い。
ほかの人形とinteractしてゐない、といはうか。
今回の展示は総じてさういふ感じなのだけれども、三国志の中では江東に一番その雰囲気を感じる。
ここまでたどり着く前に見るこちらがチト疲れてゐるのかもしれない。

ケースの右端には陸遜がゐる。
左側を向いて立つてゐる。
ここでなぜ陸遜なのか。
なにか意図があるのだらうけれどもわからなかつた。
たとへば、江東の歴史をかんたんに紹介するやうな形にするならば孫堅や程普も必要だらう。
赤壁の戦ひに的をしぼつてゐるわけでもない。
江東は人材に富んでゐる、といふのなら徐盛・甘寧・太史慈のうちすくなくともひとりはほしかつたところだ。呂蒙とかもね。
陸遜には前世があるからそれで出てきてゐるのかもしれない。

以下、つづく。

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Tuesday, 25 April 2017

計画を練り直しつづける

タティングレースのモチーフつなぎは21個めのモチーフを作つてゐるところだ。

Masquerade

モチーフは Mary Konior がデザインしたもので、Tatting with Visual Patterns に掲載されてゐる Masquerade だ。

かうしてつなげたものを見ると「もうここでやめていいんぢやないか」といふ誘惑にかられる。
このまま4×5のドイリーにしてしまつてもいいんぢやないか。
これ以上モチーフをつなぐとバランスが悪くなるのぢやあるまいか。

今回の目的は、Lisbeth #40 一玉で Masquerade を何枚作れるか確認することだ。
ここでやめるわけにはいかない。

だが待てよ。
これはこれとして、新たにモチーフをつないだものを作ればいいのではあるまいか。
4×5にはならないかもしれないけれど、おなじやうなドイリーもどきをもう一枚作る。
それでも目的は達成できる。

と、毎度おなじことで悩んでゐる。
理由はかんたんだ。
作るものが決まつてゐないからである。
最初から「かういふものを作らう」と思つてゐないので、作りながら悩むわけだ。

脇をつなぐやうにモチーフをつないで袋ものにしてみたらどうかな、とかね。
袋ものはいいけれど、内袋をつけなければならないのでおそらくやらない。
苦手なんだもの、お裁縫。
内袋用の布の目当てもないしな。
でも、内袋をフェルトにして切つたり縫つたりを最小限にすればやつがれにも作れるかもしれない。

今からだとまちができるやうにつなぐので、袋ものといふよりは箱のやうなものになるだらう。
さうしたらフェルトでもいいよな。多分。

かくのごとく毎回いふことが変はつていくのが今回のプロジェクトのいいところなのかもしれない。
と、日記には書いておかう。

Monday, 24 April 2017

人形のおかげ

昨日は、さはやかな日だつた。
窓から吹き込む風もひんやりとして心地よく、洗濯物もからりと乾いた。
かういふ日はレース編み日和だ。

五月の連休とその前後にかういふ日がある。
窓を開けてゐると寒くなつてくるくらゐの風で、でも晴れてゐて快適だ。
かういふときはレース編みをしたくなる。
また、レース編みをはじめておいてよかつたなあとしみじみ思ふ。

こどものころは、レース編みをすることなど絶対ないだらうと思ひ込んでゐた。
あんなに細い糸をあんなに細い針で編むなんて、人間技ぢやないと思つてゐたからだ。
かぎ針編みは九歳のとき、棒針編みは十歳のときにそれぞれ母から習つたと記憶してゐる。
なぜレース編みはできないと思つたかといふと、不器用だからだ。

どれくらゐ不器用かといふと、小学校の図画工作の授業で木版画を作つたときに、着物の柄として水の流れるやうな模様の下絵を描いたことがある。この水のカーブがうまく彫れない。四苦八苦してゐたときに担任の教師から「どうして自分の技量を考へて下絵を描かなかつたのか」と云はれたのだつた。
また、家庭科の授業では必ずといつていいほどミシンの上糸と下糸との調子をくづしてしまひ、せつかくミシンを使へる順番が回つてきてもなにもできなかつた。
それくらゐ不器用だ。

図工のときの「自分の技量を考へよ」といふ教師のことばが忘れられず、「レース編みは自分には分不相応だ」とずつと考へて生きてきたのだつた。

それがなぜレース編みに手を出す気になつたのか。
リカちやんやジェニーの服を編むやうになつたからだ。
相手は人形だから細い糸を細い針で編む場合が多い。
編んでみたら案外できた。
これならドイリーも編めるのかも。

さういへば、手袋も編めるんぢやないかと思つたのも人形の服を編んだからだ。
セーターの袖を編んでゐるときに「これが編めるんだから手袋の指先も編めるんぢやないか」と思ひ至つた。

幸ひ、人形の服を編むやうに買つたレース糸があるのではじめるのはかんたんだつた。

また、人形用のレースの飾りを作れないものだらうかといふのでタティングレースをはじめた。

おリカさまさま、ジェニーさまさまだ。

最近は人形の服はほとんど編まなくなつてしまつた。
また編むかなあ。
レースのドイリー部分をスカートにしたワンピースとか、いいかもしれない。
あるいは替襟をストールやショールのやうにするのもいい。

その前に水玉模様のストールを仕上げたいな。

Friday, 21 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 2017 曹操の王国 その二

三月から四月にかけて飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
二月末の展示替へ後のやうすを見に行つた。

前回は「曹操の王国」のケースの武将と曹操とについて書いた。
ケースには右側から曹仁、夏侯淵、許褚、夏侯惇、典韋、曹操、郭嘉、徐庶、仲達、荀彧、程昱、荀攸がゐる。
今回は文官について書く。

徐庶が曹操の方にゐるといふのがちよつと目を引くと昨日は書いたが、このケースで一番異彩をはなち目立つてゐるのは仲達である。
仲達を思ひ出すとほかの人のことを忘れてしまふくらゐの勢ひだ。
まづは右側から順番に行くことにしやう。

徐庶が曹操のケースにゐることは以前もあつた。
心ならずもここにゐる、といふ風情だつたと記憶する。
今回もそんな感じで、ケースのかなり前方にゐて曹操はじめほかの人たちに背を向けてゐるといふ趣だ。
人形劇の徐庶は曹操に与することを潔しとせず、献策もなにもせずにあの世に行つてしまふ。
赤壁の戦ひ直前に龐統に意見を聞いて逃げて行くのは許攸といふことになつてゐる。
さういへば今回許攸がゐない。
徐庶よりも許攸の方が人形劇の三国志としてはこの場にゐるのがふさはしい気もする。
しかし「心服しない人間をも己が傘下のものとする」といふのが曹操らしいやうにも思ふ。
玄徳や孫権にはない点でもある。

曹操の左隣、徐庶の後方には郭嘉がゐる。
神経質さうな面持ちでこちらを向いて立つてゐる。
人形劇の郭嘉といへばいい男、といふことは飯田で郭嘉を見るたびに書いてゐる。
我が家では孔明が出てきたときに「前の人(郭嘉)の方がいい男だつたね」といつたものだつた。
ところが飯田で見る郭嘉はそれほどでもない。
些細なことにすぐ「きぃっ」となりさうな、あまり度量も大きくなささうなやうすに見える。
あらためて人形劇を見返してみると、初登場のころの郭嘉にはさうした神経質さうな印象がある。
回が進むにつれて、次第に印象が変はつていく。
金花とひそかに会ふときの黒装束姿なんてほんとにやうすがいい。
関羽に投降をうながすときのやりとりも「男たちはわかりあつた(。わかりあへないことを)」といふ感じで見応へがある。
操演や映し方によつて変はるんだらう。
さう思つてあちこちから郭嘉を見ると、これまたいい男に見えてきたりもする。

郭嘉の左、ちよつと高いところに仲達がゐる。
曹操の左側にゐる人形の中心は仲達といへる。
いやー、ちよつと、仲達さんつてば、楽しさうぢやあありませんか。
うつかりさう声でもかけやうものなら知らぬ間に牢屋につながれて首のひとつも落とされてしまふのかもしれない。
仲達は躰をやや左に向け、胸をそらして右下を睥睨するやうな表情で立つてゐる。
せせら笑つてゐるやうにも見える。
面従腹背の徒、とでもいつたところか。
表では曹操はじめその他の人々に同調しておいて、裏ではかうして「バァカめ」とみなを嘲笑つてゐる。
仲達らしいかと訊かれると返答に窮するが、仲達にかういふ印象を持つてゐる人がゐるといふのはうなづける。

仲達のやや左前方に荀彧がゐる。
人形劇なので老人だ。
徐庶の位置を考へると、荀彧もまた蚊帳の外の人といふあつかひなのかもしれない。
なんで老人にしてしまつたかね、といふのは、人形劇の脚本なり演出なりにいふべきこととわかつてはゐながら、毎回思はずにはゐられない。

仲達の左には程昱がゐる。
地味だと思ふのは、仲達のとなりにゐるからだらう。ちよいと分が悪い。
人形劇では程昱が一番活躍してゐるやうに思ふんだがなあ。
配置的には郭嘉と対になるやうに並んでゐるので、曹操のためにバリバリ献策して働いた人、といふことだらう。

ケースの左端、ちよつと別あつらへのやうなところに荀攸が立つてゐる。
荀攸は人形劇では一回くらゐしか出番がなく、あつけなく殺されてしまふ。
人形劇を見てゐると、「ここは荀彧なのになー」とか「演義だと荀攸なんだけどなー」といふ箇所がしばしばある。
さういふときに出てきてくれてたらよかつたのに。
おそらく晩年の曹操の横暴を印象づけるエピソードに出すために作られたんだらうから仕方がない。
さう思ふと不憫である。荀攸も荀彧も。

以下、つづく。

「項羽と劉邦」展その一はこちら
「項羽と劉邦」展その二はこちら
「項羽と劉邦」展その三はこちら
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Thursday, 20 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 2017 曹操の王国 その一

三月から四月にかけて飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
二月末の展示替へ後、はじめてのことだ。

前回のメインケース「玄徳の周辺」の向かひにあるケースは「曹操の王国」といふ主題で「曹操と野郎ども」といつた趣の人形たちが居並んでゐる。
毎度思ふことだが、曹操とその周囲が一番華やかだ。

ケース右側から曹仁、夏侯淵、許褚、夏侯惇、典韋、曹操、郭嘉、徐庶、仲達、荀彧、程昱、荀攸がゐる。
徐庶が曹操の方にゐるといふのがちよつと目を引く。
曹仁と荀攸とはケースの左右端のちよつと別あつらへのやうなところにゐる。

今回、曹仁はじめ曹操配下の武将たちの展示を見て、特撮戦隊ヒーローものを思ひ出した。
先日、今回の展示室全体の印象として「特撮ヒーローやプリキュアで番組開始直後にひとりひとりの変身シークェンスや名乗りをていねいに演出する感じに似てゐる」と書いたが、それはここにゐる五人を見て思ひついたのだらう。

曹仁は左側を見てやや顎をあげてなにやら見つけたやうなやうすで立つてゐる。
これまで飯田で見た曹仁といふと、顎をあげてゐるときには荒い気性の武将に見えた。ちよつと品のない感じもした。歯が見えるからだらう。
ところが顎をひいてゐると途端におとなしげでそれなりに品もあるやうすに見えておもしろいなあと思つてゐた。
今回の曹仁は顎を若干あげてはゐるものの、これまで見てきたやうな荒ぶるやうすはない。
敵の来襲を認めて押つ取り刀で駆け出さうといふやうなやうすに見える。

夏侯淵と夏侯惇とはケース後方に、許褚と典韋とは前方にゐる。

夏侯淵は右側を向いてゐる。これも城壁から彼方をうかがふ態なのだらうか。なんとなくやうすがいい。
夏侯惇は槍を持ち左側を見てゐる。と書きたいところだが、ちよつとおもしろい恰好をしてゐて、なんとも云ひがたい。五人の中では一番動きがある。
敵と戦つてゐるといふ緊迫感はないので、「腕が鳴るわい」と躰をならしてゐるところなのかもしれない。
夏侯淵が右を、夏侯惇が左を見てゐて、四方の守りは完璧だといふ感じもする。

許褚は鉞を、典韋は短戟を手にしてゐる。
夏侯惇とあはせてこの三人は即戦へる状態にある。でもまだ戦ひがはじまるまでには間がありさうだ。
許褚はやや左を見てゐて下方を睥睨するやうな表情で、典韋はやや右正面を見てゐて見るものを脅すやうな表情をしてゐる。

曹操はケースの中央高いところにゐて、まさに君臨してゐるといふ感じだ。
居並ぶ文武百官の真ん中に立つてさぞやご満悦のことと思ふ。
ケース全体が華やかな雰囲気で、もつとも華やかなのは曹操なんだらうな。

以下、つづく。

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Wednesday, 19 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 2017 玄徳の周辺 その二

三月から四月にかけて飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
二月末に展示替へがあつて、それを見てきた。

まだ公式ページの展示内容が新しいものに切り替はつてゐないので、展示内容がわかり次第、正しい主題に改修するつもりでゐる。

前回はメインケースの「玄徳の王国」について途中まで書いた。
今回はつづきから書く。

ケース中央前方やや右寄りに趙雲がゐる。
趙雲と孫乾とは対で展示されることがある。
以前、おなじケースでやはりケース中央前方に趙雲と孫乾とがひざまづいてかしこまつてゐた。
関羽と張飛とが対になり、あとから仲間になつたといふことで黄忠と馬超とが対になると、趙雲だけひとりになつてしまふ。
そこで孫乾、といふことなのだらう。
なんとなく衣装の趣も似てゐるし。
趙雲は人形劇では「永遠のさはやか好青年」であつた。
飯田で見ると、ときにひどくきつい表情をしてゐるやうに思へることがある。
かういふのがおもしろい。

趙雲の右隣に関平がゐる。
抜く手は見せぬぞ、とばかりに右手を剣の柄にかけてゐる。
関平つて、かういふ感じかなあ。
もうちよつと穏やかなイメージなんだけど。
人によつて抱く印象が違ふといふことだらう。
ここが「それぞれの人形らしい展示」のむつかしいところか。

趙雲と関平との間くらゐの後方に美芳がゐる。
美芳もいつ見ても可愛い。
淑玲のときも書いたけれど、こんなに可愛かつたか、とあらためて思ふ。
人形劇だと美芳はちよつとおかめのやうな扱ひのところがあつた。
さういふ感じはないけれど、この美芳はいいな。
関平との違ひはなにかといふと、美芳の方は neutral な感じがすることだ。
見る側が如何様にも受け取ることができる。
美芳にしてはおとなしやかに展示されてゐるけれど、「ほんとはもつとお転婆なんでせう」とか「実際はもつとしつかりものよね」とか想像の余地がある。
それに、可愛いものを可愛く見せてもらへると嬉しい。

ケースの右端前方には馬上の張飛がゐる。
玄徳の馬は白竜、関羽の馬は赤兎と名前がついてゐるのに、張飛の馬だけは「張飛の馬」だ。
張飛の馬はいつ見ても強面だ。
目がちよつと据はつた感じなんだな。
さういふ馬を乗りこなす張飛、といふことなんだらう。
張飛の衣装の背中の裾はたたまれてゐる。
これは張飛らしい気がする。

ケース右端後方には黄忠が立つてゐる。
片手をあげてゐて、得物は手にはしてゐない。
これまで飯田で見る黄忠は考へ深げな老紳士といふ感じで、人形劇で見た荒ぶる老将といつたおもかげはあまりなかつた。
もともとの人形のカシラがさういふ作りなんだらう。
今回はいつもに比べてちよつと元気さうだ。
人形劇の黄忠らしい。

メインケースの前にはちいさなケースが二つある。
入口に近いケースに孔明、奥のケースに龐統がゐる。

これまで飯田で見る孔明は、その目が実に独特だつた。
ちやんと潤つてゐる感じがした。
それが今回はない。
いままではちよつとした顔の角度や照明の加減でさう見えてゐたのだらう。
人間の目のやうに水をたたへてゐるやうだつたので、ほんたうに生きてゐるやうに見えゐたのかもしれない。
三月二十五日に開館十周年のイヴェントとして、孔明と一緒に写真が撮れるといふ催しがあつたといふ。
それでお疲れなのかもしれない。
この孔明と一緒に写真が撮れたのかどうかは定かではないけれど。
今回、諸葛瑾の目にさうした水をたたへた感じがある気がして、「ああ、こんなところが似てゐるんだなあ」と思つた。
人形劇で見てゐたときは似てない兄弟だな、と思つてゐたのにね。

龐統は猫じやらしをくはへて立つてゐる。
飄然とした趣があつて、如何にも龐統らしい。
ケースの中央ではなく若干脇に寄つてゐるやうに見えるところもいい。
龐統も孔明もメインケースの中にゐたらいいのにな、と思はないでもない。
前回も一番隅のケースにふたりで立つてゐたしね。
その前のときにメインケースの中央前方で、孔明は淑玲から、龐統は美芳から話しかけられてゐるやうな展示があつたから、それで敢へてはづしたのだらうか。
人形劇の龐統はどこか可愛らしい趣もあつて、さういふ感じも出てゐるやうに思つた。

以下、つづく。

「項羽と劉邦」展その一はこちら
「項羽と劉邦」展その二はこちら
「項羽と劉邦」展その三はこちら
エントランスから宮中の抗争まではこちら
連環の計はこちら
玄徳の周辺 その一はこちら

Tuesday, 18 April 2017

ドイリーと呼ぶかあるいはランナー

タティングレースのモチーフつなぎは20枚目をつないでゐるところだ。
いまのところ4列×5列になつてゐる。
これをこの先どうしたものか、やはり悩んでゐる。

一度は4列でいくと決めたはずだつた。
しかし、かうしてみると正方形に近い形の方がいいやうな気がしてくる。

今回のモチーフつなぎは Lisbeth #40 一玉でモチーフがいくつ作れるかを調べるために作つてゐる。
それには、細長い形にするのが無難なのではあるまいか。

それで、もうこの先モチーフの数の少ない方は4個で決めた、そのつもりだつた。
悩むねえ。

細長いとランナーになるのだらうか。
ドイリーとちがつて、ランナーは置く場所を決めてから作るもののやうな気がする。
blogなどを見てゐるとランナーを作る人は「ここに飾る予定」「だからこれくらゐの長さにする」と決めてから作りはじめてゐるやうに思ふ。

ドイリーがなぜさうならないのかといふと……なぜだらう。
端が外に垂れてゐてもいいものだから、かな。
円形のテーブルに円形のドイリーを置くとして、小さければいくつか置けばいいし、もうちよつと大きければテーブルセンターにすればいい。巨大ならばテーブルクロスになる。

一方ランナーはといふと、あまり端が外に垂れ下がつてゐるやうなものを見た記憶がない。
ちやんとカバードのやうなものの上に乗つてゐる。
さういふ印象がある。

ドイリーなのかランナーなのか、そんなのは自分で決めればいいのかもしれない。
そもそもドイリーだらうがランナーだらうが家の中に置く場所がないし。

モチーフの数さへわかればいいのだから、できあがつたあとのことをそんなに気にする必要もないよな。

やはり最初に決めたとほりに4列で行かう。

ほんたうかな。

Monday, 17 April 2017

あみものはお好き?

オリムパス金票40番で編んでゐる水玉模様のストールの76模様めを編んでゐる。

このエントリを書くために数へてみて、ちよつとびつくりした。
結構編めてるぢやん。

このストールはオリムパスデザイン室のデザインしたもので、レース針の6号で半円形のモチーフを111枚つなぎながら編む。
遅々として進まないと思つてゐたが、もう半分を越えてゐた。
毎日少しではあるが編んでゐるのがいいのだらう。

ときどき思ふのだが、自分はけつして編み物が好きなのではない。
多分。
好きぢやなければ編まないのぢやあるまいか。
さうも思ふ。
さうも思ふけれど、どことなく義務で編んでゐる点がある。
糸と編み図とを買つてしまつたのだから編みはじめなければ、とか。
編みはじめたのだから完成させなければ、とか。
さう考へてゐる節がある。

「編まなくつちや生きていかれない」といふ切迫感は、まあ、ない。

なにも好きといふのが「好きな対象がなければ生きていかれない」といふことばかりでもないとは思ふ。
だが「好き」とか「愛情」とかに含まれてゐる熱さといはうか激しさといはうか、さういふものに欠けてゐる。
皆無とまではいはないが。

あみもの好きの人のなかには「あみものをするのは正気をたもつため」といふ人もゐる。
たとへば病院や役所などで順番を待つてゐるとき。
ただただ待つてゐるだけだと時間をもてあましてしまふ。
いつ順番がまはつてくるのかわからないし、気がをかしくなりさうだ。
さういふときはあみものだ、といふのだ。
編んでゐれば気が紛れる。
ひたすら時間をつぶしてゐるだけのときに生じる負の感情から解放される。
いいぢやあないか。

それは読書でもいいのぢやあるまいかとも思ふ。
つまり、その人はやはりあみものが好きなのだ。
時間をつぶすのに本ではなくて編みものを選ぶ。
好きだからだらう。

ところでやつがれは病院などで待たされてゐるときにあみものをしてゐてもあまり正気をたもてる気がしない。
いつまで待たされるのかわからない状況にひどく気疲れする。
ゆゑに病院に行つた日や健康診断の次の日には体調をくづしてしまふこともしばしばある。

あみもの、好きぢやないのかなあ。

水玉模様のストールは、二十日くらゐで編めるかと思つてゐたが、どうやら一ヶ月くらゐはかかるらしい。
もう一本おなじものを編みたいと思つてゐたが、それはあきらめるかなあ。

Friday, 14 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 2017 玄徳の周辺 その一

三月から四月にかけて飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
二月末に展示替へがあつた。
やつと見に行つてきたわけだ。。

まだ公式ページの展示内容が新しいものに切り替はつてゐないので、主題は過去の展示のものを使用してゐる。
展示内容がわかり次第、正しい主題に改修するつもりでゐる。

「宮中の抗争」と「連環の計」のとなりにあるのは展示室のメインケースだ。
主題は「玄徳の王国」。
左から馬超、赤兎に乗つた関羽、淑玲、白竜に乗つた玄徳、孫乾、趙雲、関平、美芳、馬上の張飛、黄忠がゐる。

ケース左奥に馬超がゐて、左側を見てゐる。
いままで見た中では一番男前な馬超かも。
前回、李儒を見てゐるときに美術館の方から見る方向によつて人形の印象が変はると教はつた。
今回の馬超はどこから見ても男前だ。
奥の方にゐる関係で右側から見ることはかなはないけれど。
左側から見た方が若干きりりとしてゐるかな。

馬超の手前に関羽がゐる。
赤兎に乗つた関羽はいつ見てもいい。
以前、馬に乗せた展示をするとその次のときが大変なのだといふお話を美術館の方からうかがつた。
脚まはりの衣装に皺が寄つてなかなかとれないのださうな。
展示替へのときにアイロンなどで一生懸命のばすのだといふ。
衣装の裾の長いのをたたんでゐたりするとやはりおなじことが起こるのだらうな。
今回関羽の背中側の裾はきれいにのばされてゐて皺の心配はなささうだ。

淑玲は関羽の右斜め後方にゐる。
飯田で見る淑玲はいつも可愛い。
人形劇で見ると、もつさりとしたあか抜けないお嬢さんといつた雰囲気のときもある。
飯田で見るときはさういふ印象はまるで受けない。
ヒロインだし、めいつぱい可愛さを引き出してもらつてゐるんだらう。

孫乾はケースの中央左寄り前方にゐる。
前回から引き続きの登場だ。
孫乾は人形劇での出番もそんなに多くなかつたし、展示されることもそれほど多くない。
そのせゐか衣装などがきれいな感じがする。
孫乾には「いい人」なイメージがある。
人形劇では、龐統の悪評を聞いて張飛を派遣することにした玄徳がお目付役として孫乾をつける。
出てきたのはちよつと困り顔のカシラの人のよささうな人形だつた。
でも、裁きの場でどこに座つたものかわからない張飛にすぐには教へずにちよつと意地悪するし、そもそも張飛のお目付役になるくらゐだから、「いい人」といふばかりでもないんだらう。
今回は兜の前面中央にある「大吉」の文字がよく見える。

ケースの中心後方に白竜に乗つた玄徳がゐる。
飯田で会ふ玄徳からは、なぜかいつもふしぎな色気のやうなものを感じてゐた。
人形劇で見るときにはつひぞ感じたことのない色気だ。
とくに顔の下半分に感じる。
以前、「一年半にわたりドラマの主役を演じてきた人間のかもしだす貫禄のやうなものか」と書いた。
それが今回はない。
今回の玄徳からは、若々しい番組開始直後の若者のころのやうな雰囲気を感じる。
髭のあるカシラにも関はらず、だ。
二、三回めの訪館のときだつたか、当時いらした美術館の方が、髭のなかつたころの玄徳のカシラはもうないのだ、と教へてくだすつた。
川本喜八郎は髭のないカシラに髭を加へたのだ、と。
川本喜八郎は「玄徳のカシラには髭をつけやうと思つてゐたが、番組の方から若者のイメージでと云はれたのでつけなかつた」といふやうなことを語つてゐたことがある。
さうか。
髭、つけちやつたんだな。
当初の目論見どほりに。
髭のある玄徳から若々しさを感じるのも当然なわけだ。

以下、つづく。

「項羽と劉邦」展その一はこちら
「項羽と劉邦」展その二はこちら
「項羽と劉邦」展その三はこちら
エントランスから宮中の抗争まではこちら
連環の計はこちら

Thursday, 13 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 2017 連環の計

三月から四月にかけて飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
二月末に展示替へがあつてそれを見に行つた。

公式ページの展示内容が新しいものに切り替はつてゐないので、主題は過去の展示のものを使用してゐる。
展示内容がわかり次第、正しい主題に改修するつもりでゐる。

前回の「宮中の抗争」の隣には「連環の計」の面々として呂布、貂蝉、王允、董卓、李儒がゐる。

呂布はケースの後方に立つてゐる。
戟を手にしてゐてやうすがいい。チト覇気には欠ける。
武将の衣装には袖口の広いものがある。そのままにしてゐたら地につくし戦ひにくからうと思ふくらゐ広い。
大抵は下から三分の一くらゐのところで縛つてゐて、呂布もさうしてゐる。
今回、呂布は袖口をできるかぎり狭めやうとしてゐるやうに見えた。
いつもさうだつたんだらうけど、ある日突然気がつくことつてあるよね。

貂蝉はケース前方にゐる。
実にうつくしい。
美術館の方が下から見上げるとやさしい表情になるんですよと教へてくだすつたので、ちよつとしやがんで見上げてみる。
自分の目線の移動で表情が変はつてゆくのがおもしろいよねえ。

王允は貂蝉の右後方、ちよつと高いところにゐる。
人形劇に出てゐたころもさうだつたけれど、王允には小人物といふ印象がある。
司徒だけど、なんだか小ずるさう。
人形劇の王允のイメージはさうで、でもなにか違ふと思つたのか渋谷の新しく作られた方の王允はもうちよつと厳格な感じがする。

王允の右隣には董卓が立つてゐる。
立派な姿だ。
人形劇の董卓にはユーモラスな印象がある。
番組開始当初はもつとこども向けに作るつもりだつたのか、董卓はいつも知恵の輪に興じてゐて、王允とはまたちがつた小物感があつた。コミカルな感じだつた。
番組が進むにつれて、奸雄めいた雰囲気を前面に押し出すやうになる。
黒地に金銀の縫ひ取りの衣装も偉さうな印象を醸し出してゐる。

李儒は董卓の手前、ケースの右隅前方にゐる。
目は左の方を見てゐる。
李儒の見てゐる方向からアプローチするので、流し目のやうにも見える。
これも美術館の方が教へてくだすつたとほり逆側から見ると、全然雰囲気が変はる。
右から見た李儒はなんとも悪さうで、キツネめいた表情をしてゐる。
悪だわ。
董卓とふたりで、
「李儒、お主も悪よのう」
「いえいえ、董卓さまほどでは……」
と黒く笑つてゐさう。
以前から「李儒は董卓より悪に違ひない」と思つてゐるのだが、かういふのを見ると「ほーら、やつぱり」と思ふ。

以下、つづく。

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Wednesday, 12 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 2017 エントランスその他

三月から四月にかけて飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
二月末に展示替へがあつて、はじめて見に行つた。
今回は「人形劇 三国志」と「人形歴史スペクタクル 平家物語」の人形が展示されてゐる。
人形アニメーションの展示はない。
これが意外とさみしい感じがした。

今回の展示は三国志については「この場面に出て来る人々の紹介」といつた趣が強い。
「黄巾の蜂起」「宮中の抗争」といふやうな主題がつけられてゐて、その主題に関はる人物が展示されてゐる、といつた印象を受けた。
特撮ヒーローやプリキュアものなどで、とくに番組開始直後はヒーローやプリキュアひとりひとりの変身シークェンスや名乗りをていねいに演出する、その感じに似てゐる。

まだ公式ページの展示内容が新しいものに切り替はつてゐないので、主題は過去の展示のものを使用してゐる。
展示内容がわかり次第、正しい主題に改修するつもりでゐる。

展示室の入口を入ると、すぐ右手に紳々と竜々がゐる。
向かつて左側が紳々、右側が竜々だ。
紳々は片手を掲げて立つてゐて、竜々は腕を胸のあたりに掲げてゐる。
このふたりの裾の処理がおもしろい。
後ろ身頃の裾が地面につくくらゐ長くなつてゐる。これまでの展示ではそのまま垂らしてゐるか、帯近くまでたたんでたくしあげてゐたやうに記憶する。
今回はラフな感じになるやうに台座にピンでとめてあつた。
他の武将はともかく、紳々竜々ならありうる。
今回は団体のお客も多く、美術館の方が紳助竜介の名前を出して解説してゐるのを聞く機会もあつた。
紳助竜介の名前はいつまで通じるのかな。

入口を入つてすぐ左手のケースには張梁、張角、張宝、盧植がゐる。
ケースの主題は「黄巾の蜂起」だ。
ケース二つを使つて、張角・張宝・張梁と盧植とはちよつと離れて展示されてゐる。

張梁、なあ。
人形劇にはそれほど出番がないと思ふ。
三国志に詳しい人なら「張梁らしい展示だなあ」と思ふのかもしれないけれど、人形劇の知識しかないとチトわからない。
今度はもうちよつと「三国志演義」などを読んでから行くことにしやう。

張角、張宝、張梁の三人は、一見あまり似ては見えないけれど、実はよく似てゐる部分がある。
顎の形だ。
あと衣装にもお揃ひなところがある。
さういふ点に気づくと俄然見るのが楽しくなつてくる。

盧植には、これまでの展示で感じた厳格さうな雰囲気はあまりない。
また、初登場のころの村の寺子屋の先生のときのやうな好々爺然とした感じもない気がする。
でも、どちらかといふとやさしげかな。
玄徳の師匠といふ点が feature されてゐるのかもしれない。

次のケースの主題は「宮中の抗争」。
何后、弘農王、陳留王、何進、董太后がゐる。
前回の展示では実にドラマティックな場面を展開してゐた何后と董太后とは、今回はまた違つた趣で展示されてゐる。

何后はこちらを向いて立つてゐる。ほんのわづかだけ顎をあげてゐてこちらを見下してゐるかのやうだ。
ああ、何后らしいなあ。
何后つて、かういふ感じだよなあ。

何后の背後の高いところに弘農王と陳留王とが並んでゐる。
どちらも似たやうなポーズを取つてゐる。
拳を腰にあてて両肘を張つたポーズだ。
弘農王がぼんやりとした印象を与へるのに対し、陳留王はひどく生意気さうに見える。何后とはまた違ふけれどでもやつぱりこちらを見下してゐるやうな雰囲気がある。
人形劇では陳留王の方が賢いやうに描かれてゐる。
賢いのはいいけれど、賢しげなのはどうかなあ。
ずつと見てゐると弘農王の方が可愛く見えてくる。

何進はエプロンのやうな前垂がよく見えてうれしい。赤い地に鳳凰だらう、二羽の鳥が向かひあつてゐる図案で、いつかも書いたけれど「何進のくせに生意気だぞー」といつも思ふ。

董太后はおとなしげに立つてゐる。
こちらから見ると視線をはづしてゐるやうに見えるので、気遣はしげでもある。
「宮中の抗争」といふものは、あんまり表立つたものぢやないんだらう。
水面下でさまざまな取引ややりとりがあつて、表面上はなにもなさげにしてゐる。
董太后を見てゐてそんな印象を受けた。

以下、つづく。

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Tuesday, 11 April 2017

オリムパスのタティングレース糸を使ふ

オリムパスからタティングレース糸が発売された。
糸には太・中・細・ラメの四種類がある。

オリムパスのタティングレース糸各種

一色づつ買つてみて、まづはタティングレース糸 中を試してみた。

先日購入したクロバーのカセット式タティング シャトル・ボビンに糸を巻いて、Jane の Bookmark を作ることにした。

写真の上がタティングレース糸中、下がオリムパス金票40番だ。
ほぼおなじやうなサイズだ。

Clover's Tatting Shuttle Bobin

タティングレース糸の中についていふと、結び心地はいい。
ただ、リングの芯糸を引くのがちよつとつらい。もうちよつと引きやすい方が好みだ。
あと思つたよりも光沢がない。これは好きずきだらう。やつがれは悪くないと思ふ。
ただ、光沢がすくないので糸が引きづらいのかな、といふ気もする。
結び心地や糸の引き加減は染料によつても微妙にことなる場合がある。
別の色だとまた違ふ感触を覚えるのかもしれない。

まだ中しか使つてゐないが、この感じだと太はエミーグランデとおなじやうな感じなのかな。細は金票70番くらゐだらうか。ラメは中とおなじくらゐに見える。
追々使つてみることにしたい。

このタティングレース糸にはグラム表示がない。
あるのかもしれないけれど、見つけてゐない。
おそらく10gくらゐだらうと思つてゐる。
大きい作品を作ることは念頭にないといふことだらう。
中やとくに細くらゐなら一玉でもタティングレースのちよつとしたドイリーくらゐなら作れるんだらうけれど。

新製品が発売されるといふことは、タティングレースは人気があるのだらう。
周囲にタティングレースをするといふ人が皆無なのでまつたく実感はないが、人気がなければ新製品なんて開発されることもない。
さういへば関連書籍も増えた気がする。

風の噂では、タティングレースでアクセサリを作るのが流行してゐるといふ。
なるほど、ピアスの先にぶらさげるモチーフやネックレスくらゐならこのくらゐの量で十分足りるのだらう。十分過ぎるくらゐだらう。

大きいものが作りたい一方で、今後しばらくは栞ばかり作らうか知らん、と思つたりもしてゐる。

とりあへず、作りかけのこの栞を仕上げるところからはじめるか。

Monday, 10 April 2017

楽しいレース編み

かぎ針編みで水玉模様のストールを編んでゐる。
オリムパス金票40番の糸をレース針の六号で編む。半円のモチーフが青海波のやうにつらなるストールで、オリムパスデザイン室がデザインしたものだ。

3月30日に編みはじめて現在46枚目のモチーフを編んでゐるところだ。
編み方には全部で111枚のモチーフを編むことになつてゐる。
遠いな。
完成は遠い。
しかもかなり波打つてゐるので、しつかり整形する必要がある。
いつになつたらできあがるのか。

しかし、考へてみるとあみものは、とくにレース編みは廉価な趣味だといへる。
水玉模様のストールは計算上完成するまでに一ヶ月近くかかる。
レース糸とレース針と編み方とだけで、一ヶ月も楽しめるといふことだ。
今回の場合、レース針はすでに持つてゐるし、編み方はレース糸を買ふともらへるものだつた。
実質レース糸代しかかかつてゐない。

水玉模様のストールは、ほぼ毎日編んでゐる。
こんなに編んでゐるのになかなか完成が見えてこないなあ。
さう思ひつつ編んでゐる。
でも楽しい。
楽しいから毎日編んでしまふ。

だが、そこでタンスの中にある毛糸やレース糸のことを考へる。
ひとつ作るのに一ヶ月かかるといふことは、あの毛糸どもを使ひきるにはどれくらゐかかることだらうか、と。
ずいぶん前に、生きてゐるあひだに手持ちの毛糸を使ひきることをあきらめてはゐたけれど。
今回しみじみと考へさせられてしまつた。

くつ下なんかはしやかりきに編めば二日で、ほかのことをなにもしなければ一日で一足は編めるけれどもね。
さういふ問題ぢやないんだよね。

Friday, 07 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 項羽と劉邦展 その三

週末、飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
今年は開館十周年といふことでさまざまなイヴェントや展示が予定されてゐる。
四月二十三日までは「項羽と劉邦」展が開催されてゐる。

今回は展示室であるスタジオの中央奥にあるケースと右側にあるケースについて書く。

中央奥のケースには始皇帝が、右側の壁沿ひのケースには奥から范増、韓信がゐて、一番手前のケースにはカシラばかり二十個展示されてゐる。

始皇帝は、思つてたよりも普通のをぢさんだつた。
皇帝の冠についてゐるビーズのぢやらぢやらでよく顔が見えないせゐかもしれないけれど、天下を統一した人の偉大な雰囲気などはあまり感じない。
衣装は立派で、竜を思はせるやうな柄が二、三種類取り入れられてをり、そこは皇帝らしい。
なんだらう、顔のパーツのひとつひとつが小さいのかな。目とか鼻とか口とか。とくに目。
始皇帝の周囲にゐる項羽や呂后の印象が強烈過ぎるのか知らん。

やつと会へたね。
范増の前に立つてしみじみさう思つた。
二年前、創業三十周年を記念して水戸エクセルで三国志展が開催された。
このとき、人形のできるまでを詳細に説明したパネルがあつた。
写真のモデルが范増だつた。
つまり范増のできるまでの説明だつた。
項羽と劉邦とは別冊太陽のムックの表紙にゐるからゐることは知つてゐた。
范増もゐるんだ。
あれから二年、やつと相見えることができた。

范増は左奥を見込んだやうすで躰はなんとなく右方向に行かうとしてゐるやうに見える。
項羽に愛想を尽かして去るところなのかな。
「項羽本紀」に登場する時点ですでに「七十」と書かれてゐる范増は、老人態に作られてゐて皺も深いしほかの人形のやうに華やかな衣装を着てゐるわけでもない。
衣装の色は、敢へていふとお茶色といつたところか。
灰色がかつてはゐるけれど、どこか緑を感じる色で落ち着いてゐる。
でも范増にはどこか生き生きした印象がある。
まだこれからバリバリ献策するぜ、といつたところなのかもしれない。
なにしろ仕官はしてゐないけれど策をたてるのが好き、とか書かれちやふくらゐだからね。

韓信は正面を向いて立つてゐる。
色のイメージは朱色と黒、もしくは藍色、かな。
韓信のおもしろいのは、後頭部中央部分の髪の毛を編み込んでゐることだ。
髪の毛を下からもちあげて編み込みにしてその先に髷を作つてゐるのだらうと思はれる。
カシラばかり並んだ中にも韓信のやうに編み込みにしてゐるものもあれば、三つ編みにしてゐるものもある。
かういふのも兵馬俑を参考にしてゐるのかな。
韓信からは落ち着いてゐてしづかな自信に満ちてゐるといつた印象を受ける。満ちてはゐるけれど満ちあふれてはゐない。
前回、劉邦のことを思慮深げと書いた。
韓信も思慮深さは水を張つたその表面が波ひとつたたずにしんとしてゐる感じ、かな。

カシラばかり並べたケースは縦に三列あつて、上が七、中が六、下が七の計二十個ある。
上段は左から陳勝、章邯、蒙恬、扶蘇、趙高、李斯、殷通。
中段は左から鯨布、懐王、項梁、虞美人、項伯、荊軻。
下段は左から陳平、蒯通、蕭何、張良、韓信、酈食其、夏侯嬰。

陳勝はたたき上げといふ感じ。蒙恬はどこかやんちやな武将。趙高はヤな宦官そのもので、李斯はちよつと理知的な感じ。殷通なんてそんなに出番はなからうに、と思ひつつ、話がはじまつたらわりとすぐ出てくるから作つてあつたのかなぁ。

鯨布はそのまま仁王像になりさうな顔つき。懐王は劉琦さま的なアレかな。項梁はお頭と呼びたいやうな感じで、虞美人は髪飾りの違ふヴァージョンなのだらう。項伯は項梁よりもおとなしめで色もちよつと白い。
おもしろいのは荊軻で、眉や髭のあたりを鉛筆で描いたのがそのまま残つてゐる。ちよつと見ると眉がひどく薄く見えるので酷薄さうだが、鉛筆のあたりを頼りに想像してみるときりつとした顔立ちになるのぢやあるまいか。

陳平はいい男。蕭何は冠が立派な心配性。張良は、これは橋で待たされたりしてゐた若いころのカシラなのかな。韓信は股くぐりとかしてゐたころのカシラだらう。髭とかないし。夏侯嬰がどことなく夏侯淵に似てゐて、思はず微笑んでしまふ。

カシラだけでもこんなにたくさん作つてあつたんだな。
説明によると、川本喜八郎がカシラなどに残してゐた鉛筆書きなどをもとに川本プロダクションの方々が「史記」や「漢書」にあたつて人物を特定したものだといふ。

あらためて見ると、「項羽と劉邦」には実現してもらひたかつたよなあとしみじみ思ふ。
今後は大切に保管されて維持されていくのだらう。
どこかで少しでも動くところが見られたらなあと思はずにはゐられない。

以下、つづく。

「項羽と劉邦」展その一はこちら
「項羽と劉邦」展その二はこちら

Thursday, 06 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 項羽と劉邦展 その二

週末、飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
今年は開館十周年といふことでさまざまなイヴェントや展示が催される。
四月二十三日までは「項羽と劉邦」展が開催されてゐる。

前回は入口を入ると真正面にゐる項羽と左手にある解説パネルについて書いた。
今回は展示室であるスタジオの左側にあるケースについて書く。

スタジオを入つて左側の壁沿ひにケースが三つ並んでゐる。
手前から虞美人、劉邦、呂后がゐる。

虞美人は実に可憐だ。
踊つてゐるところなのだらうか。
左を向いた顔はやや仰向けで遠くを臨んでゐるやうに見える。
両腕を右に流してゐるので躰にひねりがあり、しづかな中にも動きがある。
踊りといふよりは舞なのかな。
水色で紗綾型の地模様の衣装は、ところどころに花をあしらつたもの。
襟などにはさまざまな蝶を散らした生地を使用してゐる。わりとリアルな蝶もゐるので、苦手な向きは気をつけた方がいい。
髪の結ひ方がどことなく元禄時代の女の人の髷に似たところがある。呂后の髪型もさう。
虞美人この可憐さはどこからくるのだらう。
花びらのやうな唇か知らん。

劉邦は思慮深げに見える。
劉邦が思慮深い?
劉邦といつたらまづキレて、張良とか陳平とかに足を踏まれたりしてとどまつて、献策をとり入れる、みたやうなキャラだと思つてゐる。
川本喜八郎にはなにかモデルとした作品があるんだらう。知りたいねぇ。
劉邦が思慮深げに見えるのは、ややうつむいてゐて腕を組んでゐるから、といふのもあるけれど、カシラから受ける印象が大きいと思ふ。
おだやかさうで目とか鼻とか顔の部品が比較的大きい。
イメージカラーはオレンジ。
項羽は白かなあ。衣装の色では赤と青も印象深い。赤といつても冷たい感じの赤だ。
劉邦はおだやかさうでゐてあたたかい橙色なので、やさしげな度量の大きい人物に見える。
項羽もさうだけれども、劉邦もカシラだけなにかの人形とすげかへて三国志に出てきたらちよつと違和感を覚えるだらう。
非常に個性的で、「項羽と劉邦」の世界を代表するカシラなんだらうと思ふ。

呂后は妖しい。
一目見て「蜘蛛女」と思つた。
下から見上げるやうな流し目の視線の先にはなにがあるんだらう。
すこしねぢつた躰の線がまた妖しい。
口元に浮かんだ笑みもなまめかしい。
悪女といひ、毒婦といふ。
さういふ人はやつぱり妖しく美しくないとね、といふことなのだらう。
部屋の一番奥の隅にゐる、といふのもいい。
衣装は黒地に唐草の地模様で、蠢く触手のやうにも見える。
その黒い衣装の裾からのぞくプリーツスカートは紫色の江戸更紗のやうな感じの生地だ。
呂后には「黒い肝つ玉母さん」のやうなイメージを抱いてゐたが、そのイメージもがらりと変はつてしまつた。
いやー、いいわ、呂后。

以下、つづく。

「項羽と劉邦」展その一はこちら

Wednesday, 05 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 項羽と劉邦展 その一

週末、飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。

今年は開館十周年を記念してさまざまなイヴェントや展示が予定されてゐる。
その一環として、ホワイエには開館に至るまでのやうすや開館日およびその後の美術館のやうすを写した写真が展示されてゐる。
また、スタジオでは「項羽と劉邦」展が催されてゐる。四月二十三日までとのことだ。

「項羽と劉邦」展は、展示室のある三階の一番奥にあるスタジオで見ることができる。
入り口手前に「項羽と劉邦」展のポスターが展示されてゐて、虞美人を手にして微笑む川本喜八郎の写真も飾られてゐる。
この写真の川本喜八郎は、開館に至るまでの写真の中のそれよりもずつと若い。
かなり以前から作つてゐたんだなあ。
それは、スタジオ内の説明でもわかる。

スタジオの中は周囲を黒い幕のやうなもので覆つてある。
入つて左手にケースが三つ、中央に二つ、右手に三つある。
左のケースには手前から虞美人、劉邦、呂后がゐる。
中央のケースには項羽と始皇帝。
右のケースには、カシラだけ二十個、韓信、范増が展示されてゐる。
それほど広い部屋でもないので、背後で自動ドアが閉まると一瞬閉じこめられたやうな気分になる。
蔵の中で人形と対峙してゐる感覚、かな。
悪くない。
悪くないけど、対峙する相手が項羽なので、最初はちよつとひるんだことをここに告白する。

ドアが開くと、真正面のケースに項羽がゐる。
その迫力に一瞬気圧され、思はず一歩退いてしまつた。
「項羽と劉邦」のうち項羽と劉邦とは別冊太陽の「川本喜八郎 人形ーこの命あるもの」の表紙を飾つてゐる。
項羽のカシラは白くて目が横に動く。展示では向かつて右を見てゐる。
半円のやうな形をした目はそんなにおそろしくはない。目が大きいからかもしれない。
迫力に気圧されはしたものの、ずつと見てゐるとどこか人間味のある人のやうにも思へてくる。
項羽だと思つて見るからかもしれない。

衣装はまづ羽飾りのついた兜に目がいく。
兜の羽はカミキリムシの触覚に似てゐる。
このまま馬に乗りでもしたら、羽の風になびくやうすはさぞうつくしいだらうなあ、と思ふ。
鎧などは兵馬俑を参考にしたものだらう。劉邦や韓信も同様だ。
「人形劇三国志」も玄徳・関羽・張飛の鎧は兵馬俑の人形を参考にしたといふものね。

入つてすぐ左手に、「項羽と劉邦」展に寄せた川本プロダクションによる解説パネルがある。
読むと「項羽と劉邦」の人形劇が実現してゐたらなあと思はずにはゐられない。
そして、実現はしなかつたけれど、人知れず人形を作りつつ企画をたてて方々へ働きかけてゐた川本喜八郎を思ふとなにも云へなくなつてしまふ。
脚本も自分で書くつもりでゐたのださうで、撮影についても実写の背景と人形操演とを合成させる場面を用意するなど多彩な構想があつた、とパネルにはある。

川本喜八郎は長いことシルクロードをテーマにした人形アニメーションを作りたいと考へてゐたといふ。
この美術館で見たことのあるインタヴュー番組でもさう云つてゐるし、「チェコ手紙・チェコ日記」にはシナリオも掲載されてゐる。
インタヴュー番組では「あと三十年くらゐ生きないと完成できない」と云つてゐて、もう作ることはないだらうといふことを匂はせてゐる。
時折この美術館で見ることのできる李白はアブソルート・ウォッカのCM用アニメーションの人形で、シルクロードものの一環だといふ説がある。
「項羽と劉邦」の人形劇も、自身のシルクロードものの一環と考へて作つてゐたのかなあ。

この後、「項羽と劉邦」の人形を見られる機会はあまりないかもしれない。
見ることができてよかつた。

以下、つづく。

Tuesday, 04 April 2017

クロバーのタティングシャトル・ボビンを使ふ

クロバーのカセット式タティングシャトル・ボビンを買つた。
よくぞここまで従来のシャトルに近い使用感に仕上げたものだ。
感服することしきりだ。

Clover's Tatting Shuttle Bobin

ご覧のとほり、長さは従来のシャトルとほぼ一緒だ。左が従来のシャトル、右がボビン付シャトルである。

Clover's Tatting Shuttle Bobin

ボビンのある分厚みはある。

Clover's Tatting Shuttle Bobin

ボビンに糸を巻く場合、付属のボビンストッパを使ふと楽に巻ける。

Clover's Tatting Shuttle Bobin

糸を巻くだけならミシンを使ふこともできる。
その場合、ボビンの上下にこのワッシャをつけるのださう。

Clover's Tatting Shuttle Bobin

タティングシャトルに付属してゐるボビンをミシンに使ふのはムリとのこと。

ボビンに糸を巻いたあとストッパに入れておくと、糸がボビンからほどけてきたりしない。
これはすばらしい。
タティングシャトルを使はなくてもボビンとこのストッパだけ使ふといふ手はある。
持ち歩くときに予備の糸を巻いておいたりとかね。
シャトル一つに糸玉一つの作品を作るときに、糸玉側をこのボビンで代用するとかね。
予備のボビンだけのセットもある。ストッパもついてゐるので、これだけ買つてもいいかもしれない。

使ひ心地は、といふと、最初に書いたとほり「よくぞこれまでのシャトルに近い感じに仕上げたなあ」といふところだ。
使用してゐてあまり違和感がない。
厚みもやつがれはそんなに気にならない。
普段もつと厚みのあるボビン付シャトルを使用してゐるからかもしれない。

ただ、あまりにも従来のシャトルの使用感に近すぎて、糸をシャトルから出すときにうつかりシャトルを回してしまつたりするんだなあ。
糸は、クロバーの説明によれば引つ張ればいいのらしい。
これもほかのボビン付シャトルを使ふときの癖でうつかりボビンを回してしまふ。
ボビンを回すとボビンの位置がズレることがあるので、説明どほり糸を引くのが正しいのだらう。

クロバーのタティングシャトル・ボビンを使つてみて、普段自分がボビン付シャトルを常用してゐるのは、ボビンだけが理由ぢやないんだな、といふことに気がついた。
愛用してゐるシャトルは GR-8 Tatting Shuttle にしろ、Pop-A-Bobbin Shuttle にしろ、先にかぎ針がついてゐる。
かぎ針だとピコでつなぐときにやりやすい。
先端のとがつたシャトルだととがつたその先でピコから糸をすくひがちになる。
別にかぎ針を用意すればいいのにね。

ボビン付シャトルはいい。
糸を巻くのもほどくのも楽だ。
シャトルがひとつあればあとはボビンをいくつか用意すれば大抵の用は足りる。
クロバーのタティングシャトル・ボビンは大きさも従来のシャトルとそんなに変はらないし、ボビン付シャトルをちよつと試してみるにはとてもいいシャトルだと思ふ。
もしシャトルが気に入らないことがあつても、ボビンとストッパとは有用だしね。

Monday, 03 April 2017

かぎ針編みの連続モチーフ的なもの

かぎ針編みをはじめた。

水玉模様のストール in progress

先日ユザワヤに行つたところ、飾つてあつたスカーフに目が行つた。
オリムパスの金票40番をレース針の6号で編んだものだつた。
糸を買ふと編み図がもらへるといふので、久しぶりに金票40番の50gを買つた。
もらつた編み図には「水玉模様のストール」と書いてあつた。

かぎ針編みも久しぶりならこんなに細い糸と針とで編むのも久しぶりだ。
そんなわけでだいぶよれよれだが、まあそのうち慣れてくるだらう。

扇形のモチーフを編みながらつないでいくのが楽しい。
118枚編む必要があつて、でもまあ、長さは編みながら様子を見るつもりだ。

ヨガソックスの方もぼちぼち編んでゐる。
寝不足がつづいて調子はいまひとつではあるものの、編んだり結んだりが楽しいうちはまだまだ大丈夫だ。

Sunday, 02 April 2017

3月の読書メーター

3月の読書メーター読んだ本の数:7読んだページ数:1680ナイス数:46Living with a Dead Language: My Romance with LatinLiving with a Dead Language: My Romance with Latin感想出版会社で編集をしてゐた著者は退職するにあたつてラテン語の勉強をはじめる。こどもが巣立つた後アルコール依存症になつて死んだ母のやうにはなりたくないし、もともとことばには興味があつたからといふのが理由だ。大学のラテン語の講義を聴講するところからはじまつて著者がラテン語を習得していく様を読んでいくわけだが、これが存外面白い。本好きで業界の人といふと文学的な読みづらい文章を書く人が多いが、この本は別。とても読みやすい。古典の研究者とSFファンとは似たところがあるといふ説も興味深い。読了日:03月07日 著者:Ann Patty
C. Auguste Dupin The Trilogy/ The Murders In The Rue Morgue/ The Mystery Of Marie Roget/ The Purloined Letter (English Edition)C. Auguste Dupin The Trilogy/ The Murders In The Rue Morgue/ The Mystery Of Marie Roget/ The Purloined Letter (English Edition)感想何十年ぶりかに読んで「こんなにせりふだらけだつたつけか」と思ふなど。「盗まれた手紙」は「マリー・ロジェの謎」でしでかしたことを回収しようとしたのかな、といふ気もする。読了日:03月11日 著者:Edgar Allan Poe
深川安楽亭 (新潮文庫)深川安楽亭 (新潮文庫)感想短篇集。大まかにわけると師と弟子もの(理解者もの)、生まれつきだから仕方ないもの、笑ひ話、といつたところか。説教臭さが苦手だつたが、「四人囃し」や「あすなろう」、「深川安楽亭」を読むと、「生まれつきだもの」と開きなほれる気もする。映画では壊滅状態になつてしまふが、原作ではちやんと深川安楽亭は安泰だ。ああいふ場所はなくてはならない。いま現実にどこにあるのかわからないけれど。読了日:03月16日 著者:山本 周五郎
ほんもの: 白洲次郎のことなど (新潮文庫)ほんもの: 白洲次郎のことなど (新潮文庫)感想Obituaries といつたところか。知人の死後、とくに直後にその人のことを書くのはむつかしいなあ。著者が國學院の教授から素読を習ふくだりで「源氏物語」の冒頭を「いずれのおほん時にか」と書いてゐて、やはり國學院の人は「御時」は「おほんとき」と読むのだなあと思うたりした。「あたくし」といふ一人称は一度は使うてみたいものである。読了日:03月17日 著者:白洲 正子
ドラマ「鬼平犯科帳」ができるまで (文春文庫)ドラマ「鬼平犯科帳」ができるまで (文春文庫)感想比較はむづかしいんだなあ。吉右衛門の「鬼平」と前三作との違ひが述べられてゐるところを読むと、書かれてゐないのに「だから吉右衛門の「鬼平」の方が優れてゐる」と書いてあるやうに読めてしまふ。僻目なのかな。吉右衛門の「鬼平」が他の三作と違ふ点として平蔵と久栄との衣装がそれとなくお揃ひになつてゐるやうに見受けられる点があつたのだが、それについての言及はなかつた。単に自分の妄想だつたのかもしれないし、わからないことはわからないままでいいのかもしれない。読了日:03月21日 著者:春日 太一
虎の夜食虎の夜食感想全部フィクションなのか! 読んだといふよりは一通り目を通したといつた状態。これからじつくり読む。読了日:03月25日 著者:中村 安伸
人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書)人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書)感想自己中心的であると云はれ続けてきて、この本を読んで「さういふことだつたのか」と腑に落ちること一度ならず。でも横入りされたらやつぱり不機嫌になるんだらうなあ。読了日:03月28日 著者:千野 帽子
読書メーター

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