本気で編まない
トゥヴォーエンズスティックニングのくつ下は、一日四段とかづつ進んでゐる。
毎日編んでゐれば右手で糸をかける編みかたにも慣れてくるかなと思つてゐたが、一日四段だとなかなか慣れない。
先に練習としてメリヤス編みだけのものを右手で糸をかける方法で編むべきだつたのかもしれない。
あるいは左手に糸をかけてトゥヴォーエンズスティックニングを編むべきだつたのかも。
できあがつても次の秋冬までしまつておくことは確実なので急いで編むことはない。
袖なし羽織は、トゥヴォーエンズスティックニングに疲れたときにちよこちよこと編んでゐる。
きりのよいところで中断して次の秋冬にそなへるつもりだ。
なぜかといふと、別のものを編むのに針を使へるやうになるからだ。
これまで編みたいものリストのやうなものは作らずに来た。
「これだけはどーしても編みたい!」といふやうなものがないからだ。
そのときどきで implusively に編みたいと思つたものを編む。
だからダメなんだ、といふ話もある。
もつと計画的に編まないと。
しかし、考へやうによつては、そのとき編みたいものを編む、でいいんぢやないかといふ気もする。
趣味なのだし。
編んで楽しいものを編まうぜ。
さう考へると、自分には本気で編むときはない。
編むときはいつでもぼんやりと編んでゐる。
だから編み図を見ながら編まないといけないものは苦手だ。
編み図とにらめつこしながら編むものは、ぼんやりとしてゐては編めない。
だからといつて、本気で編むかといふとさうでもない。
せいぜい編み図で次の段を確認して、それで終はりくらゐだ。
だからダメなのだ、といふ話は確かにある。
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