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Wednesday, 26 April 2017

飯田市川本喜八郎人形美術館 2017 江東の群像

三月から四月にかけて飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
二月末の展示替へをやつと見てきた。

前回はメインケースの向かひにある「曹操の王国」のケースについて書いた。
今回は、メインケースの右隣のケースについて書く。
主題は「江東の群像」。
公式サイトの展示案内が前回の展示内容のままなので、更新され次第正しい主題に訂正する予定である。

ケース左から呉国太、喬国老
、貞姫、孫権、諸葛瑾、黄蓋、闞沢、周瑜、魯粛、陸遜がゐる。
呉国太・喬国老・貞姫でひとかたまり、孫権・諸葛瑾・黄蓋でひとかたまり、闞沢・周瑜・魯粛・陸遜でひとかたまりといつたところか。

呉国太と喬国老とはケース後方の高いところに立つてゐる。
このふたりは並んで立つてゐることが多く、仲むつまじい老夫婦に見えることがある。
それでなくても仲のいい茶飲みともだちといつた雰囲気だ。
それが今回はない。
極々neutralな展示だと思ふ。

呉国太と喬国老との手前、低いところに貞姫が立つてゐる。
若干うつむきがちで、とても可愛い。
はじめて飯田に来て貞姫を見たときも「なんて可愛いんだらう」と思つた。
人形劇で見る貞姫にはつひぞ抱いたことのない感想だ。
そのときもちよつと下を見てゐるやうだつたと記憶してゐる。

孫権は喬国老の右隣、すこしはなれたところに座つてゐる。
久しぶりの座つてゐる孫権だ。
以前は孫権といへば必ず椅子に座つてゐた。
飯田も渋谷も同様だつた。
飯田の三回前の展示のときだつたらうか、椅子の脇に立ち、下の方にかしこまつてゐる諸葛瑾になにやら下知したといふ趣の孫権を見て、「孫権、いい男だなー」とあらためて思つた。
孫権、男前なんだな。
今回の孫権は、椅子に座して右側を睨んでゐる。
なにかを見てゐるわけではないやうだ。
思案をしてゐて視線を右の方に移動させたのかもしれない。
孫権は人形劇でもよくさういふ表情をすることがあつた。

孫権の手前やや右の低いところに黄蓋がゐる。
黄蓋は目玉がガラス(もしかするとアクリル)で、照明があたるときらきらして見える。
かういふ目は黄蓋と趙高とふたりだけかな。
今回はその黄蓋の特徴である目をよく見ることができる。
黄蓋と黄忠とはなんとなく似てゐるといふ印象があるけれど、飯田で見るといつも全然違ふことがよくわかつておもしろい。

孫権の右やや低いところに諸葛瑾が正面を向いて立つてゐる。
飯田で見る諸葛瑾はひどく追ひつめられてゐたりなにかしらつらい思ひをしてゐたりするやうに見えることが多い。
苦労人。
一言でいふとそんな印象だ。
今回はそれはない。
また、孔明のところでも書いたやうに、今回の諸葛瑾の目はいつもとちよつと違ふやうに見える。
目がほんとに水でできてゐるやうな雰囲気がそこはかとなくある。
人形劇の諸葛瑾と孔明とは似てない兄弟だと思つてゐたけれど、こんなところが似てゐるんだな、とは孔明のところでも書いた。
渋谷の諸葛瑾と孔明とにはもうちよつと似たところがある。
人形劇を見てゐたときには相似してゐる点に気がつかなかつただけなのかもしれない。

黄蓋の右側すこしはなれたところに闞沢が立つてゐる。
人選がちよつとおもしろいな。
どういふ基準で選んだんだらう。
人形劇では闞沢は徐盛や甘寧にくらべたらずつと活躍してゐるし出番も多い。
それで選ばれたのだらうか。
ほんとは黄蓋と闞沢とでひとかたまりなのかもしれないな。
「赤壁の戦ひ」といふくくりで、さ。

周瑜は闞沢の右後方高いところに立つてゐる。
意外と地味な感じがするのは、人形劇での扱ひを反映してゐるのだらうか。
人形劇の周瑜つて、あはれだものな。「三国志演義」からしてさうだ、といはれればそのとほりかもしれないけれど。
若干照明が暗いのかもしれないが、普段の周瑜だつたらそんなことはものともしないし、むしろさらに輝いてゐたやうに思ふ。
前回の展示では孫権・孫堅・孫策の親子一緒の姿を見ることができた。
いづれ孫策と周瑜や孫策と太史慈といつた展示も見てみたいなあ。
人形劇にはない場面だけれどもさ。

周瑜の右側やや低いところに魯粛が立つてゐる。
このケースは全体的にみな「立つてゐる」といふ印象が強い。
ほかの人形とinteractしてゐない、といはうか。
今回の展示は総じてさういふ感じなのだけれども、三国志の中では江東に一番その雰囲気を感じる。
ここまでたどり着く前に見るこちらがチト疲れてゐるのかもしれない。

ケースの右端には陸遜がゐる。
左側を向いて立つてゐる。
ここでなぜ陸遜なのか。
なにか意図があるのだらうけれどもわからなかつた。
たとへば、江東の歴史をかんたんに紹介するやうな形にするならば孫堅や程普も必要だらう。
赤壁の戦ひに的をしぼつてゐるわけでもない。
江東は人材に富んでゐる、といふのなら徐盛・甘寧・太史慈のうちすくなくともひとりはほしかつたところだ。呂蒙とかもね。
陸遜には前世があるからそれで出てきてゐるのかもしれない。

以下、つづく。

「項羽と劉邦」展その一はこちら
「項羽と劉邦」展その二はこちら
「項羽と劉邦」展その三はこちら
エントランスから宮中の抗争まではこちら
連環の計はこちら
玄徳の周辺 その一はこちら
玄徳の周辺 その二はこちら
曹操の王国 その一はこちら
曹操の王国 その二はこちら

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